①中華圏におけるSF

エピソード文字数 2,412文字



 今夏、第一部が邦訳された劉慈欣のSFシリーズ『三体』は、中国ではすでに中国SF史ひいては中国文学史の里程標として評価されている。私たち日本人もこの異色の大作を狭義のSFのジャンルにとどめず、より広いコンテクストのなかで理解するべきだろう。私自身は中国のSF=科幻の専門家ではないが、できる範囲で、文献紹介も兼ねつつ『三体』の文化史的な位置づけを概観しておきたい。

(「群像」2019年11月号掲載)





 中国大陸は長らくSF不毛の地と見なされてきたが、2008年に原著が刊行された『三体』はそれを一変させた。『三体』に続く『黒暗森林』『死神永生』から成るシリーズ三部作の驚異的な売り上げによって、著者の劉慈欣は一躍、10ヵ国以上で翻訳される大注目の作家になったのである。


 そもそも、中国でSFが長らく根づかなかったことには文明論的な理由がある。「怪力乱神を語らず」という『論語』の有名な言葉が示すように、中国の知識人は総じて、超自然的なファンタジーを語ることには禁欲的であった。形而上学的な書物ではなく『史記』や『漢書』のような歴史書こそが、優れた古典として敬われたのも、その事実尊重の精神のあらわれである。それは日本で、公的な歴史書以上に『平家物語』や『太平記』のような在野の物語文学が歓迎されたことと、好対照をなすものだ。中国基準で言えば、著者の経歴も定かではないこれらの日本のフィクションは、胡散臭いサブカルチャーにすぎないだろう。


 経験的な事実を重んじる中国人の態度は、虚構作品にも及んだ。『西遊記』や『水滸伝』というタイトルは、たとえ荒唐無稽なフィクションであっても歴史的な記録という装いが求められたことを示している。異能の武闘家たちが活躍する20世紀後半の金庸の武俠ファンタジー小説ですら、歴史的事実に立脚していたからこそ、中華圏で広く受け入れられたのだ。面白いことに、魯迅はこうした傾向を茶化す風刺作品を書いている。彼の代表作「阿Q正伝」の冒頭では、おしゃべりな語り手が列伝、自伝、内伝、外伝等のタイトル案を列挙し、あれでもないこれでもないと悩んでみせるが、それは中国のこの根深い歴史主義の巧妙なパロディとなっていた。


 したがって、SFのような現実離れしたジャンルは中国の知的風土から最も遠いものである。とはいえ、中華圏全体を見ればSFの水脈を見出すことができる。すなわち「怪力乱神」を自由に語る環境を育ててきたのは、香港のような辺境の都市であった。


 かつて加藤周一はイギリスやフランスとの比較において、日本を「雑種文化」と形容したが、それを言うならば香港はある意味で日本以上に雑種的であり、その文化は西洋と東洋のごった煮である。ブルーノ・マカエスに倣って「香港人はある意味で最初のユーラシア人[ユーロ+アジア]である」と評してもよいくらいだろうそして、そのハイブリッドな風土では中国本土で排除されたものこそが繁栄した。中国文学者の金文京が言うように、香港では張愛玲や李碧華のような女性作家が人気を博する一方、SF、ミステリ、武俠のような通俗小説が多くの読者に歓迎されたが、これらはいずれも中国では異端的なもの、つまり「怪力乱神」を語るサブカルチャーである。文化的な次元において、香港はまさにあべこべの中国なのだ。


 特に、SFの分野を開拓したのが1935年生まれの倪匡である。上海から香港に逃れ住んだ倪匡は1963年以降「衛斯理(Wisely)」シリーズ──筆名と主人公の名がともに衛斯理で、一連のSF冒険小説として人気を博した──を発表し続けるとともに、SFに限らずミステリからポルノに及ぶあらゆる通俗的なジャンルを書きまくり、その著作の数は300を下らない(なお、妹の亦舒も香港の多作な人気作家であり、今はカナダに移住している)。まさに「書く機械」として驀進してきたその姿は、香港の雑種文化のシンボルと呼ぶにふさわしい。世界じゅうの華人を対象にした中国語SFの文学賞が「倪匡科幻奨」(2001年〜2010年)と名づけられたことからも、そのSF史での存在の大きさがうかがえる


 さらに、香港の大衆作家たちが文学のなかだけで閉じなかったことも注目に値する。武俠小説の第一人者で2018年に亡くなった中華圏の巨人・金庸も、自らが創刊した『明報』でジャーナリストとして活躍し、映画の脚本も手掛けた多芸な作家であった(菊池寛を一回り巨大にしたような作家と考えれば分かりやすい)。倪匡もやはり膨大な量の脚本を執筆しつつ、海外渡航中の金庸のピンチヒッターとして『明報』で連載中の武俠小説『天龍八部』を代筆したこともあった。彼らは豊富な現実認識とメディア横断的な感性を武器にしながら、SFや武俠小説を書き続けてきたのである。


① Bruno Maçães, The Dawn of Eurasia, Penguin Books, 2018, p.11.

 金文京「香港文学瞥見」可児弘明編『香港および香港問題の研究』(東方書店、1991年)所収。この論考は香港文化に関する水際立ったレビューであり、一読をすすめる。

➂ 倪匡の熱烈なファンである王錚の自伝『来找人間衛斯理│倪匡與我』(風雲時代、2019年)で語られるように、反共的な立場を明らかにし、権力者への風刺と自由尊重を旨とする倪匡の小説は、1988年に大陸では禁書扱いになった(86頁)。大陸の読者は盗版(海賊版)で衛斯理シリーズに触れたのである。ちなみに、倪匡は東野圭吾の愛読者で、『白馬山荘殺人事件』はダメだが、『白夜行』はすごくいいとのこと(190頁)。



 

【福嶋亮太】

文芸評論家。81年生まれ。著書に『神話が考える』『復興文化論』『厄介な遺産』『百年の批評』など。

 

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