爆弾、拳銃、青酸カリを隠し持つ6人の刺客!史上最悪の結果を呼んだテロ。

文字数 2,256文字

「われは知る テロリストの かなしき心を」(石川啄木)。テロは民主主義にとっての脅威である。しかし、暗殺が歴史のうねりを加速させた例は数多い。そんな暗殺事件から世界の歴史を俯瞰する。(年齢は事件当時)
死者1700万人を招いた「サンドウィッチ」と「妻への愛」

オーストリア=ハンガリー帝国皇太子夫妻暗殺事件〈サラエボ事件〉1914

オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公(50)とその妻ゾフィー妃(43)を暗殺したカヴリロ・プリンツィプ(19)は、第一次世界大戦勃発の「引き鉄」を引いた人物として知られる。


しかし、この暗殺を成功させたのは、ある意味、大公自身の“慈悲深さ”とのいくつかの“偶然”なのである。


6月28日、バルカン半島にあるボスニアの州都・サラエボを、軍事演習の統監を目的に訪問していた大公夫妻は、オープンカーに乗って市庁舎に向かっていた。


そこに、歓迎の群衆に紛れていた一人の青年が爆弾を投げつけたのだ。しかし、爆弾は狙いから逸れて、後続の車を破損させ、随行員や群衆数人を傷つけただけだった。無事だった大公は「爆弾を投げつけるのがお前らの歓迎か」と車上大喝したという。


爆弾を投げつけたのは、チャブリノビッチという青年。彼はバルカン諸国の一つであるセルビアの民族主義者秘密組織「黒手組」の一員だった。黒手組はセルビア軍将校を中心とした組織。セルビア人居住地域、特にオーストリア帝国の領土となっていたボスニア・ヘルツェゴビナのセルビアへの併合を目指していた。


そして、この日、黒手組は大公を暗殺すべく、6人の若者に拳銃や爆弾、さらには自決用の青酸化合物を渡し、各所に配置していたのだ。


チャブリノビッチは爆殺失敗後、毒を飲んだうえで川へ飛び込んだが死にきれず、群衆にひどいリンチを受けた後で、警察に逮捕された。そのうえ、爆発音を聞いた他の刺客たちも、暗殺を諦めて持ち場を離れてしまったため、大公夫妻は無事市庁舎に着くことができた。


しかし、大公は、ここで予定外の行動に出る。“心優しくも”先の爆発騒ぎで傷ついた人を見舞うため、病院に行くことを希望したのだ。あるいは、民族主義が隆盛を極め、領内各地で独立運動を抱えていたオーストリア帝国の皇太子としては、ここで”王族の徳”を見せるべきだと感じていたのかもしれない。


当然、警備は手薄とならざるを得ないため、大公はゾフィー妃に別行動を勧めたが、妃がどうしても同行することを主張したため、夫妻は一緒に病院へ向かうこととなった。


さらに、大公にとって不幸な偶然が重なる。病院へ向かう途中、運転手が道を間違えてしまったのだ。そのため、正しい道に向かうため車をバックさせていると、ちょうどそこにいたのが、黒手組が用意した刺客の一人、カヴリロ・プリンツィプだったのである。


一旦暗殺を諦めたプリンツィプが、近くにあった食堂「シラーの店」でサンドウィッチを食べて店を出たところ、バックしてくる大公の車が見えたのだ。プリンツィプはボスニア・ヘルツェゴビナ生まれのセルビア人で、セルビア民族主義を奉じる学生だった。


そんな“愛国青年”の前に、突如、無防備な獲物が現れたのだ。しかも、車はちょうど、シラーの店の前で停車。車に近づいたプリンツィプは拳銃の引き金を引いた。


至近距離から放たれた2発の弾丸は、過たずソフィー妃の腹部と、大公の胸の上部に命中。大公は苦しい息の下で「死ぬな、ゾフィー、子供たちのために生きてくれ」と叫んだというが、二人は間もなく息を引き取った。


この日、6月28日は、二人の14回目の結婚記念日であった。

ゾフィーはチェコの貴族の出身で、王族ではなく、二人はいわゆる貴賤結婚であった。そのため、二人の間に生まれた子どもには皇位を継がせないことを条件に結婚を許されている。


結婚後も、ゾフィーは公の場で大公の隣に座ることも許されていなかった。だが、この日は軍事演習視察の名目であったため、「皇太子」ではなく「陸軍元帥」フェルディナントの妻として、夫の隣に座ることが許されていたのである。

一説には、結婚記念日に妻に「皇太子妃気分」を味合わせてやりたいと、大公は危険を承知で、この視察を敢行したとも言われる。


ちなみに、大公は若い日に世界一周旅行を経験しているが、その際、日本にも滞在している。長崎で茶屋遊びをしたり、箱根で左腕に龍の入れ墨を入れたりしている。大公は胸にも蛇の入れ墨を入れており、プリンツィプの銃弾は、ちょうどこの蛇の頭を貫いていたという。


一方のプリンツィプは、犯行直後に毒を飲んだが効果はなく、拳銃自殺を試みたところで、群衆に取り押さえられた。どうやら、渡された青酸化合物は変質して毒性を弱めていたようだ。


この暗殺事件をきっかけに、オーストリア帝国はセルビアに宣戦布告。これにより、複雑な同盟関係を結びあっていた欧州各国は、第一次世界大戦の泥沼に陥ってしまうのである。第一次世界大戦の死者数は、確実に統計が取れているだけでも、戦闘員が約900万人。非戦闘員もあわせれば犠牲者は1700万人を超える。


裁判にかけられたプリンツィプは、未成年だったために死刑をまぬがれ、20年の懲役を科されたが、1918年大戦終結の数カ月前に、結核によって獄死した。

『オーストリア皇太子の日本日記』フランツ・フェルディナント/著、 安藤勉/訳(講談社学術文庫)
『ハプスブルク家の女たち 』江村洋/著(講談社現代新書)

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