第29話 ひと息つく間もなく、立浪に大河内の言葉が襲いかかる

文字数 3,512文字

「はい、立浪ですが」
 立浪は、平静を装い名乗った。
『「帝都プロ」の大河内だ。はじめまして、でいいのかな?』
 落ち着きのある低い声からは、動揺や動転は感じられなかった。
「私の記憶では、面識はないはずですが」
『なんでだろう? 君とは初めて喋る気がしないんだよな』
 大河内が意味深(いみしん)に言った。
「いつも大勢の人と話しているので、記憶がごちゃまぜになっているんでしょう。それより、私になにかご用ですか?」
立浪は、ジャブを放った。
 まずは、大河内の出方を見たかった。
『立浪さんも人が悪いな。時は金なりが私の座右の銘だから、単刀直入に言わせて貰う。広瀬君のところのスクープを、別のものに差し替えてほしい。あんな記事が掲載されたら、広瀬君は違約金で首を吊らなければならなくなる。彼は私の弟分のようなもので、芸能界のいろはから教えたものだ。身内が苦しんでいるのを放っておけなくてね』
 大河内の口調は穏やかではあるが、ようするにアイミーと広瀬の記事を揉み消せということだ。
「記事を差し替えるとは、どういう意味でしょうか?」
立浪は、話につき合うことにした。
『アイミーの不倫ほどの破壊力はないが、十分に販売部数を伸ばせるだけのスクープだよ』
 大河内が、自信満々に言った。
 自信があるのはネタというよりは、相手を従わせることに違いない。
「因みに、どんなレベルのネタですか? 記事を差し替えるにしても、内容がわからないと検討できませんから。もちろん、タレント名を言う必要はありません」
 噓――検討などする気はない。
 大河内の手持ちのカードを探っておきたかった。
 敵に関する情報は、少しでも多いほうがいい。
『だから、販売部数を伸ばせるだけのスクープと言っただろう? それだけで、検討材料としては十分だと思うがな』
 やんわりと、大河内が圧力をかけてきた。
 つべこべ言わずに、記事の差し替えに応じろ、ということなのだろう。
「十分かどうかは、こちらが判断することです」
 立浪は、きっぱりと言った。
 受話口から、大河内の低い笑い声が聞こえた。
「なにかおかしなことを言いましたか?」
『広瀬君の言う通りだな。君は私の名前を聞いても臆さなかったそうじゃないか。その自信は、どこからくるのかな?』
「大河内社長が怒らせたら怖い人だということは、いろんな人から聞いて知っています。でも、私は広瀬社長を怒らせても大河内社長のことを怒らせるようなことはしていませんから」
 立浪は、淡々とした口調で言った。
『広瀬は俺の弟同然だと言っただろう。弟が破滅寸前に追い込まれているんだ。怒るには、十分過ぎる理由だと思うがな』
 広瀬君から広瀬、私から俺……大河内が本性を現し始めた。
「その弟さんが、当時未成年の所属タレントと不倫していたんです。その記事が出ることで弟さんが窮地(きゅうち)に追い込まれたとしても、自業自得、身から出た錆です。同情の余地はありませんね」
 立浪は、無感情に言い放った。
『たとえそれが事実でも、お前に広瀬を裁く権利があるのか?』
大河内が、押し殺した声で訊ねてきた。
「私に裁く権利はないですね。でも、大河内社長が私を止める権利もありません」
 立浪には、電話の向こう側で歯ぎしりしている大河内の姿が見えるようだった。
 大河内の影がちらつくだけでテレビも週刊誌も報道を自主規制するのが暗黙の了解になっている中で、面と向かって歯向かわれたのだから怒りは相当なものだろう。
 構わなかった……というより、それが目的だった。
 大物実業家気取りの男の仮面を剝がし、悪魔の素顔を晒(さら)すことが……。
『単なる命知らずの馬鹿か、正義感に酔っている馬鹿か。どっちにしても、一週間後もいまと変わらない生活を送りたいなら、記事を差し替えたほうがいい』
 大河内が、ドスを利かせた声で恫喝(どうかつ)してきた。
「もしかして、脅しですか?」
立浪は、人を食ったように言った。
『まさか。芸能界の仕組みがわかっていない無知な愚か者に教えているのさ。毒キノコと食用キノコの違いをな。数分で命を落とす猛毒キノコを口にしたら大変だろう?』
受話口から、ふたたび大河内の笑い声が聞こえた。
