第13回 小説講座 第1巻第2話 浜本尚太篇①

文字数 3,354文字

メフィスト賞作家・木元哉多、脳内をすべて明かします。


メフィスト賞受賞シリーズにしてNHKでドラマ化も果たした「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ。

その著者の木元哉多さんが語るのは――推理小説の作り方のすべて!


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『閻魔堂沙羅の推理奇譚』第1巻第2話の浜本尚太篇。

    着想は、これを書くより少し前に見た日本テレビのドラマ『ゆとりですがなにか』のワンシーンです。

    主人公は、鶏肉会社に勤めるサラリーマン(岡田将生)。会社の後輩(太賀)が受注ミスをして、得意先に商品が配送されない事態が起きてしまう。あわてて会社の冷凍室から在庫を取って、得意先に駆けつけるというシーンです。

    鶏肉会社には必ず冷凍室があることは知っていました。鶏肉は、一度冷凍したほうがおいしくなるそうです。そして冷凍室はマイナス20度くらいだということも知っていました。芸人が冷凍室に閉じ込められるお笑い番組を見たことがあったので。


    冷凍室で気絶したら、凍死する。


    これが最初の着想です。主人公は、鶏肉会社に勤める会社員。彼には、こましゃくれた後輩がいる。

    ここから物語をふくらませていきます。


    はじめに「成長小説」というのは決まっていました。

    主人公は若者。物語を通して成長するので、最初の時点では未熟でなければいけない。

    とすると、物語の構図はおのずと決まってきます。『ウサギとカメ』です。

    主人公はカメ、まわりはウサギばかり。同僚のウサギたちはどんどん先に進んでいく。カメはのろのろとしか成長できず、劣等感にさいなまれている。

    彼は物語を通して成長する。だが、そのためには、のろい足をがむしゃらに動かさなければならない。

    主人公のキャラクターが先にあるのではなく、物語の立ち位置によって自然に定まっていくかたちが正しい。


    主人公の浜本は、ヘマばかりしているカメ社員です。

    会社の同僚は、みんな浜本より優秀なウサギばかり。ここで大事なのは、そのウサギたちをいかにキャラかぶりさせないかということです。

    登場人物は五人います。一条華子、鹿子木、千原、天野、岩田。

    浜本から見ると、みんなウサギ(優秀)に見える。この五人のうち、天野は、のちに浜本と結ばれるマドンナ役、いわば物語のオチになる女性なので省くとして、他の四人は立ち位置をそれぞれ変えて、キャラかぶりしないように気をつけています。

    では、どうすればキャラかぶりしないか。端的にいえば、立ち位置をなるべく対極に設定することです。

    まず一条華子と鹿子木。

    この二人は、浜本より年長者という点では共通しますが、一条華子は女であり、取引先の女将、つまり外部の人間です。鹿子木は男で、会社の上司、すなわち内部(身内)の人間です。


    一条華子・・・女性・・・外部。

    鹿子木・・・・男性・・・内部。


    というふうにキャラ分けしています。

    二人とも浜本に怒るのだけど、怒り方も少しちがっています。

    一条華子にとっては、よその子なので、怒り方にも理性がある。誇りをもって仕事をしなさい、という怒り方です。

    鹿子木にとっては直属の部下なので、もっと感情的に怒ります。でも、そのあとで優しい。浜本が謝罪に行くというと、俺も行くよと言って、浜本は少し安心する。

    一条華子を描くときは鹿子木を意識し、鹿子木を書くときは一条華子を意識する。両者の相違点を意識しながら、読者がはっきり区別できるように描く。

    小説の場合、絵がないからこそ、セリフの口調もふくめて、キャラ分けはより明瞭でなければいけない。

    同様に、千原と岩田も対極に設定されています。

    千原は浜本と同期ですが、上司にあたります。ミスをした浜本に対して、上から冷たい言葉を浴びせます。逆に岩田は後輩です。ミスをした浜本に対して、からかったり、おちょくったりする態度を取る。


