『壊れた世界の者たちよ』ドン・ウィンズロウ/壊れた世界の片隅に(千葉集)
文字数 1,888文字

本を読むことは旅することに似ています。
この「読書標識」は旅するアナタを迷わせないためにある書評です。
今回は千葉集さんが、ドン・ウィンズロウ『壊れた世界の者たちよ』について語ってくれました。
人は自らが壊された場所で強くなる。
(「壊れた世界の者たちよ」)
736ページ。ドン・ウィンズロウの物語は常に厚い。本も厚いのですが、かれの物語はそれよりもはるかに厚い。そして、熱い。
ウィンズロウの真髄はアメリカ人麻薬捜査官とメキシコ人麻薬王の何十年にも渡る愛憎を壮大なスケールで描いた『犬の力』『ザ・カルテル』『ザ・ボーダー』(角川文庫・ハーパーBOOKS)のメキシコ麻薬戦争三部作に極まっていますが、初読者がいきなり文庫にして計3854ページの大河小説に手を伸ばしづらいのも事実。そもそも、ウィンズロウは基本長編しか出さない作家であり(短篇自体はこれまでも書いています)、その点でただしくアメリカを語る作家の系譜にあるのですが、本邦で訳されている作品も文庫で上下巻はあたりまえ。比較的手頃な初期作品も絶版が多いですし、オススメしにくい……。と、ひとり嘆いていたところに救世主のごとく降臨したのがこの中編集です。
やはり、分厚い。736ページ。しかし、いつもと違うのはそれが六分割されていること。いつもとおなじなのは、それがページ数の倍の熱を持つこと。
収められた六作はいずれもウィンズロウ特有のときに昏く、ときに乾いた熱気が充ちており、ひとつ読むごとに長編を味わったかのような満足に包まれます。
表題作「壊れた世界の者たちよ」はウィンズロウの名刺のような一篇。警官(けして真っ当な生き方はしていない)主人公、麻薬マフィア、友情、処刑、家族、そしてなによりダークな復讐の物語です。
主人公である麻薬捜査官のジミーがとある麻薬取引を潰したことでメキシコ系マフィアの恨みを買い、ジミーの弟が焼き殺されてしまいます。無残に殺害される弟の動画を見せられたジミーは、捜査チームの仲間たちと手段を選ばない私刑へと乗り出すのです。
クライマックスがいい。マフィアのボスが立て篭るペントハウスにチームで突入し、一階層ごとを昇りながら命(タマ)を取ったり取られたりの銃撃戦を繰り広げる様は、上昇という運動に反して奈落へ落ちていくようなめまいを伴います。
「犯罪心得一の一」は往年の名優スティーヴ・マックイーンに捧げられた、追うものと追われるものの物語。独特の美学を基づいて強盗を重ねる犯罪者と、それを追う警官。マックイーンへの愛でつながるふたりの視点が交互に切り替わります。銃、車、強盗に対するフェティシズムにあふれ、古典的な意味で実にアメリカンな犯罪劇です。ウィンズロウ曰く、マイケル・マンも意識したのだとか。
やや異色なのは、恋にやぶれたチンパンジーがリヴォルバー銃をふりまわしながら動物園を脱走する衝撃的な幕開けの「サンディエゴ動物園」。脱走事件で失態(?)を犯してしまった警察官が名誉を挽回するために銃の出処を探る、笑いありロマンスありのハッピーな笑劇です。
ウィンズロウは30年近くに渡り、ニール・ケアリー、ブーン・ダニエルズ、サヴェージズといった魅力的なシリーズ・キャラクターを無数に生み出してきました。彼はそのキャラたちを愛するロイヤルなファンのことも忘れていません。法廷から逃走した元サーファーの行方をブーンが追う「サンセット」や、マリファナ用の農地買収が発端となりハワイで地元ギャングとサヴェージズとのドンパチが起こる「パラダイス」といった中編では、ファンたちの愛に豪勢なまでに報いてくれます。シリーズキャラを知らない読者たちも一本の物語として十二分に楽しめるようにできていますし、ここで興味をもったキャラを縁に他の作品へ手を出していくのもよいかも。
そして、棹尾をかざるのが「ラスト・ライド」。合衆国とメキシコの国境で展開される、アクチュアルなウィンズロウの問題意識がもっともよく反映された、シブい現代カウボーイ劇です。
壊れた世界(アメリカ)をまっすぐに見据えながら、希望を語ることも忘れないヒューマニスト、ドン・ウィンズロウ。66の齢を超えて、かれのことばは力強く迸りつづけています。
ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。