第2話

文字数 4,146文字

 ネット通販で購入した白いパソコンデスクは、板きれの山と1ダースのネジだった。5枚のイラストによる組み立て方が、送られてきた段ボールの側面に印刷されている。どれが底板で横板なのか、どうくっつけたらスマホの画面で見たアレになるのかがわからない。


 段ボールをぐるぐる回して必死に考える。どうにかそれらしい板をパズルのように組み合わせ、穴にネジをセットするところまでは、なんとかできた。だが、頭のへこみにドライバーをあてがい、2回転したところから全く動かない。これは数百件付いたレビューをざっと読んで、「値段の割りにはしっかりしている」し、「女性でも簡単に組み立てられる」商品と判断して選んだ品だ。落ち着いて取り組もう。それでもダメなら不良品なのだ。


 食いしばった歯と歯茎を剥き出しにして、ついでに白目も剥いて、こめかみの血管がぶち切れそうな勢いで力を入れると、耳奧がキーンとして涎がつーと垂れて、昨晩観た上原亜衣のAVを思い出す。黒髪の正統派美女が、薬を打たれて泡を吹いていた。


 どうしてこんなにかわいい子が、よりによってこんなに激しいAVに出演しているのだろう。私は確かに、それを観た時「どうして」と思ったのだ。自分は「どうして」すらも楽しむつもりだったのだろうか。クソ野郎。


 ネジはさらに半周だけ動いた。不良品ではなく、私の力が不足しているだけだった。全身の体重をかけたり、勢いをつけたりと、怒り任せに格闘するうちに、手のひらには水ぶくれができた。それが破れたとき、とうとう涙が出る。痛いのではない。情けなかったのだ。私はネジひとつ満足に回せない。そして、汚い。お前、嫌い。

 途中まで埋め込まれたネジをスマホで撮って、「力がなくてネジが回らない」とSNSにUPした自分は誰なのだろう。不特定多数の人間に非力であることを知らせるなんて、生きものとして間違っている。弱き者へ抱く感情なんて、ろくなもんじゃないだろう。私は矛盾している。


 強い人間が好きだが、どうしようもなく弱さに惹かれてしまう。上原亜衣は、ある意味ではとても強いと思うし、絶対的に弱いと思う。エロいと思っているのに、気の毒だとも思っている。もう、わけがわからないよ。



 その日私は、シアター上野というストリップ劇場に入り浸っていた。都内の劇場の中でも小さくて古い。お客の年齢層も高い。


 踊り子たちがフィナーレを終えたあと、ステージから伸びた花道の先、客席にせり出したお盆と呼ばれる部分に立ち、観客にビールやコーラを手売りするサービスがあった。

 プルタブを上げて、一口飲んでから渡してくれたりもする。それにしたって割高だが、ストリップは映画と違って、一度入ってしまえば何時間でも居座ることができた。だから、せめて500円でも多くお金を使ってあげたい。その売上げが踊り子に丸ごと入るわけではないだろうが、なぜか客にそういう気持ちにさせるのだった。


 踊り子が売る缶コーラを、私は常連のおぐりんさんに奢ってもらった。おぐりんさんは男性で、お客の中では若いほうだが、別に私を口説こうとしているわけではない。そうすることによって踊り子を応援し、あわよくば踊り子から「おぐりんやっさし~」なんて言ってもらえれば満足なのだ。だから私も、遠慮はしない。


 ここでは、そうした場面で金を惜しむことも、出した金を引っ込めることもかっこ悪いことだ。私のような年若がしつこく拒むことはかえって相手に恥をかかせてしまう。そういうことは、みんな劇場で学んだ。あの場に長くいる人たちは、男も女もみな、紳士だ。


 受け取ったコーラにはおまけが付いていた。つづりで売られている、食べきりサイズのハッピーターンだ。次の回が始まるまで5分ほどあるから、その間につまみたい。しかし切り離されたパックは、縦に裂こうとしても、両側を引っ張ってもびくともしない。ネジが回らなくて、作りかけになったままのパソコンデスクが頭に浮かぶ。犬歯で引きちぎってやろうか。しかし気付けば、会場中のおじさんたちの視線が、私の震える手元に集まっていた。


 そこで私は、剥きかけた犬歯をサッと仕舞うと、目の前のおじさんに甘えることにしたのである。子供っぽい仕草で袋を差し出し「開けて」と。そうやって見知らぬ大人に子供っぽく振る舞う自分が、本当に子供だった頃とそっくりだった。もはやハッピーターンのためではなく、相手へのサービスだとでも思っているような心持ちも、なにひとつ変わっていない。今の私が子供なのではなく、子供だった私が、ぞっとするほど大人だったのだ。


 お盆ごしにハッピーターンを受け取ったおじさんが、青筋を立ててがんばっている。しかし口はいっこうに開かなかった。別のおじさんが貸そうとした手を払い、ムキになっている。女性から引き受けた手前、そのまま戻すわけにもいかないのだろう。男の人は大変だ。無邪気に頼んで悪かった。正確に言えば無邪気ではないけれど。


