「和菓子は一種の祭りなのだ」似鳥 鶏

文字数 3,371文字

(*小説宝石2021年1・2月号掲載)

「祭りは準備をしている前日までの方が楽しい」という言葉があります。


 いやそれは違うだろ、と思います。どう見ても祭り本体の方が楽しいです。ただ、準備をしている期間にもやはりそれ特有の楽しみがあることは間違いがないわけで、ついでに言うなら終わった後の片付け期間とかも心地好い達成感と寂寥(せきりよう)感があってなかなか楽しく、つまり「祭りは当日だけでなくぜんぶ楽しい」と言うのが正しいのです。


 さる十一月十四日(※コロナ第三波の前です。念のため)、銀座三越地下にて催された『和菓子のアン』コラボイベントにお邪魔して参りました。太ることは一切気にせず新作の和菓子を好きなだけ食べまくっていい、と頭の中のもう一人の私に言われたので「本当ですか? やった! ヒャッホォイ!」と躍り上がった主人格の方の私は頭の中が練り切りと餡子(あんこ)ともち米でいっぱいになり、案内してくれた担当Y氏を頭からガジガジ囓(かじ)って鎮静剤を打たれ、夢見心地で会場に入りました。


 祭りでした。


 会場は大いに盛り上がっておりました。土曜・銀座の賑わいの中、可愛らしくディスプレイされた和菓子の数々。作中で登場した「こころ」「懸想文(けそうぶみ)」などの「実物」の他、なかなかお目にかかれないガチワラビ餅(本ワラビを用いたわらび餅。本ワラビ自体が高価なため貴重だが、その食感は謎海洋生物的外観に相違ないなめらかさで、「さあこれをどう表現する?」とばかりに小説家の擬音・詐欺擬態語能力に挑戦してくる唯一無二のもの。しかし筆者の力では「てゅるん」止まりなのがなんとも悔しい)、お店ごとに解釈が違うため様々な姿で表現された「春告鳥」など、桜色、桃色、東雲(しののめ)色や鳥の子色、憲房(けんぼう)色、丁字色、瓶覗(かめのぞき)まで実に華やか、それにもかかわらず決して下品にならない色彩で飾り棚にちょんちょんちょこんと可愛く並ぶお菓子たちに、実際にデザインされた「みつ屋」のロゴ。サイン本の販売までしているお店まであり、私はイベントだー! とハイテンションになって担当Y氏の頭部を囓り、鎮静剤を打たれながら人混みをかき分け、あっこれも美味(うま)そう、これも可愛い、これは絶対好きなやつ、と落ち着きなくうろうろし、大量のお菓子を買い込みつつ適当にそこらのお客さんの頭部を囓り、担当Y氏に鎮静剤を打たれたりしました。華やかなのはお菓子やディスプレイだけではなく、店頭に立つ「本和菓衆」の若旦那軍団もそうで、しっとり渋い黒系の羽織から話題の炭治郎(たんじろう)柄(*1)、頭にも桃色頭巾から鳥打帽、獅子頭、猪頭、タイガーマスク、ゴーゴンヘッドにガンダムヘッド、さすがにそこまではありませんでしたが様々な装いで祭り気分を盛り上げ、質問すればお菓子の由来からちょっと笑える時代小咄(こばなし)、漫才、コント、ナイフ投げ、ファイヤーダンスにガンダムファイト、さすがにそこまではありませんでしたが様々な接客で楽しませてくれました。実際、今回出品された中にもおみくじを封じた日本版フォーチュンクッキー「辻占」や半分をホワイトチョコで白く塗った「しろたえの(*2)」など、商品情報を知るとさらに面白くおいしいものがたくさんあり、和菓子屋の店員さんは適宜それを披露できる臨機応変さも必要とされるようです(作中の主人公が得意なやつです)。その時に得た知識がお菓子の「添え物」として食べる時の気分を引き立てるという側面もあり、それもまた和菓子の愉しみの一つ。私は若旦那衆から話を聞きまくり、感謝を込めて頭部をガジガジ囓り、鎮静剤を打たれ、なぜか急に眠くなったので寝ながら電車に揺られて帰宅し、家で「第二ラウンド」を始めました。言うまでもなく買ってきたお菓子を食べることです。自宅にいながら日本全国の味を愉しめるお取り寄せは便利ですが、直接お店に出向いてお菓子を買ってくるというのは、こういう形で二度愉しめるという、なんともお得な娯楽なのです。

