第10話 犬好き。これをうまく使ってDV俳優を網に掛けろ

文字数 3,916文字

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「ほらほら、ミッキー、そこは汚いからこっちにおいで」
「代官山(だいかんやま)蔦屋(つたや)書店」の敷地内――「ナイキ」のトレーニングウエアに身を包んだ立浪(たつなみ)は、アプリコットのトイプードルを散歩させていた。
 立浪は、四、五メートル離れた場所にある駐車場から注意を逸(そ)らさなかった。
 この界隈(かいわい)は、芸能人やスポーツ選手の出現率が高い。
 だからといって、網を張ってターゲットを捕獲しようというわけではない。
「何歳ですか?」
 柴犬を連れた相良(さがら)が、他人を装い訊(たず)ねてきた。
 紺のクラシックベースボールキャップ、白のパーカー、デニム……相良は、アメリカンカジュアルで身を固めていた。
「三歳の男の子です」
 立浪は笑顔で答えた。
「いまが男盛りですね。ウチのはいま一歳になったばかりで、やんちゃ盛りです」
 相良も笑顔で言った。
 二人とも、意識は駐車場に向いていた。
 周囲からは犬好きの二人が愛犬を連れて、他愛(たわい)のない立ち話をしているようにしか見えない。
 因(ちな)みに二頭は、レンタルドッグショップの犬だ。
 ターゲットを長時間張り込んでいるときに犬を連れていると疑われ難(にく)いので、「スラッシュ」ニュース部ではたびたびレンタルドッグを利用していた。
 
 ――保(たもつ)さんは水曜日に、オスカル……愛犬のことですけど、代官山のトリミングショップに予約を入れてあります。私が外で彼に同行できると確実に言える日は、その日しかありません。普段はマスコミを警戒して、近所のコンビニにも一緒に行かない人ですから。
 ――そんなに警戒心の強い性格なら、トリミングショップに犬を連れて行くのも誰かに頼むんじゃないんですか?

 立浪の脳裏に、一昨日に恵比寿(えびす)のラウンジバーで交わした杏奈(あんな)との会話が蘇(よみがえ)った。
 
 ――それはないです。保さんはオスカルを溺愛していますから。オスカルのためにドッグフードの原料を勉強して、わざわざ北海道の工場にオーダーして作らせているほどです。だから、トリミング中もオスカルが怒鳴られたり叩(たた)かれたりしないかを心配して、ずっと付き添っているんです。
 ――それは凄(すご)いですね。柏木(かしわぎ)が自らトリミングショップに行く理由はわかりましたけど、
どうして杏奈さんが一緒に?
 ――オスカルはビションフリーゼという、カットが難しくて有名な犬種です。なので、トリミングに三時間以上かかるんです。保さんはトリミングショップから離れないので、飲み物とか食べ物は私が買い出しに行くことになっています。

 杏奈の話を要約すると、柏木がトリミングショップで溺愛する愛犬に付き添っている間、使い走りにするために彼女を同行させるということだ。

「もうすぐですよね?」
 相良が囁(ささや)いた。
 立浪は頷(うなず)き、スマートフォンのデジタル時計に視線を落とした。

 14:45

 ――保さんは、三時に予約を入れてます。二十メートルくらい離れたところにある敷地内のショップ専用駐車スペースに車を駐めて、オスカルを抱いてトリミングショップに向かいます。私とのツーショットを撮るなら、その二十メートルしかチャンスはありません。
 ――ただ歩いているだけでなくカップルらしい画(え)がほしいんですが、たとえばトリミングショップに入るまでに腕を組んだりできますか?
 ――外でそんなことをしたら、すぐに腕を振り払うか離れると思います。
 ――では、こうしましょう。トリミングショップの前で犬を連れた僕が、素敵な犬ですね、と柏木に話しかけます。外面(そとづら)のいい柏木は、犬を散歩させている僕を近所の住人だと勘違いして愛想よく対応するはずです。相良がそのシーンを撮影しますから、杏奈さんはできるだけ彼に寄り添い笑顔で見上げてください。

