『Cocoon 修羅の目覚め』/夏原エヰジ 1巻まるっと太っ腹試し読み④
文字数 9,934文字

最強の花魁×異形の鬼!
毎日1章ずつ公開していく「毎日コクーン」、第4回めです(チョイ長)!
四
幽暗なる空間を、瑠璃はたった一人で歩いていた。
まっすぐの道は、人一人がやっと通れる程度の広さしかない。肌に触れる空気は冷たく、瑠璃の足音だけが響く。瑠璃は灯りも持たず慣れた様子で、黒で塗りつぶされた一本道を進んでいく。
どれだけの距離を歩いてか、微弱な風を感じ取り、手を前に伸ばした。梯子のような木の感触が細い手に伝わる。瑠璃は梯子を慎重にのぼっていった。二十段ほど上がってから、再び手を伸ばして上を探る。冷たい鉄の感触を手に確かめて、それを押し上げた。
黒羽屋にある瑠璃の部屋は、騒がしい笑い声にどたどた走りまわる音、そして奇々怪々な者たちであふれかえっていた。
座敷と布団を敷く部屋、納戸、三間続きの部屋の襖はすべて取り外されて大広間のようになっている。部屋中に空の銚子や猪口、丸い陶器の酒瓶、酒の肴を載せた台の物が散乱し、昼間は綺麗に整えられていたはずの部屋は、酒宴によって滅茶苦茶になっていた。
瑠璃は納戸の畳をさらにぐっと押し上げ、地下通路から上半身だけ這い出した。
「てめえら……」
低くうなり、奇っ怪な者たちをねめつける。
「はっ」
座敷で珍妙な踊りを披露していた髑髏(がしやどくろ)と、笠を首にかけた狸が、殺気に気づいて凍りついた。納戸を背に囃し立てていた者たちも一斉に固まり、後ろを振り返れないでいる。
尾が二本に裂けた白い猫又。異様に大きな頭にほっかむりをした袖引き小僧。伸び放題の長髪を無造作に結んだ山伏姿の若い男。長い茶色がかった髪を胸の辺りで束ねた、こざっぱりとした美女。加えて部屋中には、無数の怪火が飛んでいる。
手足を滑稽に振り上げたまま固まる髑髏と狸、その他一同は、おそるおそる納戸の方を振り向いた。
地下の隠し通路から完全に這い出た瑠璃は、畳と鉄が一体になった仕掛扉を後ろ手で降ろした。ダン、と大きな音に全員が縮み上がる。瑠璃は双眸をぎらりと光らせ、般若のごとき形相だ。
「ふふふ、なんとも楽しそうだねえ。ここが誰の部屋かわかってるのかい? 主不在の部屋で乱痴気騒ぎとは、覚悟はおできかえ……」
剣吞な笑い声が部屋中に浸透していく。狸は今や涙目である。
「おお、瑠璃。早かったではないか」
寒々とした場の空気を無視して、美女の膝上でくつろいでいたさび柄の猫、炎が瑠璃へと歩み寄った。
「炎、お前、今朝の約束はどうしたんだいっ。わっちが戻ってくるまで宴は始めるなと言ってあったろう。それをこんな、まだ大引け前だってのに、飲んで食って散らかしてっ」
部屋中が怒声に呼応するように振動して、妖たちは白目を剝いた。狸は、がばば、と泡を吹いている。それでも炎だけはどこ吹く風だ。
「よいじゃないか。どうせ片づけをさせられるのは、お前でなく双子なんじゃし」
「何ぃ?」
瑠璃は頰を引きつらせた。
「そんなことより、権三も帰ってきたのであろう? 奴の作る肴は別格のうまさじゃからのう。まだ油坊の酒もたっぷり残っておることじゃ、お前も腰を落ち着けよ」
部屋の主に向かって腰を落ち着けろ、とは随分な言いようである。他の妖たちは次に来る雷に備えてかまえたが、瑠璃は意外にも深いため息をついただけで怒りを収めた。
「っとに、仕方ないねえ。おい、白(しろ)。今から着替えるからちょいと変化して、喜の字屋に台の物の追加を頼んできな」
瑠璃は黒い着流しの帯を解きながら、猫又に向かって声をかけた。
「ひっ?」
真っ白の毛に緑と青の瞳をした猫又は一瞬たじろいだが、すぐにぼふん、と靄をあげ、幼い禿に変化した。
禿姿になった白が急ぎ足で遣いに行っている間に、瑠璃は妖たちの目の前で堂々と着替えを始めた。人ならざるものの前だとどうでもいいのか、眩しいほどの真珠肌を惜しげもなくさらす。その胸元には二寸ほどの、刀傷のようなものがうっすら見えた。まわりには三点、傷を囲むように小さな黒い痣が並んでいる。
