第8話 大人気のフェミニスト俳優がDV男だった!?

文字数 3,187文字

 古田の顔が、瞬時に強張(こわば)った。
「いいえ。正直に答えただけですよ」
「偉そうな能書垂(た)れてた割には……」
「いまのところはです」
 相良が、古田を遮った。
「あ? そりゃ、どういう意味だ!?
「女の相談に乗ると言ったでしょう? 彼女が協力してくれたら、裏取りのチャンスはいくらでもありますからご心配なく」
 人を食ったように、相良が言った。
「なに強がってんだ。そんなに警戒心の強い男が、簡単に写真を撮らせるわけねえだろうがっ」
「女とは、いつ会うんだ?」
 相良と古田のやり取りに、立浪は口を挟んだ。
「今日か明日のうちに段取ります」
「今日にしろ」
「立浪ちゃん、なに言ってるんだよ!? 証拠のある俺のネタはボツにしといて話だけのやわやわのネタを採用するって言うのか!?
 古田が血相を変えて、椅子から腰を浮かせた。
「誰が採用なんて言った? 写真がなければボツだ」
 立浪は、抑揚のない口調で言った。
「じゃあ、こいつのやわネタは写真が撮れれば採用なのか!? 俺と高岡のネタは裏取りが済んでるんだからさ、無駄に時間をかけずに……」
「時間をかけても、裏が取れれば部数が見込めるネタだ」
 立浪は、にべもなく言った。
「そりゃそうだろうが、女が嘘を吐いているかもしれねえし、そうじゃなくても写真が撮れるかもわからねえ。たとえ撮れたとしても、それは二人がつき合っているっつうことが証明されただけで柏木が女にDVしたって証拠にゃならねえだろう!?
 古田の口から飛び散った唾液が、テーブルを濡らした。
「証拠なんて必要ない。柏木保が女とつき合っているとわかる写真さえあればいい。女の顔に痣をつけた男が誰なのかが重要じゃなく、柏木保にDV癖があると印象をつけられれば部数は伸びる。読者に見向きもされない真実なんて、なんの価値もない」
 立浪は、感情の欠片もない瞳で古田を見据えた。
負け犬のような父の死が自殺で片づけられたのと同じ、報じられたことが真実だ。
「それじゃあ、冤罪(えんざい)だろうが!?
 古田の唾液が、ふたたび飛んできた。
「ホテルの前で撮られたツーショット写真だけで、不倫だと報じられたタレントがどれだけの数いたと思う? 相手の女がセックスしたと証言すれば、誰が疑う? だが、女が売名行為で嘘を吐いているかもしれないし、ホテルに入ったかもわからない。仮に入ったとしても、記者がセックスしている現場を目撃したわけじゃない。それでも、記事は成立してしまうし、読者にはそれが真実になる。たとえ二人に肉体関係がなくても」
「馬鹿にするんじゃねえ! 俺はな、この仕事に誇りを持っているっ。聞き込みやら張り込みやら、きっちり裏を……」
「編集部や記者のことを言ったんじゃない。読者の心理を言っただけだ。この話はここまでだ。相良。俺も同席するからセッティングしろ」
 立浪は古田との話を一方的に終わらせ、相良に命じた。
 女性に圧倒的な人気を誇る柏木保は、「スラッシュ」の読者層の興味の対象ではない。
 だが、交際相手に暴力を振るったとなれば話は別だ。
 フェミニスト俳優の正体がDV男……白馬に乗った王子様の化けの皮が剝(は)がされる記事は、世の男性の興味の的になる。
 人の不幸は蜜の味というのは、女性の専売特許ではない。
「わかりました。何時頃にしますか?」
「俺は合わせるから、できるだけ早くしてくれ」
「了解です。電話をかけてきます」
 相良が席を立った。
「さあ、気分を一新して二巡目のネタをプレゼンしてくれ!」
 ミーティングルームを出る相良の背中を苦々しい顔で見送る古田を、立浪は明るい声で促した。
                   ☆
 地下二階でエレベーターの扉が開くと、立浪の視界に青の景色が広がった。
