四谷 ~鬼平の見守る町でしみじみ。江戸時代の「更生施設」とは⁉~

文字数 3,113文字

「セシオン杉並前」。この名前、忘れられない予感がします。

鬼平の墓を無事(ただし無縁塚だけど)見つけ、環七に戻る。ここからは新宿に向かわなければならない。乗るのは都バス「宿91」系統


来る時に降りた、「堀ノ内」バス停からも乗れるけど、ここまで来たら「セシオン杉並前」の方が近かったですね。だから私と同じように、お墓を探してみようという方があったら覚えておくといいですよ。最寄りのバス停は、「セシオン杉並前」ですよ。


バスは環七を北へ向かうが、高円寺陸橋の交差点ですぐ右折。後は延々、青梅街道を東へ走って新宿に至ります。

新宿駅西口では都バス「品97」系統に乗り換え。ロータリを出ると青梅街道に戻り、更に東へ。大ガードを潜って新宿通りに入り、四谷三丁目の交差点で右折。外苑東通りを南下してJR信濃町駅を跨ぎ、青山墓地の横を走ったりして最終的には品川駅の高輪口に到達する。乗っていてなかなか楽しい路線なんです。


ただ今日も、そんなには乗らない。「信濃町駅前」の一つ手前のバス停「左門町(さもんちょう)」で降りました。鬼平の一族、長谷川家の菩提寺、戒行寺(かいぎょうじ)に行くにはここが便利。 

外苑東通りを背にして細い通りに入ると、すぐに雰囲気が変わる。大通りの喧騒から解き放たれたように、しっとりと落ち着く。ここもまた堀ノ内と同様、寺町なんですね。


実は戒行寺そのものにはずっと以前、来たことがあった。だから全く未知の土地、というわけではなかった。ただ、とにかくかなり以前の話だから、もう記憶がほとんどない。確か、こっちの方に行ったら「於岩稲荷」があったよなぁ、とか曖昧に覚えてるくらいです。


そう。あの「四谷怪談」のお岩さんにまつわる神社ですね。これはまたとっても興味深いテーマなので、いずれ「日和バス」で取り上げることにもなろうかと思います。お楽しみに。

あっさり発見したっていいんです、ぶらぶら散歩ですから。

さて最初に入った細道を真っ直ぐ進むと、両側に寺が並びます。線香の匂いがほんわかと漂う。


こんだけ寺があって目指すものを見つけられるのか!? と不安になるかも知れないけど、墓地の時と違ってこちらは大丈夫。戒行寺はこの通り沿い、外苑東通り側から来れば、左手にあります。


これがその、入り口。

通りはここから先、急な下り坂になってます。名前はそのまま、「戒行寺坂」


山門を潜るとすぐ右手に「長谷川平蔵宣以供養碑」が立ってます。


見つかるの、あっさりですね。堀ノ内の無縁塚を見つけるのより、更に楽。まぁ苦労するのがテーマなわけじゃないですからね。ずっと以前に一度、こっちは見に来てたというのもあったし。


前回にも述べた通り、長谷川家の墓は見失われて今はもうない。だから代わりに無縁塚や、この供養碑に手を合わせるしかないわけです。まぁ、あるだけまだいいよね。何もなかったら寂し過ぎる。


本堂にも手を合わせて、寺を後にしました。境内には、立派な仏塔も立ってました。

せっかくなので、「坂道系」を気取ってみました。

 来た道をちょっと戻る。すると左手、松巖寺(しょうがんじ)と永心寺(えいしんじ)の間に、細い路地が伸びてます。すぐに急な下り坂になりその名も「闇坂(くらやみざか)」。両寺の樹木が茂り薄暗かったのが名の由来、というけど、さすがにオドロオドロし過ぎでしょ!?

さっきも「戒行寺坂」があったように、この辺りは本当に坂が多い。降りた先は、すり鉢の底のような地形になります。ここからはどこに向かうにも、どれかの坂を上がるしかない。



折れ曲がった路地を抜けると、JR中央線のガード下に出ました。右に行くと、信濃町駅に至ります。



線路の向こうは首都高が走っていて、2つのガードを潜ると左手に大きな公園があります。新宿区立「みなみもと町公園」。



その入り口の脇に、知らなきゃ通り過ぎてしまいそうな小さな祠がある。「鮫ヶ橋せきとめ神」。その横には「四谷鮫河橋地名発祥之所」と彫られた石碑もある。



実はさっきのJRガードも「鮫ヶ橋ガード」。字が違ったりするけどこの辺りは以前、「鮫河橋」と呼ばれていたんですね。



湧水があり、赤坂の溜池に注いでいた、とか。鮫がここまで遡ったりしていたので「鮫河」と呼ばれ、架かっていた橋を「鮫河橋」といった。昔は海は今よりずっと内陸まで入り込んで来ていて、皇居のお濠も江戸湾の名残というから、鮫がここまで来ていたとしてもありえない話ではないでしょう。



さっきの「せきとめ神」も川に由来がある。流れがあった頃、ここで堰き止めて浮いているゴミを除去し、東宮御所(今の赤坂御所)に流すための沈殿池があった。その池を守るためのお宮だった、というわけです。

鬼平の「革新性」と「人情」。邪推作家がしみじみ「いい邪推」。

綺麗な一戸建てやマンションが立ち並んでいる現状からすれば想像もつかないが実は、江戸時代この辺りは無宿人や渡世人が流れ込む、治安の悪い土地柄として知られていた、という。



そこで鬼平に連想は戻る

盗賊を大勢、逮捕した手柄と長い在任期に、もう一つ。長谷川平蔵宣以の功績として知られているのが、石川島の「人足寄場(にんそくよせば)」の建設だった。現代の刑務作業所にもその精神は、脈々と受け継がれている。



それまで罪人は、刑を科され刑期を務め上げればそのまま放任が当たり前だった。だが手に職も、金も持たずに世間に出たところでできることなど何もない。再び犯罪に手を染める累犯が多かった。



だからこそ宣以は犯罪者の更生施設として、「人足寄場」を作ったのだ。ただ、閉じ込めるのではなく職業訓練を施し、手に職をつけさせると同時に、労働に見合った手当も出す。再犯率を下げることを主な目的としていた。若い頃、無宿人らと暴れ回っていた体験から彼らの気持ちや立場がよく分かっていた故、であるのは間違いない。



池波センセもこれらのエピソードから彼の人柄に惹かれ、『鬼平犯科帳』を構想したんでしょう。知る人ぞ知る存在に過ぎなかった宣以はお陰で一躍、歴史上の有名人と化した。シリーズは未だに高い人気を誇り、私らを楽しませてくれている。



その鬼平の眠る寺は当時、流れ者の集まる町を見下ろす場所にあった。きっと死した後もずっと、彼らを温かく見守っていたのではなかろうか。悪いことはその辺でやめて、そろそろ真っ当に生きろ、と。



2つの墓を巡った後にこの地に立つと、しみじみそんな気がしてなりませんでした

ちょっとお休みをいただいた上で今度は、鬼平の家を回ります。

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅をご報告。

「おとなの週末公式サイト」でコラム「路線バスグルメ」を連載中!

西村健の最新作!

『激震』(講談社)


西村健の話題作!

『目撃』(講談社文庫)



「バスマガジン」(講談社ビーシー)

バス好きのためのバス総合情報誌!


登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色