素肌に赤の長襦袢を着て、額仕立てをした棒縞の黄八丈の小袖を襲ねる。紅赤の帯を適当にぐるぐると巻いて、端に突っこんだ。普段の花魁業では湯文字や蹴出しを下に着て、小袖も三枚、前帯に仕掛を二、三枚は襲ねるのだが、今は仕事ではないので楽な格好がいいようだ。
瑠璃の怒気が引っこんだのに胸を撫で下ろした妖たちは、座敷から中央の布団部屋へと集まってきた。瑠璃も着替えを終え、畳に腰を下ろす。片膝を立てて大胆に見えている柔な太腿が、白さを放っている。
「花魁の体は、いつ見ても白玉みたいにきれえですよねえ」
着替えの一部始終を遠慮なく見ていた狸が、うっとりと言った。
「でも瑠璃って胸はまな板並だよなっ。かかかっ」
髑髏は胡坐をかきながら、カタカタ音を鳴らして笑う。
瑠璃の目がまた鋭く光ったかと思うと、髑髏の頭に力任せに拳を叩きこんだ。
頭蓋骨にひびが入り、髑髏は悲鳴を上げた。その瞬間、全身の骨が消え失せ、頭蓋骨だけが畳の上にごろんと落ちた。
「がしゃ、瑠璃だって年頃の女なんだから、そういうこと言うのはおよし」
きゃああ、と女子のような悲鳴を上げ続ける頭蓋骨を、薄茶色の髪の美女がたしなめた。紫陽花の花びらを散らした白上げの単衣に、やたら縞の帯を締めた瀟洒な装い。落ち着いた雰囲気の二十代後半、といった風貌だ。
「うるせっ、この若作り山姥っ」
美女は瑠璃と同じく目をぎらりと光らせ、がしゃに追加の拳をくらわせる。
頭蓋骨がぴし、と鳴って亀裂が深くなった。悲鳴がさらに切ないものになる。
「露葉は妖だからわかるが、普通の女は骨にひびなんて入れられないぞ。しかも素手って……。相変わらずの怪力だな、瑠璃」
丸い陶器の酒瓶と猪口を持って、山伏姿の若い男が瑠璃の隣に座りこんだ。丸瓶には「油」という字が大きく書かれている。がしゃを忌々しげに睨んでいた瑠璃は、丸瓶を見て、おっ、と目を輝かせた。
山伏姿の男が酌をして、瑠璃は一息に酒をあおった。まろやかな舌触りに心地よい香りが鼻に抜け、体中に熱が染み渡る。目を細めて、深い感嘆のため息をついた。
「これだよ、これ。やっぱり油坊の酒は日本一だねえ」
猪口を上にかざし、恍惚とした表情で中の酒を見透かすように眺める。
その様子を見た油坊は、にかっと笑った。部屋中を飛びまわる怪火も、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
怪火を操るこの油すましは、山奥で趣味の酒造りをしては、ときおり山から下りてきて瑠璃たちに振る舞ってくれるのだった。見た目は山伏の格好とぼうぼうの長髪で傾奇者、といった出で立ちだが、精悍な体つきに力強い眼差しをした、なかなかの男ぶりである。
ほどなくして、禿に変化した白が蛸足膳の台の物を重ね、自分の背丈よりも高くなったそれを危うくふらふらさせながら、部屋に戻ってきた。油坊が手を貸し、台の物を下ろしてやる。白は重荷を解かれてほっとしたのか、ぼふんと靄をあげて猫又の姿に戻った。
「白、早かったじゃない。権三さんの料理……じゃないのね」
油坊が適当に並べる台の物をのぞきこみながら、露葉はがっかりした顔をする。
「しょうがないじゃないですかあ。権三さんだって、今しがた大門をくぐって帰ってきたばかりですよ。花魁が人使い荒いモンだから、大慌てで準備してくれてます」
「人使い荒くて悪かったな」
瑠璃は猪口を口にしつつ白猫を睨んだ。
帰ったばかりの時より殺気が薄れているためか、白は睨みを気にすることなく、大げさに息を吐いて畳の上に寝転がった。
「まったくもう、この前だって他の姐さんらの禿が出払ってるからって、いきなり道中に参加させられたんですよ。禿二人に化けるのって、すっごおく疲れるんですから」
