「禿」の字を使ったら殺す!「大足の馬の絵」を描いたらみんな殺す!
文字数 975文字
劣等感の強い皇帝って危険。虐殺ナンバー1の呼び声高し。
《明》 洪武帝(1328~1398)

洪武帝(朱元璋)は貧しい農家の生まれ。托鉢僧などをしながら糊口をしのいでいたが、反乱に加わってその首領となり、一代で明を建国。そのためか、重農的な政策を行って明帝国繁栄の基礎を築いた。
しかし、洪武帝はその出自に異常なほどのコンプレックスを抱いていたようだ。役人が書類に「僧」「禿」などの字を使っただけで、洪武帝が貧しい僧侶だったことを馬鹿にしたとして殺した。
ある日、洪武帝は「光天之下、天生聖人、為世作則(光天の下、天は聖人を生じ、世の為に則を作す)」という文章を読んで激怒。文を作成した人物と一族を皆殺しにした。
洪武帝は「光」という字から「光頭(坊主頭)」を連想。さらに「生」の発音は「僧」と近く、「則」の字は「賊」の字と発音が同じであることから、「自分のことを『貧乏な坊さん出身で、盗賊からの成り上がり者』と謗っている」と解釈したのだ。
洪武帝は文人(インテリ層)と言われる人々に、強い不信と憎しみを抱いていたようだ。これに限らず、取るに足らない理由で次々と役人を殺したので、役人たちは毎朝出勤する前に、妻子に別れの挨拶をしたという。
晩年になると持ち前の猜疑心がさらに強まり、洪武帝は建国の功臣すらも次々に粛清。その度に数万人が連座させられた。
また、洪武帝は足が大きく描かれた馬の絵を見て馬皇后を嘲るものだと激怒。まったくの八つ当たりで、絵が飾られていた地域に住む、一万人以上の庶民を虐殺したという。
馬皇后が特別、足の大きい女性だったというわけではない。彼女は上流階級の女性の証である纏足をしておらず、洪武帝はそれを馬鹿にされたと感じたのだ。
馬皇后は、いわゆる賢夫人として知られ、貧しい時代の夫を支え、皇后となってからも短気な洪武帝をよく諫めた。現代でも「大脚馬皇后」というタイトルの連続ドラマが作られるほどの人気者だ。
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『紫禁城の栄光―明・清全史 』岡田英弘ほか/著(講談社学術文庫)