「レクチャーありがとうございます。でも、私は毒キノコを好んで食べる食癖(しょくへき)なのでご心配なく。ほかの人が間違って口にしないように、私が全部食い尽くしてやりますよ」
 立浪は、不敵な口調で言った。
『思い出した』
不意に、大河内が言った。
「なにをです?」
『昔、お前とよく似た男がいたことを思い出したよ。「毎朝スポーツ」の記者で、頑なな男だった。どんな飴(あめ)にも靡(なび)かず、どんな鞭(むち)をも恐れず……記者の鑑(かがみ)のような男だった。男は、ある芸能事務所のタレントのスキャンダルを報じた。その芸能事務所は大手で影響力があり、どこのマスコミも報道を自粛した。ところが、男はどんな圧力にも屈さずにスキャンダルを記事にした』
 立浪のスマートフォンを握る手に力が入った。
『俺は、目から鱗(うろこ)が落ちる気分だった。この世の中に損得抜きで動く人間がいるとは……いや、損しかないとわかっているのに信念を貫き通す男がいるとは、感動したよ。ああいう漢がいれば日本もまだまだ捨てたもんじゃないってな』
 立浪は奥歯をきつく嚙み締めた。 
『だが、人は見かけによらないものだ。ある日、その記者が金沢のヤセの断崖から投身自殺を図ったという新聞記事を見て、俺は我が眼を疑った。あんなに意思の強い男が、自分の記事で芸能界から抹殺されたタレントに罪の意識を感じて命を絶つなんてな。いまでも、その記者のことを思うと胸が痛むよ』
 芝居がかった口調で語り続ける大河内に、立浪の膝が震えた。
「なにが言いたいんです?」
平常心を搔(か)き集め、立浪は訊ねた。
『いや、お前と話しているとその記者を思い出したのさ。そういえば、名前も同じ立浪だった。物凄い偶然だな。まさか、親子じゃないよな?』
 大河内の高笑いが、立浪の理性を焼き尽くしそうになった。
 立浪は深呼吸をし、喉元まで込み上げた怒声を堪(こら)えた。
 怒りでは、大河内を仕留めることはできない。
「あなたの思い出話に付き合っている暇はありませんから、もう切りますよ」 
 平静を装い、立浪は言った。
『芸能界の先輩として、忠告させてくれ。信念を貫くのは立派だが、彼のように自殺したらすべてが水泡に帰す。本当に大事な信念を見極め、どうでもいい信念をときには曲げることも覚えたほうがいい。差し替えの記事は編集長に送っておくから、それを入稿すれば平穏な日々を送ることができる。わかったな?』
高圧的な物言いで、大河内が念を押してきた。
「わかりました」
 立浪は即答した。
『やけに素直だな。五年前に自殺した立浪さんより、お前のほうが賢明なようだ。それでいい。今回は、記事さえ差し替えればほかは水に流してやる。まあ、これもなにかの縁だ。なにか困ったことがあったら、「帝都プロ」の大河内の名前を出してもいい。政治、芸能、スポーツ、ヤクザ……どの世界の揉め事も解決するはずだ。だが、次に楯突(たてつ)いたら……』
「大河内社長。なにか勘違いしてませんか? 私がわかりましたと言ったのは、あなたが五年前も同じように立浪さんを恫喝し、従わなかったから自殺にみせかけて殺したということですよ」
 大河内が息を呑む気配が電話越しに伝わってきた。
『お前、自分が誰にたいしてなにを言ってるのか、わかってるのか?』
大河内が、剣呑(けんのん)な口調で言った。
「もちろん、わかってますよ。大河内社長のほうこそ、置かれている状況がわかってますか? 広瀬社長の心配より、自分の心配をしたほうがいいですよ。私は、あの程度のスキャンダルで満足する男じゃありませんから」
 立浪は、挑発的に言った。
『お前、五年前の負け犬みたいに自殺したくないなら、やんちゃもそのへんにしておけ。俺の堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒は、そんなに丈夫にはできてないからな』
 大河内が、挑発し返してきた。
 嚙み締めた奥歯が欠けた――握り締めたスマートフォンが軋(きし)んだ。
 立浪は眼を閉じ、深呼吸を繰り返した――昂(たかぶ)る感情を静めた。
十秒、二十秒……。
「賭けましょうか? 私が自殺するのが先か? 大河内社長が牢屋に入るのが先か?」
立浪は、カッと眼を見開き大河内に宣戦布告した
(第30話につづく)

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