猫又の白は、吉原で気ままに暮らす野良であったが、変化の力があるため瑠璃につかまり、禿として道中に出ることもままあった。
「ねえ花魁、まだ禿をとらないの?」
瑠璃の三倍はある大きさの頭を、ほっかむりで包んだ袖引き小僧、長助(ちょうすけ)が尋ねた。
白も期待のこもった視線を向ける。だが当の瑠璃は、台の物を口へ運ぶのに忙しそうだ。
「禿なんて、めんどくさいからごめんだね。楼主さまともそういう約束で花魁になったんだし、これからもとるつもりはないよ」
酒で肴を流しこみながら、投げやりに答えた。
吉原で働く遊女は、姉女郎として禿や新造を育てる仕事も負う。大見世の遊女ともなれば、禿と新造あわせて四、五人を抱えることも少なくなかった。日常で必要な食や衣裳、一本立ちのために必要な費用はすべて姉女郎が持つ。禿や新造は姉女郎の身のまわりの世話をしながら遊女として仕込まれ、やがて一人前になるのだ。
しかし、瑠璃は最高級の位を与えられていながら、禿を一人もとっていなかった。本来ならばありえないことだが、瑠璃に限っては特殊な裏事情のために許されている。道中で瑠璃の前を行く禿は、大抵は朋輩の遊女から借りてやりすごすことが多い。抱えの禿や新造がいないことは不便でもあったが、瑠璃は錠吉を自分専属の髪結い師にしたのと同じくわがままを通して、特別に一人身を貫いているのだった。
こっちはいい迷惑ですよ、と白が二本の尻尾を畳にぽんぽん叩きつける。
「せめてお恋(れん)が狸らしく人に変化できれば、アタシの負担も軽くなるんですけどねえ」
寝転がったまま頭をずらし、狸を緑と青の目でじと、と見た。
お恋と呼ばれた狸は鮨を夢中で頰張っていたが、白にいきなり話を振られて慌てふためいた。
「わ、わわ、私は、狸といっても信楽焼の付喪神ですしっ」
目を泳がせ、茶色の毛で覆われた前足をぶんぶんと振る。
付喪神とは、長い年月をかけて器物が魂を持ち、妖となったものをいう。お恋の正体は、百年かけて魂が宿った信楽焼であった。
「信楽焼の狸って、普通は雄だよなあ? なんでお恋は女っぽいんだ」
瑠璃と露葉にひびを入れられ、泣きわめいていたがしゃであったが、いつの間にかそのひびが跡形もなく消えてけろりとしていた。不思議そうにお恋を見つめる。
「さ、さあ。持ち主が女子だったからとか、そんな感じですかね……」
「だから、お恋は正確には狸じゃないんだっての」
油坊ががしゃに突っこむ。お恋はかあっと赤くなった。狸の毛でわからないが、赤くなったように瑠璃には見えた。
「お前さ、わっちが戻ってきた時、がしゃと腹踊りしてなかった?」
男か女かという話より、まずはそっちを恥ずかしがれよ、と呆れる瑠璃に、お恋はますます口ごもる。突然ばいん、と不思議な音を立てたかと思うと、毛のある狸から信楽焼の姿になってしまった。
「何か、限界超えちゃったみたいだね」
同じくお恋の恥じらいの様子に気づいていた露葉が言った。信楽焼は沈黙している。がしゃが、かっかかかっ、と大笑いをする。
瑠璃はがしゃの爆笑を無視して、台の物と酒を再びかっこみ始めた。
「白はなぜか男なんじゃよな」
炎が白い猫又に向かってにんまりと笑った。
「なぜか、って余計ですよ。アタシはれっきとした男ですう」
白は寝っ転がったまま科を作ってみせる。長助が太い指で優しく白の毛を撫でると、うにゃん、ととろけた表情で腹を見せた。
「炎は? おとこ? おんな?」
白の腹を撫でながら、長助はつぶらな瞳で炎を眺める。
「そういえばそうだよな。俺、勝手に炎は男だと思ってたけど。おい炎、どっちなんだ?」
油坊も炎を問い詰める。
「さあの。儂にもどっちかわからんのじゃ。体は一応、雌のようじゃが。まあどちらにせよ、大して変わりはせんよ」
炎は言って、畳に置かれた猪口をぺろぺろとなめた。露葉がそれに酒を注ぎ足してやる。
「炎てさ、男か女かもそうだけど、歳も謎だよね。じじくさい喋り方するけど若く見えるし、尾も一本だから猫又ってわけでもなさそうだし」