「柏木は警戒心の塊(かたまり)ですから、杏奈さんじゃなくてマネージャーを付き添わせる可能性は十分に考えられますよね」
 相良の囁きで、立浪は回想の扉を閉めた。
「それはないだろう。マネージャーを連れてくるなら、最初からそうしていたはずだ。これまでも彼女は、何度も付き添ったと言っていた。柏木には、奴隷が必要なんだよ」
「奴隷ですか?」
「そう、奴隷だ。柏木のテレビ業界での評判はよくて、監督やプロデューサーだけでなく、照明、音響、美術なんかの裏方まで彼を悪く言う人間は一人もいない。関係者が口を揃えて言うのが、柏木はいつもニコニコして、腰が低く、気遣いのできる人というものだ。一度でも仕事をしたスタッフの誕生日には、メッセージカードと花束を贈るらしい。恐らく奴は、事務所でも気を遣いまくっていい人を演じているだろうから、マネージャーをパシリとして使うことはできない。だから、自分が好きなように扱える杏奈さんを同行させているんだよ」
 立浪は相良に持論を展開しながら、駐車場に出入りする車のチェックを欠かさなかった。
 柏木の車は芸能界でも愛好者が多い、メルセデス・ベンツのGクラスだ。
「ようするに、柏木にとって杏奈さんはストレスの捌(は)け口ということですね?」
 相良が訊ねてきた。
「いつも無理してあちこちにいい顔しているから、杏奈さんにつらく当たったり暴力を振るったりすることでバランスを取っているんだろう。言いかたを変えれば、柏木が素のままの自分を見せられるのは杏奈さんだけだ」
 立浪は皮肉交じりに言うと、腰を屈(かが)めてトイプードルの頭を撫(な)でた。
 いくら犬を連れていても、男二人が長時間立ち話をしているのは目立ってしまう。
「奴隷にしていた女に地獄に突き落とされることになるなんて、柏木は夢にも思ってないでしょうね。飛ぶ鳥を落とす勢いのフェミニスト俳優の正体はDV魔……これが記事になって杏奈さんの崩壊した顔が掲載されたら、五年前の高岡翔真(たかおかしょうま)以来の衝撃ですね」
 相良の口から出た超人気俳優の名前に、立浪のトイプードルを撫でる手が止まった。

『高岡翔真 15歳少女と飲酒淫行 暴かれた朝ドラ主役の素顔』

 立浪の脳裏に、社会現象にまでなった元国民的俳優のスキャンダルを報じるスポーツ紙の一面の見出しが蘇った。
 五年前……当時三十歳の高岡は八クール連続でドラマの主役を張り、容姿端麗で爽(さわ)やかなイメージもあり十四本のCMを抱えていた。
 超のつく売れっ子にもかかわらず高岡はスタッフにも腰が低く、偉ぶるところのない性格で業界関係者からの評判は最高だった。
 スキャンダルとも無縁で品行方正を絵に描いたような男……聖人君子を地で行く高岡のスキャンダルが報じられたときに、世間は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
 十五歳の少女に飲酒させた上に性行為に及ぶ……高岡のイメージは失墜(しっつい)し、二十億円近い違約金が発生した。
 不幸中の幸いは、高岡の所属事務所は二十億円の違約金を払える業界最大手の「帝都(ていと)プロ」ということだった。
 スポーツ紙に高岡のスクープが掲載されたときに、各マスコミは驚きを隠せなかった。
 それは、高岡が飲酒淫行を起こしたことについてではない。
 そもそも、高岡が聖人君子などとはマスコミの誰一人として思っていなかった。
 以前から、高岡のロリコン癖(へき)はマスコミ関係者の間では有名な話だった。
 販売部数だと数倍、視聴率だと五パーセントはプラスが見込める大スクープをテレビも雑誌も報じなかったのは、「帝都プロ」を恐れてのことだった。
「帝都プロ」の代表である大河内(おおこうち)は三十代という若さで、創設者の父から継いだ中堅の芸能事務所を僅(わず)か五年で業界最大手にまで成長させた。
 人との信頼関係を重視していた先代とは違い、二代目は目的を果たすためならどんな悪辣(あくらつ)な手段も厭(いと)わなかった。
 金とタレントを餌(えさ)に政治家やヤクザを背後につけ、テレビ局とマスコミを権力と恐怖で支配した。
「帝都プロ」の所属タレントが不祥事を起こしても、マスコミはなかったことのようにスルーするのが〈暗黙の掟(おきて)〉になっていた。
 一人の新聞記者によって、〈暗黙の掟〉は破られた。
 しかも、ターゲットになったのは「帝都プロ」の稼ぎ頭であり国民的人気俳優だった。
 大河内の顔色を窺(うかが)い、テレビも週刊誌も後追い報道を自主規制した。
 だが、一度報じられたスキャンダルをスポンサーが見過ごすはずもなく、「帝都プロ」は莫大(ばくだい)な違約金を背負うとともにドル箱タレントを失った。
 数週間後、掟破りの大スキャンダルは新聞記者の自殺という意外な結末を迎えた。
 一人のタレントの人生を奪ってしまった罪の意識に苛(さいな)まれ、命を絶った新聞記者。
 石川県のヤセの断崖から身を投げたという新聞記者の死因を、疑うものは誰もいなかった。
 新聞記者がスクープするたびに精神を病んでいたら、命はいくつあってもたりない。
 そもそも、自殺するほどに罪の意識を感じるようなメンタルの持ち主だったら、自主規制して記事にはしない。
 子供でも浮かぶような疑問を口にするマスコミ関係者は、誰一人としていなかった。
 みな、心ではこう思っているだろう。
「毎朝スポーツ」の立浪新之助(しんのすけ)は、地雷を踏んでしまったと……。
(第11話につづく)

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