 もう、いいです。そう言おうとした時、会場中の視線を根こそぎ奪うように、袖に控えていたトップバッターの踊り子が、衣装のまま飛び出てきた。何かと思えば、鋏を手に持っている。おじさんが恥をかかないように、私が困らないように、用意してくれたのだ。とっさの気遣いに場が和む。踊り子さんはやっぱりすごいなぁ、という空気。彼女たちに対しては、無理に男らしさを誇示する必要がないのである。


 踊り子は、かっこいい振る舞いとはちぐはぐな衣装だったので、軽い笑いも起きた。手の届かない存在なのだが、親しみを感じることを許してくれている。だから安心して、甘えることができるのだろう。


 なんてことを考えつつハッピーターンを食べていたら、指に魔法の粉がたっぷり付いていて、気付く。あれほど力を加えられた袋が、いきなりパーンと開いたらどうなるか。中身がぶちまけられ、最悪ステージが汚れてしまう。踊り終えてすっぽんぽんの踊り子が、飛び散った自分の汗を拭うくらい、清潔が保たれている場所だ。ステージが魔法の粉だらけになれば、開演が押す。


 自分の後の踊り子の持ち時間が減ってしまう。だから、たとえ出オチになっても、衣装のままで出てくることを選んだのだ。「お客さんはみんな、子供みたいな顔をしてステージを観ている。」師匠が、踊り子から聞いた言葉だ。ステージにかぶりつく私の無邪気は、本当の無邪気といってもいいのかもしれない。


 鋏を貸してくれたのは、箱館エリィさんである。彼女は、黒いボブカットの童顔で、その日出演する踊り子の中で最も体が小さかった。だがよくよく見れば、背中に付いたアスリートのような筋肉や、しっとりときめの細かい肌に気付き、子供っぽさは演出されたものであることがわかる。それが逆に、子供の中に存在する大人を想像させ、より子供っぽく見えるのだ。もう何を言っているかわからないが、とにかくかわいらしい。


 その回の演目は、特にそれが際立つもので、黄色い帽子に白いポロシャツ、デニム地に花のアップリケを縫い付けたフレアースカート、白いソックスに運動靴を履いて、赤いランドセルまで背負っていた。もちろんステージに立つ踊り子なので、しっかりアイラインを入れて頬紅まで塗っている。だが、どう見ても、その姿は小学生なのであった。


 「おどるポンポコリン」に合わせて運動会のような踊りをしながら、台詞なしのストーリーは展開していく。


 道端で拾ったエロ本を、少女はランドセルにしまっていた。お家に帰って開いてみると、そこには見たこともない、けれどなぜか興奮する男女の絡みつく裸体。少女は見様見真似で胸を触り、性器に透明のディルドをあてがった。ストリップでは踊りの中でオナニーをしてみせることがあるが、あくまでも芸のひとつだ。師匠の言葉を借りれば、嘘を真に見せるのが踊り子の腕であるから、それでいうなら彼女の芸は成功していた。


 真剣に見入る一方で、頭をかすめたのは「子供がエロ本を見てしまうこと」に対する大人の嫌悪感だ。今年の8月末にはコンビニからエロ本がなくなることを、多くの母親が喜んでいる。彼女たちの大半は、エロ本を作るな、とまでは言っていない。子供の目に入りやすい場所に、平然と並べてくれるな、という願いだった。
 
 「エトセトラ」という創刊されたばかりのフェミ雑誌は、まさに「コンビニからエロ本がなくなる日」が特集のテーマで、私はその刊行記念イベントに足を運んだばかりであった。だから、子供もいない私が、劇場でそんなことを思ったのである。


 コンビニで嫌な思いをしたことがある、ごく常識的な参加者の中で、私は死にたい気持ちでいっぱいだった。永久に誰とも理解し合えない気がした。会場の中で、害悪そのものであることがバレやしないかと、硬く身を縮こませていた。


 あの名古屋の喫茶店「ボンボン」で味わったような、圧倒的な疎外感を超える、異物感。わかっていて足を運んだのだから自業自得なのだが、想像以上にこたえた。私は彼らの主張を理解できるのに、決定的に違ってしまっている。


 ストリップ劇場では、小学生がエロ本なんて見ちゃいかん! などと怒る人はいなかった。足を上げた踊り子に、みんな揃って拍手をしていた。男性ばかりではあるが、娘を持つ父親だっていただろう。それでも嫌悪感を抱かないのは、箱館エリィが他所の子だからではない。ストリップが嘘だからである。嘘を嘘だと理解できる大人しか見ていない。踊り子と観客で協力して作り上げた、大嘘だ。


 それならエロ本も同じではないのか。複数の男たちに羽交い締めにされても、泣きながらストッキングを破られても、それは嘘だし、嘘だと思って見ているからエロなのである。上原亜衣が出演する暴力的なAVだって、嘘でなければ、ちっとも面白くなどない。


 面白い? 私は、かわいそうな目に遭う上原亜衣を見るのが面白いのだろうか。そういう仕事をしているかわいそうな上原亜衣(書くのも嫌だな!)に、愉快な気持ちになっているのだろうか。


 そんなことはない。断じて、ない。


 ここまで書き連ねてようやく、わかった。私はそこまでクソじゃねぇ。
 
 ただ彼女たちが、好きなのだ。

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