岩好きで人質。鶴好きで食われる。趣味に死んだ暴君 新春特別編

文字数 1,327文字

酒色に溺れ、虐殺する……。こんな暴君の王道を行く人たちを見るのは楽しいですが、新春にふさわしいとは言い兼ねます。そこで、今回は自分の趣味を全力で(国家規模で)追求した、楽しい暴君たちをご紹介します。
奇岩のためなら家も潰し、運河も止める。芸術家皇帝、北の大地に死す。

《宋》徽宗(1082~1135)

徽宗は「風流天子」と呼ばれ、自身の絵や書の腕前は超一流。その時代を代表する、世界レベルの芸術家であった。


開封の街に微行して、娼館に出入りしていたというのも『水滸伝』に出てくる通りである。いろいろと「粋」な皇帝だったようだ。


しかし、「粋で芸術を愛する皇帝」といえば聞こえがいいが、趣味も国家規模で行えば暴政と変わらない。


徽宗は国中の書画骨董、名木・奇岩を収集し、民間からも強制的に徴収した。名品を献上して皇帝の歓心を買おうと、家臣たちも同じことをする。


悪名高いのが「花石綱」である。徽宗は自らの庭園を飾るべく、江南地方の珍花・名木・奇岩などを首都・開封に運ばせた。その際、輸送に邪魔になる民家などは容赦なく破壊した。


また、運河でそれらを輸送する際は、民間の運河の使用をストップさせた。これがしばしばのことなのだからたまらない。そうやって国費を濫費し、穴埋めのために重税を課したから、「方臘の乱」などの反乱も相次いだ。


さらに、北方民族の金に攻め込まれると、「罪己詔」(オノレをツミするのミコトノリ)なるお触れを出した。その内容を非常に簡単に要約、意訳すれば「私は徳がない悪い皇帝だった。反省するぞ」というようなもの。手遅れだし、どうでもいい。ちなみに、この「己を罪するの詔」を出した皇帝は中国史上79人いるそうだ。


徽宗は、長男の欽宗に皇位を譲り、開封から逃走しようとする。しかし、結局、欽宗とともに捕らえられ、金に連行され、人質のままその生涯を終えた。

「鶴の恩返し」は一切なし。所詮は鳥だもの。肝を冷やした君主の話。

《衛》 懿公(?~B.C.660)

正月なので、めでたい「鶴」の話を一つ。


衛は、春秋戦国時代に河南省の一部を支配した国。小国であった。

懿公はその19代の君主。淫らで贅沢を好む享楽的な人物で、家臣や民の心服を得ていなかったという。


そのうえ、この懿公、どういうわけか鶴が大好きだった。たくさんの費用をかけて大きな飼育施設を作り、そこでたくさんの鶴を飼った


それだけでなく鶴に官位や俸給を与えた。また、貴族にしか乗ることを許されていない車に、お気に入りの鶴を乗せた。御者の気持ちも複雑だったろう。


懿公が即位してから9年目のこと、異民族の翟(逖)が衛に攻め込んできた。懿公は軍勢を集めようとするが、大臣には「好きな鶴に戦わせたらいいでしょう」と言われる始末。


そういうわけで、少ない軍勢で翟軍に立ち向かうことになった懿公。勇ましくも自分の居場所を示す旗を決して降ろさなかったため、そこを集中攻撃されてあえなく戦死した。


しかも、翟の人たちにその体を食われてしまい、肝臓だけが打ち捨てられていた。翟の人、レバ刺しが苦手だったのか。懿公は中国史上、人に食べられてしまった唯一の君主だという。

『水滸伝』駒田信二/訳(講談社文庫)
『春秋左氏伝』小倉芳彦/訳(岩波文庫)

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