ラノベ作家がオニオンスープから考察する小説観/高木敦史
文字数 2,029文字
先週、ふらりと入った飲み屋さんでお通しにオニオングラタンスープが出てきました。
冬の寒い夜に飲むそれはなんともほっとする温かさでした。そして翌朝、私は起き抜けのコーヒーを飲みながらぼんやり考えていました。あれよかったな。自分でも作れるかな。作ってみたいな……待てよ。今、この家には材料が揃っているな。
私は鍋を取り出し、五分後にはもうバターを溶かして薄切りにしたタマネギを炒めて始めていました。
王様のブランチを横目に弱火でじっくり炒めていくと、40分ほどでタマネギはすっかり飴色に。あとは予め炒めておいたベーコンと水とコンソメを投入し、更に弱火で煮込みます。ひとしきり煮立ったところで火を止め、塩コショウで味を調えます。最後にチーズを載せて焼いたパンを適当にちぎって、スープに沈めて完成。
いざ食べてみると、それなりの味に仕上がっていました。妻も「美味しい」と言って食べてくれたのでだいぶ満足したのですが、彼女によると「先にレンジにかけるとか、冷凍しておいたタマネギを使うと炒める時間が短縮できるらしいよ」とのことです。「そんな方法もあるのか。次の機会にやってみよう」答えつつ、頭では早くも先にどっちを試そうかと考えていました。
そこではたと気づきます。
はたして私は、本当にオニオングラタンスープを食べたかったのだろうか?
もしかすると本当にやりたかったのは「食べる」ではなく「作る」ことだったのではないか。細胞膜をジワジワ破壊し、半透明のタマネギを飴色とかいう曖昧に茶色な存在へと変えること。そこに興味を持ち、それをやってみたかった——。
ところで私は小説家です。そんな私が思うに、小説を書くという作業はこの「タマネギを炒める」ことと似ているような気がします。
2010年に角川スニーカー文庫というライトノベルレーベルでデビューし、その後いくつかの文庫本レーベルで所謂キャラクターミステリを書き、今に至る——その道中、ラノベでも一般文芸でもあまり関係なく、やっていることは「自分はこういう話が面白いと思うのだけれど、書いてみたら実際どうかな」と考えながら小説を書く、それだけです。
一方、それに対する編集者の方々の反応は様々で、ラノベレーベルだと「こういう要素は人気がないから、いっそバレないようにこっちのジャンルに寄せてみましょう」と言われたこともありますし、ミステリ指向の強い方だと「犯人が短時間にこれだけのことをするのは無理じゃないか」とか、自分が見落としていた細部に目を光らせていたりします。
他にも「この女性の心の動きは不自然です」「これ交通ルール的に大丈夫ですか?」等、指摘は多岐に亘ります。
ただし共通なのは、どの編集者も皆「どうすればたくさんの読者に受け入れてもらえるか」という点を常に一緒に考えてくれて、それは即ち「どうすればこの小説が面白くなるのか」の思索と試行錯誤です。
私の「こんな料理作りたい」に対し、編集者の皆様が「こんなやり方もあるよ」と手助けをしてくれます。へえ、やれるかな? やってみよう。他にもやり方があるっぽいな。今度試してみよう。
その繰り返しの10年でした。本が売れないと言われて久しい時代に細々ながらも途切れることなく本を出し続けていられるのは、この「やってみよう」という好奇心によるところが大きいのではないかと思います。
今作『さよならが言えるその日まで』は、デビュー10年目の締めくくりとなるタイミング、さらに初めての単行本での刊行です。
編集さんとは「代表作と呼べるようなものを作ろう」と意気込み、自分でもこれまでのやり方を総ざらいしていちばん美味しいものを作るべく力を尽くしました。
そして、我ながら上手くいったように思います。今度の料理は今まででいちばん美味しいに違いない——なんてこじつけはこの辺にして、今後もまだやってみたいことがたくさんあるので、引き続き一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
高木敦史
1979年福島県生まれ。早稲田大学第二文学部卒。「なしのすべて」で第13回学園小説大賞優秀賞を受賞。2010年に受賞作を改題した『“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕』でデビュー。2020年2月、デビュー10年目にして初の単行本『さよならが言えるその日まで』を上梓。