第7話

文字数 2,964文字

 それは10日間、同じ劇場で合計40回も繰り返される。

 「花のトップステージを飾る、相田樹音嬢の登場です。盛大な拍手でお迎えください。」



 その日、樹音さんが 34回目のステージを終えた後、師匠が私の肩を叩いた。特に待ち合わせはしないが、今日来るということはだいぶ前から聞いている。何しろ北海道から神奈川の劇場まで足を伸ばすのだ。思い立ってふらっと立ち寄る、という距離ではない。


 ストリップ劇場には作家・桜木紫乃のファンが多く、あちこちから声が掛かった。その隙に、私はそっと席を離れる。楽屋口はすぐ後ろにあった。今日は特別に、ここへ入ることが許されている。樹音さんから、私の髪型にそっくりな、つまり金髪ボブのかつらを探しておいて欲しい、と頼まれていたのだ。


 ボストンバッグを肩に、鉄の階段を降りていく。裏側はダンジョンのように薄暗く、複雑な造りだった。通路に明かりが溢れる大部屋が踊り子たちの楽屋で、出演する6人がそれぞれの鏡の前で、盛大にお店を広げている。化粧道具や衣装、ステージで使う小道具やお客からの差し入れ。部外者には境界線がさっぱりわからない。


 もうこの場所に何年も住み着いているようにも見えるが、彼女たちはここへ来てまだ9日しか経っていないはずだ。しかもきっちり10日で、全員がここを去って行く。ひと月を10日ごとに、頭・中・結と分けるのは、ストリップ業界独特のカレンダーだ。


 通常5~6人で香盤は組まれるが、全く同じメンバーが同じ場所に揃う可能性は、限りなく低いだろう。ずっと変わらないことを前提に繰り返す日々は、ある種の人間にとっては息苦しくてたまらない。先が見えている安心は、退屈とも呼べる。


 おつかれさまでした、の声で我に返る。トリを飾った全裸の踊り子が、汗だくで楽屋に戻ってきた。おつかれさまです、と声をかけるが、誰もが自分のことで忙しい。樹音さんは、前の回でお客が撮影した大量のポラロイドにサインを入れている。


 それが終わると、かつらをあっという間に装着して、私に着替えるよう指示を出した。最後に真っ赤な口紅を渡されて、こっくりと塗り込めば双子が出来上がる。歯が紅く染まらないように、ティッシュを咥えることも教わった。


 そして、踊り子たちの衣装が幾重にもかかった壁を横這いに進み、一緒にステージ袖へと向かう。この壁も、明後日には全く別の衣装で見えなくなっているのだろう。



 午前11時半から始まる一日4回公演のうち、2回目のフィナーレだった。休日ともなれば、最も混雑している時間帯である。


 音楽が鳴り、樹音さんと手を取りあってステージに登場した私を見て、師匠が叫んだ。


 「お前そこで何やってんだあ!」


 初めて「お前」と呼ばれた。びっくりしすぎて怒り笑いみたいな顔をしている。大成功だ。


 踊り子のひとりが誕生日を迎えるため、フィナーレ前に出演者総出のバースデーイベントが予定されていた。そこへ私が紛れ込み、座敷童のように踊り子が1人増える。よく見たら、書店員の新井じゃないか! と師匠を驚かせ、それでまた会場を沸かせるという仕掛けだ。そんなことを思いつくのは、樹音さんしかいない。


 シャンパングラスが配られ、師匠がお祝いのスピーチでしっかり笑いを取って、乾杯をした。客席の笑顔は、ステージからよく見える。たとえ無表情だって、こちらを向いている、というだけで笑顔と同じ意味だと知った。結婚式における新婦の父親のように、シャンパンをカーッと飲み干した師匠は、おかわりまでしていたから、相当うれしかったんだと思う。


 イベントが終わり、通常のフィナーレが始まった。踊り子のように背筋を伸ばして、下手へぺこり、上手へぺこり、全員一緒に正面へ向かって深くお辞儀をして、拍手に送られ袖へと引っ込む。お客として、その所作を何度も見ていたことが役立った。まるで共犯者のように見えていただろうが、実は驚かす方も、ここまでやるのか、と驚いていたのである。



 しかし樹音さんのイタズラは、そこで終わりではなかった。ステージ袖には赤と白のエレキギターが1本ずつスタンバイしている。演目は「裸の華」だ。桜木紫乃の小説「裸の華」の主人公は「ノリカ」という名だが、モデルは実在の踊り子「相田樹音」であり、樹音さんが小説「裸の華」を読み込んで、ストリップの演目に仕立てたのだ。それを、モデル本人が「ノリカ」になりきって踊るのである。


 1曲目は情熱的なラテン。赤いギターを受け取り、暗転したステージに手を引かれ、耳元で言われた通りにポーズを決める。かき鳴らしたギターに乗せて歌が始まり、パッと明かりが点いた時の師匠の顔。眼鏡の奥が点だった。ギターはアンプに繋がっていないが、丸腰ではないぶん、踊りやすい。樹音さんが下がる気配で花道へ進んだらもう、師匠は客席で踊っていた。


 2曲目はギターのリフが特徴的なロックナンバー。赤いギターであてふりできるくらいには聴きこんでいる。そして気付けばラストの曲、愛する二人の旅立ちを歌う壮大なバラードで、さすがにこの山場は引っ込むべき、と思ったものの、樹音さんのリードで絡まりながら花道を進み、寝そべって足を上げたり、開いたりした、と思う。


 恥ずかしさなどまるでなく、美しい踊り子がすぐそこに、時には腕の中にいることがしあわせで、鏡のように同じ動きをしたら、その人になれるとでも思っていたのかもしれない。ポーズを取るたびにリボンが飛んできて、仕込まれた色とりどりの羽根が舞い上がる。客席でも、サイリウムの光が揺れている。


 そして最後は、ステージに置いた椅子に私が腰掛け、樹音さんが背後で舞い、前へ差し出した私の両腕に、大量のリボンが飛んでは降り、受け止めては積もり、いったい何本用意してきたのか、もう十分だ、十分祝福された、と泣き出すくらい、リボンまみれになった。もう師匠の顔は、強いスポットライトと汗と涙で見えなくなった。そして、音が止み、照明が落ちる。


 舞台に出る直前、ワンピースの下に総スパンコールの短パンを穿かされたことの意味がわかったのは、全てを終えた後である。



 踊り終えたばかりの高揚が、樹音さんに冗談を言わせたのだろう。「みえかちゃん、踊り子になったら?」ステージ袖で、思わずハイと答えかけた39歳の私は、20年以上前、まだ高校生だった頃のことを思い出していた。夜の世界で働く7つ上の友人から、保険証を借りたのだ。


 大人っぽく見えるから大丈夫、これで面接受けてきな、と。条件反射のように受け取って、何も迷うことなどないと、素速く首を縦に振ったのだった。あんな風になりたいと思える人間に出会えたら、私は今すぐ、なりたいのだ。いつか、なんてあるかもわからないものを待つことができない。年齢も名前も偽ったが、自分の気持ちを偽ることはしなかった。


 高校の授業が終わると、着替えて歌舞伎町へ向かい、朝方タクシーで帰宅して、また遅刻せずに登校していた。掃除の当番で、机と椅子を一緒に持ってガタガタさせている自分が、数時間後の自分を思うだけで、可笑しくて仕方がなかった。


 翌日、書店員に戻ってレジに立っていると、ギターにでもぶつけたのか、手首に大きな青痣を見つけた。やっぱり可笑しくて仕方がなかった。


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