『その日、朱音は空を飛んだ』/青春という名の呪い(田原瞬)

文字数 2,669文字

『響け! ユーフォニアム』の武田綾乃がおくる最新作『愛されなくても別に』が8月26日(水)に発売されます。それを記念し、tree編集部では武田綾乃の全作品レビュー企画を実施しました。書き手は、多くの人気ミステリ作家も在籍していた文芸サークル「京都大学推理小説研究会」の現役会員の皆さんです。全8回、毎日更新でお届けします。

書き手:田原瞬(京都大学推理小説研究会)

2001年生。京都芸術大学文芸表現学科。好きな作家は河野裕。好きなペンギンはアデリーペンギン。

『その日、朱音は空を飛んだ』(幻冬舎)
青春という名の呪い

学校という狭いコミュニティ中では自然と立ち位置が出来上がる。上に立つ側、無邪気な側、空気を読む側、負ける側、我慢する側、合わせる側、笑う側、笑われる側。誰もがこのカーストの中に存在している。誰かにとって愉快な出来事も、別の誰かにとっては苦痛でしかない。無意識の果てに積み上げられたピラミッドは青春という輝きの中に潜む残酷な現実だ。


『その日、朱音は空を飛んだ』は一人の少女の死をきっかけに校内の人間関係や奥底に秘めた秘密が暴かれていく小説である。全七章に分かれており、それぞれ視点となる人物が変化することで、立場の違う生徒たちの本音が少しずつ浮き彫りにされていく。


物語の発端となる事件は3年生の川崎朱音の飛び降り自殺だ。川崎朱音は容姿もよく、誰にでも分け隔てなく接する優しい少女だった。学校は事件を解決しようとアンケートを行うが結果は芳しくなかった。クラスメイトの多くは朱音という少女にさほど関心を抱いていなかったのだ。そんな中、朱音の飛び降り自殺を収めた動画がSNSにばら撒かれ始めた。


動画には本来なら入れないはずの屋上から飛び降りる朱音。その後ろに朱音の幼なじみである模範的な優等生、高野純佳の姿が写されていた。なぜ高野純佳は屋上にいたのか。そもそも閉じられている屋上になぜ彼女たちは入れたのか。この動画を撮影したのは誰なのか。川崎朱音は本当に自ら空を飛んだのだろうか。物語が進むに連れて、これらの謎が読者に明かされていく。


本作はミステリであると同時にどうしようもないほどに青春小説である。朱音が死亡した後の学校生活が視点を変えて語られることによって読者の抱く登場人物への印象は目まぐるしく変化する。たとえば、派手な見た目と言動でカーストの上位にいる細江愛という少女は同性のクラスメイトからの陰口に苛立ちを覚えている。一方、陰口を言う生徒たちは目立つ人間を貶めることによってカーストの下位にいながらもプライドを保つことに成功しているのだ。学校という名の小さな社会の中に存在するある種の循環に気づかされる。両者は円のように回り続け、決して交わることはない。スクールカーストという社会構造によって生み出された悲劇的な構図だ。


誰が悪くて誰が悪くないのかを突き止める行為はまったくの無駄で、答えを求めるアンケートなど何の役にも立たないことがハッキリと分かる。語り手各人が胸の裡に隠し持った真実を善悪で図ることは出来ない。そんなものは立場と視点次第で簡単に根底から覆ってしまうのだ。


この物語の本質にあるのは周囲の人間たちによって貼られた「良い子」という名の幻想だ。彼らの奥底に何があるかも分からないくせに周囲の人間は「まぁあいつは優秀だから大丈夫だ」なんて期待を押し付ける。死亡した川崎朱音。朱音の幼なじみであるお手本のような優等生、高野純佳。学年1位の天才、夏川莉音。彼女たちはこの学校の中で優等生として扱われていた。しかし彼女たちの真意はそう単純なものではない。良い子というレッテルは簡単に真実を隠し、時にその人間すらも傷つけるのだ。


いや、彼女たちだけではない。学校という小さな世界の中では誰もが怯え、自分の居場所を守ろうと必死に生きている。徒党を組んで目立つ人間を笑うのも、誰彼構わず笑顔を振り撒くのも、良い子を演じるのもそのための手段だ。川崎朱音が死亡してもクラスメイトたちの生活に大きな変化が訪れることはない。彼女の死を傍観しながらクラスメイトたちはどこか他人事のように話題にする。それを人によっては「生きる」ことを軽視していると思うかも知れない。だが彼ら彼女らにとっては傍観者であることこそが生きる術であり、居場所を守る方法だ。彼ら彼女らの一挙手一投足が世界を生き延びる延命行為なのだ。

どうして、私ばかりがこんな目に遭うのだろう。他の子たちは皆幸せそうな顔をしているのに、どうして自分だけがこんな風に誰からも馬鹿にされながら生きていかなければならないのか

私はこの物語に勝手に共感し、勝手に苦しむことになった。それはかつての私が自殺志願者であったこと、他人に同意することしか出来なかったこと、ちっぽけなプライドを守るために他人を傷つけることを厭わなかったこと、過去の自分を振り返ればキリがないほど共感の引き出しが思い浮かぶ。今もかつてと変わらない部分が多々あるだろう。この物語は無論、私自身を描いているわけではない。だがこの世界にはかつての私が確かに存在した。生きることに真面目すぎた少年少女の奥底にある感情を武田綾乃は無かったことにはさせない。残酷でありながら同時に真摯とも思える武田綾乃の行為に私は苦しめられたのだ。


我々の青春は他人からすればたった一言で片付けられてしまうものなのかも知れない。だが彼らをみくびってはいけない。十代の少年少女が生きる世界は驚くほど痛みに溢れている。この物語に共感を覚えてしまった一人の人間として、十代の葛藤を知る誰かにこそ、本書を手に取ってほしいと私は心から思う。


(書き手:田原瞬)

★次回は明日正午更新です!
★武田綾乃最新作『愛されなくても別に』(講談社)8月26日(水)発売です!
人気作家・綾辻行人氏や法月綸太郎氏もかつて在籍していた京都大学の文芸サークル。担当者が課題本を決めそれについて発表・討論を行う「読書会」や、担当者が創作した短編ミステリー小説の謎解きを制限時間内に行う「犯人あて」等を主たる活動としている。また大学の文化祭では会員による創作・評論を掲載する同人誌「蒼鴉城」を発行している。最近はSNSでも情報を発信中。

Twitter:@soajo_KUMC

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