三面の壁に埋め込まれた水槽――海底をイメージした幻想的な空間は、ラウンジバーというよりも夜の水族館のようだった。
 両サイドの水槽には目の覚めるようなカラフルな熱帯魚が様々な色で青を彩り、正面の特大サイズの水槽には三メートルはありそうなサメが悠然と回遊していた。
 周囲には小魚が群れを作っていたが、サメは見向きもしなかった。
 以前、文芸部にいたときに担当していた作家の話によれば、定時に十分な餌を与えられている水族館のサメは常に満腹だから小魚を食べないという。
 視界に入る物すべてに襲いかかりそうなイメージとは裏腹に、サメは空腹でなければ近くに人間が泳いでいても無視するらしい。
「相良様、いらっしゃいませ」
 黒いジャケットとパンツスーツ姿の若い女性スタッフが、笑顔で出迎えた。
「もうきてる?」
「はい。お連れ様、お待ちになっております。どうぞ」
 女性スタッフが、相良をフロアの奥へと促した。
「よく使うのか?」
相良の背中に、立浪は話しかけた。
「はい。知り合いが経営している店なので、融通(ゆうずう)を利かせてくれます。個室は五千円のチャージがかかるんですが、ただにしてくれるんですよ。立浪さんも、よかったら使ってください。たまに、芸能人も釣れますから」
 振り返った相良が、笑顔で言った。
「お客様。お連れ様がお見えになりました」
 個室の前で足を止めた女性スタッフが声をかけ、サンゴの絵がペイントされた引き戸を開けた。
「あ、相良さん」
 楕円形(だえんけい)のガラステーブルに並んで座る女性のうちの一人……ロングの黒髪に切れ長の眼をした女性が立ち上がった。
 ベージュのスキニーパンツにからし色のニットセーターという秋らしいコーディネートが、センスとスタイルのよさを際立たせていた。
 さすがにモデルの卵だけのことはあり、洗練されたビジュアルをしている。
 セイラの隣に座っている、キャップを目深に被りマスクをつけている女性が柏木の交際相手に違いない。
「悪いね、仕事前の忙しいときに。こちら、僕がお世話になっている写真週刊誌『スラッシュ』の編集者さんで立浪さん。立浪さん、彼女がセイラちゃんです」
 相良が、立浪とセイラをそれぞれに紹介した。
「このたびは、お忙しい中ありかとうございます。立浪です」
 立浪は、セイラに名刺を差し出した。
「セイラです。今日は、杏奈(あんな)の相談に乗ってあげてください。よろしくお願いします」
 セイラが名刺を受け取り、頭を下げた。
 いまは友人思いの女性でも、関係がこじれると一転してネタを売る側に回る。
 感情と欲に支配されるのは、人間という生き物の性(さが)だ。
 因みに「スラッシュ」編集部に持ち込まれるネタのうち、親族や友人からの提供が五割を占めていた。
「セイラちゃん、僕たちに彼女を紹介してくれないかな」
 相良が、セイラを促した。
「彼女は私と同じラウンジで働いている杏奈ちゃんです」
 セイラが言うと、杏奈が立ち上がった。
「杏奈です。キャップとマスクをつけたままですみません」
 杏奈が、か細い声で言った。
「いえいえ、構いませんよ。セイラちゃんの友人の相良です。立浪さんは敏腕編集者だから、頼りになります。一人で抱え込まずに、なんでも相談してみてください」
「立浪です。よろしくお願いします」
 セイラのときと同じように、立浪は名刺を差し出した。
 両手で受け取った杏奈が、名刺に視線を落とした。
「『スラッシュ』さんというのは、芸能人のスキャンダル写真を載せる雑誌ですか?」
 杏奈が名刺に視線を落したまま、遠慮がちに訊ねてきた。
「ええ。芸能人以外にも、スポーツ選手や政治家……漫画家や音楽家など、話題になりそうな人はすべてターゲットになります」
「怖い週刊誌ですね」
 呟(つぶや)くように、杏奈が言った。
(第9話につづく)

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