露葉もやはり首をひねっていた。
「お前が中身は婆なのと一緒だよ、露葉。妖に歳なんざ関係ねえのさ、かかかっ」
上機嫌で笑うがしゃに向かって、空になった陶器の酒瓶が投げられた。がしゃは再び悲鳴を上げた。
辺りを包んでいた清搔の音はいつの間にやら細くなり、浅草寺の低い鐘の音が響いてきた。
吉原は大引けの時刻を迎えていた。各座敷の酒宴も静まり、黒羽屋の妓たちはすでに床入りをしている様子だ。
瑠璃の部屋の襖がふいに開く。一人の童子が、台の物を抱えて入ってきた。
「おう栄二郎、いいとこに来たね。もう肴がなくなったから、そろそろ呼びに行こうかと思ってたんだよ」
瑠璃は童子をにこやかに迎えた。
部屋では相変わらず妖たちの酒宴が続いている。栄二郎はうずたかく積まれた台の物を、器用に布団の間へと運んだ。
「花魁。権さんが花魁にって、ほら、うな丼だよ」
栄二郎はにこにこしながら、巨大な丼が載った膳を瑠璃の前に置く。
「わあ、嬉しいねえ。正直ちまちました仕出しだけじゃ足りないと思ってたんだよ。今日は鬼退治で体動かしたから、腹が減っちまってさ」
「そうでなくても、いつも特盛の丼めしを要求してるじゃねえか」
不機嫌そうな声がして、栄二郎と瓜二つの顔が部屋に入ってきた。こちらは銚子がびっしり並んだ大きな膳を抱えている。
「体を動かしたなんて、どの口が言うんだか。最後に止め刺しただけのくせに。権さんなんか、帰ってくるなり大忙しだったんだぜ。仕込んだのだけじゃ足りないから、俺も手伝いに駆り出されてさ」
「文句言ってんじゃないよ豊二郎。お前こそ手伝いとか言って、権さんの足手まといになってる、の間違いじゃないかえ」
早速うな丼を頰張りながら、瑠璃は豊二郎を不審げに見た。
双子の豊二郎と栄二郎は十三歳、黒羽屋の若い衆見習いである。
若い衆の仕事は喜助と呼ばれる、布団の上げ下げ、客と遊女の間を取り持つ二階まわしや、遊女の部屋の行灯に油を差してまわる不寝番、客引きをする妓夫など様々だ。兄の豊二郎は料理に興味を持ち、料理番である権三のもとで料理人の見習いもしている。
妓楼では、喜の字屋と呼ばれる仕出し屋から台の物を取り寄せるのが主で、妓楼の中の調理場では、簡単な肴や遊女たちの朝餉を作るだけだ。しかし元は料亭の板前だった権三は、大柄な体格からは一見想像できないような、繊細で味わい深い料理を作ると評判であった。廓遊びとは別に、権三の料理が目当てで来る客も多いほどだ。
誰が足手まといだっ、と豊二郎は息巻いた。妖たちがどっと笑い声を上げる。
双子は妖たちを見ても慣れているようで、特に驚きもしない。膳を運び終わると、忙しそうに部屋を後にした。
「して、此たびの鬼退治はどうじゃった」
炎が瑠璃に水を向ける。
「膂力は大したモンだったけど、格付けするなら中の下ってとこかな。角も小さかったし、鬼哭もそこまでって感じ。橋の上に夜毎出ては、通るモンを川で溺れさせてたみたいだよ」
瑠璃は早々とうな丼を食べ終え、腹をさすりながら言った。妖たちは権三の作った料理に舌鼓を打ちながら話を聞いている。膳の上には美しく盛りつけられた筍羹や蛤の杉焼き、椎茸と海老のしんじょなどが載せられていた。
「どうして鬼になっちゃったの?」
長助が蛤を頰張りながら尋ねる。
「詳しいことはわからん」
白けたように言った瑠璃は、ふっ、と表情を曇らせてつけ加えた。
「ま、何もわからんのではわっちも気分が悪いから、例のごとく錠さんに調べてもらうことにしたけどね」
「そもそも鬼は、アタシら妖となにが違うんですか?」
白が体を起こし、畳の上にちょこんと座りなおした。
「妖の大半は妖として生まれるが、鬼は人がなるものじゃ」
猪口の酒をなめつつ答えたのは炎だ。
