「雨を待つ」⑫ ――朝倉宏景『あめつちのうた』スピンオフ
文字数 1,270文字
自分がおちょくられたような気分になるのが不思議だった。ちゃんと打てやと、内心舌打ちしたのだが、その後も会心の当たりは少なかった。
やはり、木製のバットに慣れるまで時間がかかるようだ。その上、入団から数ヵ月で、肉体的にも精神的にも、今が最初の疲労のピークを迎えているころだろう。
小学生のリトルリーグ、中学生のシニアリーグでは、才藤とは別のチームだった。幾度となく対戦してきたが、俺にとっては苦手な印象のほうが強かった。巧打のバッターかと思いきや、意外とパンチ力があり、軽々と打球を遠くへ飛ばす。だから、同じ高校に入ると知ったときは、心底ほっとしたものだ。
あいつも、いわば野球の超エリートだ。そんな男が、やはりプロに入れば壁にぶつかる。
バッティング練習が終わり、ケージ類を片づけにかかった。L字形に網の張られた、バッティングピッチャーを守るネットを一人で持ち上げると、小走りで一人の選手が近づいてきた。
「うぃっす、手伝います」
あわてて顔を上げると、才藤がネットに手をかけようとしていた。
何が、「うぃっす、手伝います」や、よそよそしすぎるやろとは思ったのだが、俺も「いえ、結構です」と、とっさに敬語で答えた。
今の俺はグラウンドキーパー。相手はルーキーとはいえ、プロ選手だ。立場の違いはわきまえなければならず、なんともぎこちない返事になってしまった。
「片方、持ちます」才藤がなおも食い下がる。
「やめてください、ホンマに」内心では、「どっか行けや、ボケ!」と、思っているのだが怒鳴れない。
「持ちますって」
「いいですって」
高校の野球部でよくあるやりとりだった。一年生の下っ端のとき、練習試合で整備や片づけをしていると、必ず相手校の一年が、「代わります」とやって来る。
「やります」「いえ、大丈夫です」「いえ、先輩に怒られるんで」「こっちも怒られるんで」という謎の遠慮のしあいを、延々繰り返した。邪魔くさいねん、余計に時間がかかるやろと思ったが、相手が渋々引くまで「いえ、いいんで、こっちでやるんで」の一点張りで通した。
おそらく、才藤もその当時の不毛なやりとりを思い出したのだろう。二人で見つめあい、思わず同時に噴き出してしまった。
少し心を許し、才藤に反対側を持ってもらった。
「お前が阪神園芸に入ったのも驚きやけど……」才藤が後ろ歩きで先頭を進む。ときどき振り返りながら、ラインを踏まないように進路を確認している。「こっちにも来るんやな」
「今日は、たまたま、な……」顔をうつむけて、答えた。
熱心な野球ファンは多い。「あの二人、才藤とナイトちゃう?」と、いつ気づかれてもおかしくないのだ。
「ずっと、考えてたんやけど……」うつむいたまま、ついぽろっと、あらぬことを口走ってしまった。「俺、泣いたことなかったわ、野球で」
会いたくない、話したくないと思っていたのに、実際に才藤の顔を見ると、なつかしくてたまらなくなる。去年の夏に帰りたい。
「そうか……」言葉少なに才藤がうなずいた。
→⑬に続く
やはり、木製のバットに慣れるまで時間がかかるようだ。その上、入団から数ヵ月で、肉体的にも精神的にも、今が最初の疲労のピークを迎えているころだろう。
小学生のリトルリーグ、中学生のシニアリーグでは、才藤とは別のチームだった。幾度となく対戦してきたが、俺にとっては苦手な印象のほうが強かった。巧打のバッターかと思いきや、意外とパンチ力があり、軽々と打球を遠くへ飛ばす。だから、同じ高校に入ると知ったときは、心底ほっとしたものだ。
あいつも、いわば野球の超エリートだ。そんな男が、やはりプロに入れば壁にぶつかる。
バッティング練習が終わり、ケージ類を片づけにかかった。L字形に網の張られた、バッティングピッチャーを守るネットを一人で持ち上げると、小走りで一人の選手が近づいてきた。
「うぃっす、手伝います」
あわてて顔を上げると、才藤がネットに手をかけようとしていた。
何が、「うぃっす、手伝います」や、よそよそしすぎるやろとは思ったのだが、俺も「いえ、結構です」と、とっさに敬語で答えた。
今の俺はグラウンドキーパー。相手はルーキーとはいえ、プロ選手だ。立場の違いはわきまえなければならず、なんともぎこちない返事になってしまった。
「片方、持ちます」才藤がなおも食い下がる。
「やめてください、ホンマに」内心では、「どっか行けや、ボケ!」と、思っているのだが怒鳴れない。
「持ちますって」
「いいですって」
高校の野球部でよくあるやりとりだった。一年生の下っ端のとき、練習試合で整備や片づけをしていると、必ず相手校の一年が、「代わります」とやって来る。
「やります」「いえ、大丈夫です」「いえ、先輩に怒られるんで」「こっちも怒られるんで」という謎の遠慮のしあいを、延々繰り返した。邪魔くさいねん、余計に時間がかかるやろと思ったが、相手が渋々引くまで「いえ、いいんで、こっちでやるんで」の一点張りで通した。
おそらく、才藤もその当時の不毛なやりとりを思い出したのだろう。二人で見つめあい、思わず同時に噴き出してしまった。
少し心を許し、才藤に反対側を持ってもらった。
「お前が阪神園芸に入ったのも驚きやけど……」才藤が後ろ歩きで先頭を進む。ときどき振り返りながら、ラインを踏まないように進路を確認している。「こっちにも来るんやな」
「今日は、たまたま、な……」顔をうつむけて、答えた。
熱心な野球ファンは多い。「あの二人、才藤とナイトちゃう?」と、いつ気づかれてもおかしくないのだ。
「ずっと、考えてたんやけど……」うつむいたまま、ついぽろっと、あらぬことを口走ってしまった。「俺、泣いたことなかったわ、野球で」
会いたくない、話したくないと思っていたのに、実際に才藤の顔を見ると、なつかしくてたまらなくなる。去年の夏に帰りたい。
「そうか……」言葉少なに才藤がうなずいた。
→⑬に続く