『青い春を数えて』武田綾乃/託宣と零墨(守屋和希)
文字数 3,032文字


「学校だけがすべてじゃない」
小学校、中学校、高校時代、そういわれたことはないでしょうか。たしかにそれは正しいことばです。けれど、そうだとしても、正しいだけのことばです。リアリティのある社会として存在するのは学校だけ、というひとも多いでしょう。思春期のわたしたちは、思春期の視点で悩みます。そしてそれは大人になるほどシリアスにとらえることがむずかしいものです(かくいうわたしも、もはやその一員です)。だからこそ大人はこうした言葉を投げかけるわけですが、そこに深刻さの共有がなければ説得力はかんじられません。その点、本書『青い春を数えて』は、青春と呼べるほどさわやかではない、高校生のままならなさに寄り添ってくれる真摯な短編集です。
第1章「白線と一歩」では部活動が舞台です。放送部の「優しい3年生」である主人公知咲(ちさき)、はただひとりの同期である「全国大会常連の3年生」有紗への好意とコンプレックスを同時に抱いています。知咲はそんな有紗から、部になじめていない「有望な1年生」唯奈(ゆいな)のフォローを頼まれます。有紗は家庭の事情で最後の全国大会に出場できず、代わりに実績を出せる者として、有紗より劣っていると認められるのが怖くて大会に出られない知咲ではなく、1年生の唯奈を選んだのです。そのことで知咲は有紗と口論になり、つくりあげた「優しい」自己像のなかの、臆病だが高いプライドを飼い慣らせていない本心を暴かれてしまいます。傷ついた知咲は慰めにきた唯奈にも厳しいことばをかけてしまい、さらなる自己嫌悪に陥ります。しかし、そんな知咲を救うのも唯奈でした。知咲の「優しい」顔に救われた唯奈は、知咲の「優しくない」本心ですら肯定するほど知咲を好いていたのです。そうして他者から承認されたことで、現実の自分を受け入れて前に進む力を得た知咲は、大会に出場することを決意します。
このように本作品では、過剰な自意識によって覆われた主人公の本心に気づくひとが現れ、その出会いによって主人公が救われ、より自分らしく、より開放的に生きられるようになります。また、その抑圧には多くの場合、価値観の未分化な学校という場に無視しがたく存在する、定められたレールからの逸脱を許さない空気が原因します。
第2章「赤点と二万」の主人公である菜奈は、効率よく、損をしないように、「常識的」なよい人生を送ることを第一とし、クラスメイトで部活に励む知咲を内心で馬鹿にする、受験に使わない科目では平気で赤点を取るなど、大学受験に必要なこと以外への努力を軽視しています。その一方で、自分には常識以外の道標が存在せず、もしそれが幸せに導いてくれなかったらと不安を覚え、そうした人生の余剰を謳歌できるひとへの嫉妬も抱えています。敷かれたレールに拘泥している彼女が「優等生」長谷部君との交流によって、自分の嫌な部分も自分として認め、前進できるようになります。
第3章「側転と三夏」では打って変わって高校一年生の真綾(まあや)が主人公です。彼女は料理が趣味で、自作のお弁当やお菓子の写真をSNSにアップし、そこで姉の咲綾(さあや)や親友の泉、そのほかの知人から高評価をもらうことでささやかな承認欲求を満たしています。そんなある日、咲綾が突然思い立って猫模様のカップケーキをつくろうとし、大失敗します。咲綾は真綾に比べると不器用で要領が悪いのです。しかし、咲綾には突出した長所──愛嬌があります。じっさい、彼女の焼いたグロテスクな猫ケーキを真綾がいつものようにSNSにのせたところ、大きな反響があり、それから彼女の投稿には彼女自身ではなく咲綾の料理を望む反応が現れます。自尊心を傷つけないために他人に助けを求められない真綾でしたが、咲綾のなんの気なしのことばのおかげで肩の力を抜くことができるようになります。
第4章「作戦と四角」では真綾の親友の泉の視点で物語が進みます。彼女は外部から貼られた性別などのレッテルで自信を判断されることを厭い、スラックスにシャツ、ネクタイで登校する生徒です。彼女はレールに沿っては満足に生きられません。そして、その感覚を他人から理解されることを諦めています。しかし、偶然電車で出会った、自分がどう見られるかを重視する「とんでもなく可愛い美少女」清水(しみず)から、思想の相違がありつつも理解しようと歩み寄られたことで、見られたい姿こそがほんとうの自分だと自信を持っていえるようになります。
第5章「漠然と五体」を読んだあなたは頭を抱えることになるでしょう。わたしは抱えました。完ぺきな短編を紹介するすべをわたしはまだ知らない。ただただ読んでほしいという気持ち。
レールから外れることを怖がりながらもそこに息苦しさを覚える「無個性」な少女、細谷が、クラスメイト──前章でも登場した「特別」な少女──清水に手を引かれて学校をサボタージュし、電車を乗り継いで(=レールを自分たちで切り替えて)うら寂れた駅にたどり着きます。清水はレールがあるがゆえに、そこから外れることで自己主張をするタイプの人間です。細谷とはなにもかもが対極で、だからこそ彼女が夢に見た存在でもあります。そんな清水との逃避行は、安易に人生から逃げてはいけない、辛くても苦しくてもひとりでも、たとえ無個性なままでも、それでも生きていくしかないと細谷にかんじさせます。
また、講談社BOOK倶楽部(https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000312172)に本作のスピンオフ書下ろし掌篇が2作掲載されています。彼女たちに対する理解が深まりますので、ぜひ本編の読了後に読まれることをおすすめします。
本作は青春期の高校生が自分として生きようとする切実さを描いたものです。いま生きにくいとかんじている方はすこし肩の力が抜け、そうした真剣さを失ったとおもっている方にはちょっぴりの緊張感を与えてくれる、きっとそんな一冊になるでしょう。
(書き手:守屋和希)


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