第6回 文章講座 秋元康①

文字数 3,553文字

メフィスト賞作家・木元哉多、脳内をすべて明かします。


メフィスト賞受賞シリーズにしてNHKでドラマ化も果たした「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ。

その著者の木元哉多さんが語るのは――推理小説の作り方のすべて!


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    小説を書きはじめたとき、最初の課題は、どうすれば多くの人に読んでもらえるか、ということでした。
    小説の難点は、読むのに負荷がかかるという点です。
    漫画や映画など、絵や映像のあるメディアのほうが、見る人の負担は少ない。小説は、読者にある程度以上の国語力と集中力、そして忍耐を求めます。
    読者の幅を広げるには、そのハードルを下げればいい。そのためには読みやすい文章を書くしかない。僕自身、読みにくい文章で書かれた小説は読みたくない。
    では、読みやすい文章とはなにか。
    読んでいて、負荷の少ない文章。すらすら読めて、忍耐を必要としない文章とはどういうものか。
    何を書くか、より、どう書くか。内容以上に文体が大事だということです。

    参考にしたのは三つあります。
    第一に、僕は昔から歴史小説が好きで、司馬遼太郎を小学生のときに読みはじめて、高校生になったころには主要作品は読み終えていました。小学生の僕でも、司馬遼太郎はすらすら読めた記憶があります。知らない漢字には丸をつけて、辞書を引きながら読んでいました。
    でも同時期に松本清張を読んで、ぜんぜん読めなかった記憶があります。小学生の僕には難しかったのだと思います。
    ここで問題です。
    小学生の僕は、なぜ司馬遼太郎は読めたのに、松本清張は読めなかったのか。前者にあって後者にないものはなにか。
    第二に、高校生のとき、村上春樹を読みはじめて、大学に入ったころには主要作品は読み終えていました。村上春樹はすらすら読めた記憶があります。
    でも同時期に、三島由紀夫はまったく読めませんでした。
    ふたたび問題です。
    高校生の僕は、なぜ村上春樹は読めたのに、三島由紀夫は読めなかったのか。前者にあって後者にないものはなにか。
    この二つは、いずれどこかで話します。
    第三に、秋元康。今回は秋元康の歌詞について話します。

    秋元康に関しては、僕は一つ驚いたことがあります。
 
 
公園を散歩していたとき、三、四歳の(幼稚園に入るまえくらいの)女の子が一人いました。他にも多くの子供が遊んでいたのですが、その輪には入らず、彼女は木の根元にしゃがみこんで、枝を使って地面に穴を掘っている。AKB48の『365日の紙飛行機』という曲を歌いながら。
    これはちょっと驚きです。
    NHKの朝ドラの主題歌だったので、親が毎朝、そのドラマを見ていて、「門前の小僧、習わぬ経を読む」的に耳で覚えたのかもしれないとは思いました。ただ、その子はなんとなくではなく、ちゃんと意味を理解して歌っている感じでした。
    歌詞を書いてみます。

    人生は紙飛行機    願い乗せて   飛んでいくよ
    風の中を力の限り    ただ進むだけ
    その距離を競うより    どう飛んだか    どこを飛んだのか
    それが一番大切なんだ    さあ    心のままに    365日

 
  たとえば「咲いた    咲いた    チューリップの花が」とか、「象さん    象さん    お鼻が長いのね」とか、「海は広いな  
 大きいな」というような、文法的にいえばSVやSVCといった単純な文章なら、歌えてもおかしくありません。あるいは『アンパンマン』の歌くらいなら歌えるかもしれない。
    しかし『365日の紙飛行機』はそんな簡単な文章ではありません。子供向けの歌詞ではなく、大人向けのものです。それを三、四歳の子供が意味を理解して口ずさむというのは、衝撃的です。
    女の子が、この年齢にして国語力が高いのだろうとは思いました。だから友だちがいないのかもしれない。同年代の子とは学力がちがうから、その輪に入れなくて、公園の隅っこで地面でも掘っているしかないのかもしれない。
    そういう子供の特徴は、一人遊びが得意ということです。僕もそういうタイプの子供だったので、気持ちは分からないではありません。
    でもやはり、秋元康の歌詞にも、なにか秘密がある。
    ここで問題です。
    なぜその女の子は『365日の紙飛行機』を口ずさめたのか。