「夜叉とか羅刹ともいわれるがの。哀しみや怒り、色んな恨みを遺して死んだ者が、鬼となって再び浮世に現れる。幽霊と呼ばれるものよりもっと、力は強いがな。恨みの強さはそのまま膂力の強さとなり、並では到底歯が立たん。だからこそ、黒雲が存在するのじゃ」
深怨の情を捨てきれずに死んだ者は、額に角を生やした鬼となり、負の力をもって生者を死にいたらしめる。鬼の発する鬼哭は聞く者の精神を握りつぶし、黒く染まった鬼の爪は標的の体をたやすく切り裂く。古代よりこうした鬼の存在は、世の人々を脅かしてきた。
人の数だけ、恨みの数も増す。人々が群集し暮らす江戸は、その分鬼の出現が多かった。しかし尋常ならざる力を持つ鬼に、普通の加持祈禱や退魔の術は通用しない。おまけに角の大きさと鬼の力の強さは比例しており、角が大きければ大きいほど皮膚は硬く、膂力も桁外れになっていく。
そこで約五十年前に結成されたのが、黒雲という、鬼に対抗できるだけの能力を持つ者たちの暗躍組織であった。
その正体は世間では謎とされているが、実は吉原の最高級妓楼である黒羽屋こそが、黒雲の根城だった。職種や年齢を問わず人が集まる吉原は、情報を集めるのに都合がよい。黒羽屋は創立当初から裏稼業として黒雲を結成し、鬼の脅威から江戸を守ってきた。
瑠璃は四代目の黒雲頭領である。錠吉、権三、豊二郎、栄二郎の四人は黒雲の構成員として瑠璃を支え、護衛をしている。
黒雲の秘密を共有するのは当の五人とお内儀であるお喜久(きく)、楼主の幸兵衛、遣手のお勢以だ。退治の依頼が来るたび、お喜久が瑠璃たちに指示を出し、莫大な額の報酬と引き換えに、秘密裡に鬼退治をさせていた。
表向きはお内儀でも、妓楼としての業務にお喜久が関わることはほとんどない。どこから多額の報酬が出ているのか、依頼人とどのようなやり取りをしているのかなどは瑠璃を含め、黒雲の誰も知らされていなかった。
もうすぐ四十を迎えるお喜久は、常に淡々と任務内容を伝えるだけで、瑠璃たちに有無を言わさず、質問をする暇も与えない。瑠璃にとっては苦手な相手だった。
「おいら見たことないんだけどさ、花魁って、どうやって鬼退治をしてるの?」
長助はさらに疑問をぶつけた。
「どうって。ほら、あすこに刀あるだろ。飛雷ってんだ、あれでさっと斬るんだよ」
瑠璃は壁に立てかけてある黒刀を、親指で雑に示した。
鍔のない黒刀は柄や鞘にも、何の飾り気や艶もなく、黒さだけが際立っている。異様な気を感じ取って、がしゃは飛雷を見ながら身震いした。
「いつ見ても気味悪いよなあ、あの刀。妖刀なんだろ? 一体どこで手に入れたんだよ」
飛雷から思わず目をそらし──といっても目はないのだが──がしゃは瑠璃に問いかける。
お前が気味悪いとか言えるのかい、と言いながら、瑠璃はつっけんどんに答えた。
「知らん」
「知らんてお前」
がしゃは口をあんぐりさせている。
瑠璃の代わりに、炎が話を引き取った。
「飛雷は、瑠璃が幼い頃からともにあったのじゃ。こやつは五歳の時に、あれと一緒に大川を流れてきてな。浴衣の裾に飛雷が引っかかり、それが川沿いに生えていた葦に引っかかっていた」
炎は当時を思い返すように目をつむる。
「儂もその頃からこやつと一緒におる。川で死にかけていたところを芝居役者、椿惣右衛門(つばきそうえもん)に拾われて育てられたのじゃが……」
「えっ、椿って、もしかして椿座? 花魁てばそんなすごい人に拾われたんですか。役者と一緒に生活してたってことですよね」
江戸で知らぬ者はいない有名な役者の名前が出たので、白は思わず話を遮った。
「別に大したことじゃねえし、下働きさせられてただけだ。そういや慈鏡寺の安徳(あんとく)さま、椿座によく遊びに来てたけど、長いこと会ってないなあ」
瑠璃の口ぶりはまるで他人事だ。
「惣右衛門に拾われた時、すでに瑠璃の中には強い力が宿っておった。自分がどこから来たのか、どうして刀と川を流れておったのか、すべての記憶を失っていたがの。特に力を発揮することもなく暮らしておったのじゃが……三年前、惣右衛門が突然に死んでしまった」
