第5話 恵文社一乗寺店
文字数 1,967文字
書店を訪れる醍醐味といえば、「未知の本との出合い」。
しかしこのご時世、書店に足を運ぶことが少なくなってしまった、という方も多いはず。
そんなあなたのために「出張書店」を開店します!
魅力的な選書をしている全国の書店さんが、フィクション、ノンフィクション、漫画、雑誌…全ての「本」から、おすすめの3冊をご紹介。
読書が大好きなあなたにとっては新しい本との出合いの場に、そしてあまり本を読まないというあなたにとっては、読書にハマるきっかけの場となりますように。
「TREE」、樹木にまつわる3冊です。
このサイトの名前の由来になっているように、木は紙の原材料、本は木からできている。だからということはないだろうが、読書の醍醐味は、よく木に例えられる。好奇心は枝のようにのび、培われる知恵は年輪のように太くなっていく。ここで紹介する三冊は、いずれも「植物」と「観察」の本たちだ。
『木をかこう』
ブルーノ・ムナーリ /作 須賀敦子/訳
(至光社)
生命や知の源である木を普遍の象徴として扱ってきたのは、イタリアの美術家、デザイナーのブルーノ・ムナーリだ。(ムナーリにはその他多くの肩書きがある。)グラフィックデザインを中核に、プロダクトデザイン、絵本、玩具など、驚くような発想をもってあらゆる設計を手掛けてきた彼だが、その多くの作品が自然への尊敬と愛に溢れていた。数あるなかから、真っ先に挙げたいのがこの絵本だ。
タイトルの通り、木の描き方を考察する本だが、もちろん「上手に」描くことをムナーリは読者に求めない。そもそも木ってどんなふうに生える?という問いから始まり、一本の木のデザインを分解していくと、だんだんと木のデザインの要素がわかってくる。枝ののび方、葉のつき方。ムナーリの卓越した観察眼をもってすれば、こうもシンプルに整然として物事が見えてくるのか。芸術やデザインのヒントを求める人は、まず読んで欲しい一冊だ。翻訳が須賀敦子というのも嬉しい。
『そんなふうに生きていたのね まちの植物のせかい』
鈴木純
(雷鳥社)
視野が狭い人を指して「木を見て森を見ず」という例えは間違っているんじゃないかと、この本を読んでつくづく思う。著者は、一般に開けた植物の観察会を主宰している「植物観察家」。街中に気になる植物があれば好奇心の赴くままに観察を始める著者の「目線」を表現した、なかなか類書が思いつかない一冊だ。
例えば、アスファルトの隙間に生えている草。しゃがんで、さらに顔を近づけなければ小さな花が咲いていることには気がつかない。街中で見かけるありふれた草木の、まったく違う表情。鈴木さんの観察は「近づく」行為を前提にする。大人になってから、道端の木をじっくりと眺めたり、花の匂いを嗅いだ覚えがあるだろうか?まず、近づいてみる。子供の頃、当たり前にしていた行為を思い出す。著者が、誰でも名乗ることができる「植物観察家」という肩書きを選んだのも、植物を愛でる敷居を低くするためだと言う。
植物に少しでも詳しくなると、途端に景色に名前が生まれる。あの木は、なんて名前だろう。あの花は、どんな匂いがするだろう。そんな素朴な好奇心が、これからの時代を歩くために、重要になるのではないだろうか。身近な植物に触れることから森や生態系、地球へと思いを馳せてみる。著者の好奇心に満ちた観察眼から、雄大なスケールを感じた。
『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』
今福龍太
(みすず書房)
19世紀、急速に産業化するアメリカ。政府や経済に個人が飼い慣らされることを危惧したソローは、「森」にその思索の源を求めた。なかでも並々ならぬ覚悟と情熱と注いだのは、散歩。自ら建てた湖畔の小屋で自給自足の生活を実践しながら、近所の森を毎日二、三時間、欠かさずに歩いたという。もちろん、現代でいう「スローライフ」や「田舎暮らし」のような生活を求めたのではない、真の自由を獲得するための思考に近づくため、ソローは徹底した「観察」と「逍遥」を糧としたのである。
本書は、ソローが遺した膨大な日記や筆跡を参照し、文化人類学者の今福龍太氏が自らの深い洞察と豊かな文体をもってまとめあげ、その思考の真髄に迫ろうとする一冊だ。ソローの逸話や書簡を紐解きながら、広大な知識から哲学や文学の言葉を引用し、思考の森へと読者を心地よく誘導する。言うまでもなく、ソローは「木を見て森を見よう」とした第一人者だ。彼が生きた時代から二百年近くが経とうとしているが、世界が抱える問題の本質は変わっていない。あらゆるしがらみを脱ぎ捨て、シンプルに生きようとする森の思考は、今こそ読まれるべきだと思う。