    秋元康の歌詞が読みやすく、口ずさみやすいのは誰が見ても明らかです。ただ、文法的には必ずしも単純ではなく、大人向けの歌詞なのに、なぜか子供が聞いてもすっと理解できる。
    それはなぜなのか。
    ひとことで言えば、映像を喚起しやすい文章だからだと思います。絵が浮かぶので、絵本や漫画を読んでいるような感覚になる。読み手の想像力をくすぐることで、イメージを引きだしているとも言えます。
    では、どういう工夫をすれば、映像を喚起しやすい文章になるのか。
    平易な言葉を使って、文法的に単純な文章を書けば、読みやすくなるというのは素人考えです。それだと読みやすくても、味わいのない文章になってしまう。
    プロなら、平易でない言葉を使って、文法的に複雑にしても、読みやすい文章にしなければならない。
    その工夫の一つは、言葉のチョイスにあると思っています。
    単純化していうと、
    ①動きのある言葉、②色彩のある言葉、③音や匂いや味、触れた感触など、五感を強く刺激する言葉、④人との距離感を表す言葉は残す。
    逆に、⑤平板に感じられる言葉は削る。⑥常套句は外して、別の言い方にする。
    例をあげましょう。AKB48の『センチメンタルトレイン』という曲です。

    田園地帯走る    銀色の電車が    スピード落としたら    近づく駅
    今日も君は乗ってくるだろうか    グレーの制服で
    ポニーテールの日は    テストがあるんだよね    気合い入れるんだって    噂で聞いた
    少し離れ    僕は    そっとエールを送った
    それは恋と呼べるような確かなものじゃなく    初めての    自分でも戸惑っている感情だ

    これだけでも特徴が出ています。
「スピード落としたら    近づく駅」は動きのある言葉で、川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を連想させます。「電車が駅に近づく」とは書かず、「電車が減速したら、駅が近づいてくる」と書くところがセンスです。
「ポニーテール」も動きのある言葉(馬の尻尾のように上下に動くので)。「銀色の電車」「グレーの制服」は色彩のある言葉、「田園地帯」も色彩の強い言葉です。「エール」は音感のある言葉。「噂で聞いた」「少し離れ」は女の子との距離感を表しているし、「そっと」には触れるような感触がある。
    主人公の男の子は、この女の子のことが好きなのだけど、「好き」と言ってしまうと常套句になるので、「恋と呼べるような確かなものじゃなく」と、かわした表現にしています。常套句の外し方がうまい。
    これは歌詞なので、曲のリズムが最初からあります。そのかわり文字数に制限があるので、はまる言葉を巧みにチョイスしなければならない。
    どの言葉を残して、どの言葉を削るか。そこに秋元康なりの計算がしっかり働いています。おそらく映像を喚起しない平板に感じられる言葉は、この段階で削り落とされているはずです。
    その意味で、秋元康の歌詞の書き方は、直感的なものではなく、ロジカルに緻密にアプローチしているという印象を受けます。インスピレーションあふれる作詞家ではなく、推敲がうまいのだと思う。
    これを細かく細かくやっていくと、絵が浮かぶ文章になります。同じことは米津玄師の『パプリカ』にもいえます。
    ただ、秋元康のすごいところは、これだけではありません。
    では、また次回。

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次回の更新は、8月21日(土)20時です。

Written by 木元哉多(きもと・かなた) 

埼玉県出身。『閻魔堂沙羅の推理奇譚』で第55回メフィスト賞を受賞しデビュー。新人離れした筆運びと巧みなストーリーテリングが武器。一年で四冊というハイペースで新作を送り出し、評価を確立。2020年、同シリーズがNHK総合「閻魔堂沙羅の推理奇譚」としてテレビドラマ化。

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