②新世代の科幻作家
文字数 2,809文字
今夏、第一部が邦訳された劉慈欣のSFシリーズ『三体』は、中国ではすでに中国SF史ひいては中国文学史の里程標として評価されている。私たち日本人もこの異色の大作を狭義のSFのジャンルにとどめず、より広いコンテクストのなかで理解するべきだろう。私自身は中国のSF=科幻の専門家ではないが、できる範囲で、文献紹介も兼ねつつ『三体』の文化史的な位置づけを概観しておきたい。
(「群像」2019年11月号掲載)
ともあれ、SFはある意味で武俠小説以上に、中国文学史におけるマイナーなジャンルであった。だからこそ、香港や台湾ではなく中国大陸で『三体』が大ベストセラーになり、ケン・リュウ(劉宇昆)による英訳を経てヒューゴー賞まで受賞したのは、まさに異例の事件だと言ってよい。
劉慈欣は一人で中国SFを世界水準にまで高めることで、中国SFをめぐる状況そのものを変えてしまった(なお、彼の世界的成功はケン・リュウが通常の翻訳者の域を超えて『三体』をアメリカ向けに「編集」したことも大きい。川端康成や村上春樹にも言えることだが、アジアの作家にとって優秀な英訳者がいるかどうかは決定的な意味をもつ)。昨今の中国SFは、10年前では想像もできなかった空前の活況を呈している。SFにおける劉慈欣を、武俠小説における金庸に比す見解も一部にあるが、それも決して過大評価ではない。
劉慈欣は1963年生まれのエンジニアであり、すでに1990年代から作家としてのキャリアを積み重ねてきた。彼の他にも1948年生まれの王晋康、一九六五年生まれの韓松、1971年生まれの何夕らが有力なSF作家に数えられる。今世紀に入ってからは、80後(1980年代生まれ)の若手作家や女性作家も次々とSF界でデビューを果たした。そればかりか、SFは今や娯楽産業の拠点として大きな注目を集めている。劉慈欣の短編小説「流浪地球」(2000年)は今年映画版が大ヒットとなったが、今後も中国SFの映画化は続くだろう。
ここで見逃せないのが、この新世代のSF作家の出自として清華大学、北京大学、上海交通大学、浙江大学等の名門大学の理系の卒業者、さらに新聞社の記者が多いことである④。今の中国SFは、アカデミズムやジャーナリズムの近傍にいるエリートたちによって担われている。これはゼロ年代に華々しく登場し、10代の若者から広範な支持を集めた80後の韓寒や郭敬明が、学歴社会からドロップアウトしてマルチタレント的な作家の道を進んだことと、ちょうど対照的である。
ただ、『三体』があまりにも突出しているため、中国SFというジャンル全体が一時のブームを超えて、世界文学として定着するかは未知数である。中国近現代文学研究の大家である王徳威──繁体字版『三体』の表紙に「劉慈欣は21世紀中国文壇の最も注目すべき作家である」という推薦文を寄せている──は2年前の講演で、ヒューゴー賞を受賞した郝景芳(清華大学で物理学を学んだ1984年生まれの女性作家)の「折りたたみ北京」(2014年)に否定的に言及しつつ、中国SFの文体が総じて「粗糙」であると見なして、SFの高潮はすでに過ぎ去ったと厳しく評していた⑤。実際、劉慈欣はともかく、それ以降の若手作家たちを手放しで評価するのは早計だろう。
さらに、劉慈欣自身の政治性も問題含みである。例えば、昨年ドイツの新聞『ディー・ツァイト』のインタビュアーが、劉慈欣に対して今の中国は『1984』のような監視社会になりつつあるのではないかと問いかけたところ、彼は99%の中国人はそんなことに関心はないと返答し、残り1%の人権活動家についてはどうかというインタビュアーの追及には、そのような少数派には現実生活では会うことはないと述べる。インタビュアーはこの発言に長い注釈をつけて、中国共産党の機関紙『人民日報』で文学界のスターとして礼賛されている劉慈欣は、ベストセラー作家ではあるが政治思想家でも公共的な知識人でもないと厳しく批判した⑥。
中国の小説家に対して、安全地帯からこういう一方的な判断を下すのはさすがに酷だが、中国の体制側が劉慈欣およびSFというジャンルを囲い込んでいることは、中国SFの行く末を占ううえで重要だろう。今年に限っても『人民日報』では映画版『流浪地球』──滅亡の危機に瀕した地球にエンジンを取りつけて太陽系からの脱出を企てるという荒々しいストーリーは、往年の日本の特撮映画のようでもある──の成功を受けて、中国的な考え方を背景とした「国産SF映画」に期待を寄せる記事がしばしば書かれた。『三体』を筆頭とする中国SFは、今や国家的なコンテンツ戦略の尖兵として公式に歓迎されているのだ。
少なくとも、劉慈欣は世代の近い余華(1960年生まれ)や閻連科(1958年生まれ)のように検閲や発禁処分と向き合う戦闘的なタイプではない(西洋の価値観からすれば、共産党に洗脳されているのではないかという疑惑が生じるのも無理はない)。劉慈欣に対して礼賛一辺倒の日本のメディアや言論人よりは、欧米のジャーナリズムのほうがまだ批評性があるというものだろう。それでも、中国SFのあり方を一変させた『三体』のインパクトが減じるわけでもない。私たちはひとまず、現代中国のSFブームが、中国の文化史を画する異例の事件であることを弁えればよい。『三体』はある意味では内容以上に、その効果が重要なのである。
④ 現代のSF作家たちのプロフィールについては、董仁威『中国百年科幻史話』(清華大学出版社、2017年)が詳しい。
⑤ 王徳威「科幻文學的高潮已経過去了」『毎日頭條』(2017年6月13日)https://kknews.cc/culture/y638z3k.html
⑥ 下の中国語のサイトを参照http://toments.com/974304/ドイツ語の原文は以下で読める。https://www.zeit.de/zeit-magazin/2018/42/science-fiction-autor-liu-cixin-china
政府のプロパガンダとも見紛う発言をする劉慈欣とのすれ違いの感覚は『ニューヨーカー』のインタビュアーがうまく描き出している。Jiayang Fan, “Liu Cixinʼs War of
the Worlds”, The New Yorker, June17 2019. 以下サイトで読める。https://www.newyorker.com/magazine/2019/06/24/liu-cixins-war-of-the-worlds
【福嶋亮太】
文芸評論家。81年生まれ。著書に『神話が考える』『復興文化論』『厄介な遺産』『百年の批評』など。