「炎、その話はするなって言っただろ」
昔語りをする炎を、瑠璃は鋭い目で睨んだ。あからさまに機嫌が悪くなっている。
「ええっ。おいら、もう少し聞きたいなあ……駄目?」
潤んだ瞳で長助が言うので、瑠璃は深々とため息をついた。
炎はその様子をちらと見て、話を戻した。
「惣右衛門には、惣之丞(そうのじょう)という息子がおった。この男が、瑠璃のことをとことん毛嫌いしておってな。惣右衛門が死んですぐ、黒羽屋に瑠璃を売り払ってしまった。瑠璃が十五の時じゃった」
「何それ、ひどいじゃないの。惣之丞っていったら天下の女形、千両役者でしょ。嫌いだからって女を売るなんて、許せない」
露葉は怒りに任せて白の尾を握りしめた。とばっちりを受けた白猫の悲鳴がこだまする。
「黒羽屋に売り飛ばされた時、ここのお内儀が瑠璃と妖刀に目をつけよった。鬼と対峙させて、眠っていた力を無理やり引き出したんじゃ」
瑠璃は話の途中ですっくと立ち上がった。納戸に向かうと、越前簞笥の一番下の抽斗を開け、飛雷を底にしまいこむ。上から乱雑に衣裳を載せていく。
炎はかまわず続けた。
「錠吉の錫杖、権三の金剛杵は法具でな、特殊な法力がこめられておって、鬼に痛手を負わせることができる。じゃが、完全に祓うことはできん。双子の唱える経文もしかり、あれはあくまで鬼の可動域を封じるもの。貫くことができるのは飛雷だけじゃ。その上、飛雷は瑠璃しか主として認めぬ。他の者が抜こうとすると、必ず不自然に怪我をしてしまう。じゃから瑠璃だけが、鬼を完全に退治することができる」
妖たちは興味深そうに炎の話を聞いていた。瑠璃はというと、再び片膝を立てて座り、つまらなそうな顔で長煙管に葉を詰め、ふかしだした。白く、ほのかに甘い香りの煙が漂う。白がすんすんとその香りを嗅いだ。
「俺らみたいな妖と関わるようになったのも、力を引き出された時からか?」
油坊が尋ねた。瑠璃は煙を細く長く吐き出している。
「そうさ。昔から色々と見えてはいたんだけどね、でもそれだけだった。廓に来てからは自然と集まるようになっちまって、今じゃほら、このとおり」
そう言って煙管をくわえると、今度は信楽焼に向かってふうっと煙を吐いた。
「な、何だか、花魁に惹かれてここに来ちゃったんですよね、私」
煙を当てられて、信楽焼が狸に変化した。
わ、戻った、と長助はお恋をキラキラした瞳で見つめる。その様子に露葉が微笑む。
「不思議だよね。妖が見えるモンなんて、昔に比べて今じゃめっきり少なくなっちまったし、人とこんな風に深く関わることなんて、もうないと思ってた。でも、瑠璃はあたしら全員をまっすぐ見て、こうして一緒に酒を飲んでる」
人を陽とするならば、妖は陰の存在である。彼らの姿を見ることができるのは、ごく限られた者のみだった。実体のある炎や白、お恋はともかく、他の妖にいたっては存在すら気づかれない。見る力を持っているのは黒羽屋の中でも黒雲の五人とお喜久、津笠(つかさ)という遊女だけだ。
瑠璃も露葉と視線を交わして、まんざらでもなさそうに笑みをこぼした。
「おっと、もう台の物も酒もなくなりそうだね。白、またひとっ走り行っといで」
「えぇ……」
二度目の遣いを言い渡された白は、心底嫌そうな声を漏らした。
「いよっ、さすがは天下の瑠璃花魁、気前がいいねえ。そんじゃ、瑠璃と俺らの出会いを再び祝して、今宵は飲み明かそうぜ。ほれお恋、俺を持て。踊りの続きだっ」
「は、はいっ」
お恋はあたふたと頭蓋骨を両手で持ち、珍妙な踊りを再開した。よっ、ほいさ、とがしゃが適当な掛け声を上げる。
「お前はお恋に持ってもらってるだけだろ」
瑠璃が呆れたように言い、酔いがまわった一同は腹を抱えて笑いだした。
長い夜はまだまだ明けることなく、賑やかな酒宴も笑い声とともに続いていった。
夏原 エヰジ(ナツバラ エイジ)