『アンと愛情』(坂木司)本体1700円+税

デパ地下の和菓子屋「みつ屋」で働くアンちゃんは、まもなく成人式を迎える。経験は少しずつ増えてきたけれど、お客さんたちが持ち込む様々な要望は多彩だし、和菓子に込められた謎は深まるばかりで……。累計80万部の大ヒットシリーズ、待望の第3弾。

 そう考えてみると、つまるところ和菓子は一種の祭りなのだと言えそうです。祭りはそれそのものだけでなく前準備の設営から着ていく浴衣(ゆかた)を買いにいく日、待ち合わせの時の気分から終了翌朝の小銭探し(*3)までそれにまつわる総(すべ)てを愉しむ合わせ技の行事ですが、同じことが和菓子にも言えるのです。季節のディスプレイで華やかに彩(いろど)られた店頭での買い物、店員さんから聞いたお菓子のちょっとした裏話、パッケージの美しさと家に帰って開封する時のワクワク感、盛られる器と添えられるお茶。そして色や形とそれにまつわるエピソードを思い出しつつ食べる一口目。そういう合わせ技の愉しみがあります。食べた後にどこかから小銭が出てくることはありませんが「うまかったなー」と余韻に浸ることはできます。


 そしてこれは娯楽というものの本質でもあると思います。「楽しいこと」というのは要素だけを抽出して錠剤にして飲むようなことはできず、その計画、前日のワクワク、当日の道中から帰り道の回想まで、その場と時間、すべての合わせ技で成り立っております。合わせ技でものごとを愉しむ、というのはたとえば和菓子の檜(ひのき)舞台とも言えるお茶会もそうで、茶道はお茶の味だけを愉しむものではなく、会場となる茶室の雰囲気、床の間の掛け軸と華、障子を開けた庭の風景から参加者のお召し物、出された器に席での会話まですべてを愉しむという総合芸術です。とするとこれはけっこう、日本文化の真髄の一つなのかもしれません。


 茶道が合わせ技の文化ならその一部をなす和菓子もまた合わせ技。和菓子が合わせ技ならそれを形作る練り切りなどの材料もまた砂糖や白餡の合わせ技。その白餡もまた……と続けていくと、けっこう果てしない気持ちになってきます。和菓子にまつわる世界は合わせ技の合わせ技、合わせ技のフラクタル構造でまるで宇宙のよう。そして日本庭園の箱庭は宇宙の構造を凝縮したものだとされており、それを眺めながらのお茶会、そこに出される和菓子……と、これはなんだか無限のループで、そんなことを考えていたら頭がヒートアップし、興奮して家から飛び出し近所のイヌをガジガジ囓っていたら飼い主に怒られて鎮静剤を打たれました。今は落ち着いてお菓子の前で正座しています。たぶん、落ち着いて食べた方がおいしいですし。


* * *


*1 あれは伝統的な「和柄」の一つ「市松模様」であり、漫画オリジナルの奇抜ファッションというわけではない。


*2 「衣」「襷」など、布製品や白いものにかかる枕詞。ここでは「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ(百人一首・四番/山部赤人)」より富士をイメージしている。「日本人は、上部を白く塗ると何でも富士山に見えてしまう」という謎の心理効果を利用したお菓子。


*3 縁日の会場は暗い上に人が多いので、一度落とした小銭は拾いきれずに放置されることが多い。そのため昭和の時代には、縁日の翌朝、会場跡に一番乗りして小銭を拾い集める子供が多数出没した。言うまでもなく遺失物等横領

罪(刑法二五四条)である。

『難事件カフェ2 焙煎推理』

隠れ家的喫茶店プリエールに県警秘書室の直ちゃんが持ち込んだのは、企業の御曹司が殺害された事件。事件発生時に一緒に別荘にいた友人三人の犯行は否定され、外部犯の可能性も否定されてしまう。犯人がいない(!?)殺人事件を、店主の季と、元警官でパティシエ役の弟・智はどう解くか?(「第一話」)スイーツが彩る奇妙な三つの事件を、名探偵の兄弟が華麗に解決に導く。

似鳥鶏(にたどり・けい)

1981年、千葉県生まれ。2006年、『理由あって冬に出る』で第16回鮎川哲也賞に佳作入選し、デビュー。近著は『難事件カフェ』『難事件カフェ2 焙煎推理』『生まれつきの花』など。

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