    千原・・・同期(上司)・・・上から・・・冷たい言葉を浴びせる。

    岩田・・・後輩・・・・・・・下から・・・からかう、おちょくる(明るく)。


    登場人物を対極に配置して、その相違点を意識しながら描く。登場人物のポジションがはっきりしているので、読者は人物相関図を頭の中に描きやすい。これも読みやすさの工夫の一つです。

    物語のセオリーだと思うけど、できていない作品は意外と多いです。この役とこの役、キャラかぶりしているんだよなあ、というドラマはたくさんあります。

    書き手の意識が低いのだと思う。そこで作家の力量が分かるといっても過言ではないくらいに思っています。


    もう一つは、主人公(浜本)のキャラクターをどうやって立てるか。

    個性的なキャラクターにしようとして、探偵役を「天才、ゆえに変人」風に仕立てるミステリー小説は山ほどあります。「普通じゃない」感をすごく出す。

    たとえば髪はグレー、ぶかぶかの汚い服を着ている。いつも体育座りをしていて、極端に猫背。顔はイケメンか、逆にブサイク。体型はガリガリか、逆にぶくぶく。ひどい花粉症で、偏食家で、ヘビースモーカーで、虫が嫌いで、一日の睡眠時間は12時間。熱狂的なアイドルオタクで、語尾に「にゃん」を必ずつける。

    そんな人がいたら確かに個性的ですが、いかにもウケを狙っていて、見え透いています。こういうキャラクターの立て方をするのは、想像力に乏しい作家の所業だと思う。

    では、どうやってキャラを立てるか。そもそも個性とはなにか。

    僕は、個性とは人間関係のなかで発揮されるものだと考えています。

    無人島に一人きりで暮らしていて、個性的という人はいない。誰とも関わらず、それどころか誰にも知られず、無人島に一人きりでいるとしたら、ある意味(言いすぎかもしれませんが)、この世に存在していないのと同じです。

    個性とは、人間関係のなかで発揮されるものです。

    Aがいて、Bがいる。Aの個性はBとの関係性において発揮されるし、Bの個性はAとの関係性において発揮される。

    もしAが死んだら、Aとの関係性で発揮されるはずだったBの個性も死んでしまう。Bのなかの一部も死ぬことになります。

「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」(『ロング・グッドバイ』村上春樹訳)という有名なセリフもあります。

    誰かと別れるのは、その人との関係性で発揮されるはずだった自分の個性も死ぬことを意味します。その個性は二度と浮かびあがることはない。

    文字通り、少しだけ死ぬことです。

    たとえば、あなたが広島カープのファンだったとして、もしこの世から広島カープというものがなくなったら、広島カープを応援することによって発揮されるはずだったあなたの個性も死ぬことになります。

    ボケがあってツッコミが活きる。ツッコミがあってボケが活きる。それぞれ単独では持ち味を発揮できない。一方が死ねば、他方も死ぬ。相互依存的な関係性において発揮されるのが個性です。


    話を戻します。

    浜本のキャラクターを立てようとするから間違えるんです。浜本の個性は、彼の周辺にいる人間たち(一条華子、鹿子木、千原、天野、岩田)との関係性において発揮されると考えなければいけない。

    そしてこの五人のなかで、特に重要な役割を負っている人間がいます。

    それが岩田です。岩田は、ただの脇役ではありません。

    では、また次回。

木元哉多さんのnoteでは、この先の回も公開中!

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次回の更新は、10月9日(土)20時です。

Written by 木元哉多(きもと・かなた) 

埼玉県出身。『閻魔堂沙羅の推理奇譚』で第55回メフィスト賞を受賞しデビュー。新人離れした筆運びと巧みなストーリーテリングが武器。一年で四冊というハイペースで新作を送り出し、評価を確立。2020年、同シリーズがNHK総合「閻魔堂沙羅の推理奇譚」としてテレビドラマ化。


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