第57回
文字数 2,749文字
夏が来たといってもいいのではないか。
ひきこもり同士諸君は、梅雨でカビないよう除湿を使いこなそう。
文明の力で四季折々の快適な籠城ライフ!
脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、
困難な時代のサバイブ術!
ひきこもりを悪化かつ長期化させる原因は社会や他人に対する「恐怖」である。
もちろん恐怖さえなければいつでも社会復帰できるというわけでもないし、ひきこもりが言う「出ようと思えばいつでも出れる」というのは、口元にピザポテトで作ったラメを輝かせているクソデブが言う、「痩せようと思えばいつでも痩せれる」と大差はない。
しかし、同じブスでも「なろうと思えば石原さとみになれる」と信じているブスの方がカワイイ、とは口がチーズ状に裂けても言えないが、少なくともさとみが着ていたのと同じ服に己をねじ込む元気さだけはあると思う。
たとえ服が弾けとんだとしても、それは弱い服が悪い。
一方ひきこもりタイプのブスは、自分を入れてくれる服にしか入ろうとしないため、余計外に出られる姿ではなくなっていくのだ。
このように、大体の悪性長期ひきこもりは「もう二度と外でやっていける気がしない」と思っている場合が多い。
本当に出られるかどうかは別として、本人が無理と思っていたら出られるものも出られない。
ひきこもりでなくても、外や人が怖くて、毎日学校や会社に行くのが辛いという人も多いだろう。
恐怖というのは人間に必要な感情であり、これがないと突然目の前を走るトレーラーに相撲を挑んだり、うまい棒(隠語)を食べさせてあげるという知らないおじさんについていってしまう。
人を見かけで判断するなとは言うが、半裸でヌンチャクを振り回している人に近づいて行ってヌンチャクが顔面にヒットしたら、「そんな人間に近づく方が悪い」と自己責任扱いされてしまう世の中である。恐怖という名の警戒心は持つにこしたことがない。
しかしこれが行き過ぎると、何もできなくなってしまうのだ。
例えば私の親父殿は、「乗ったら落ちる」というシンプルリーズンで飛行機には乗らないのだが、これがエスカレートすると、事故るから車には乗らないなど、どんどん行動範囲が狭まっていき、最終的に「部屋から出なければいい」というたった一つの真実にたどり着いてしまう。
幸い現在は、家から出ずともデキることは増えているので、それも一つの答えではあるのだが、逆に言えば家の中で出来ないことは一切出来ないということである。そうなったら突然たき火とかやりたくなった時に困る。
それを屋内でやろうとするから、よくある「ひきこもりによる痛ましい事件」が起こってしまうのだ
よって、外で生きようが中で生きようが、社会や他人に対する恐怖心は過度に持ちすぎないに越したことはないのだ。
ではどうやったら、恐怖心を消せるかというと、それがわかっているなら私だって今頃外でたき火をしている。わからないから内側から自宅に放火することしかできなのだ。
しかし、外に恐怖を感じてひきこもる過程はわかっているので、それを参考にせめて外側から自宅に火を放てる人間になってほしい。
まず、怖くてひきこもっている人間には、具体的なものに恐怖を感じているタイプと、ボンヤリしたものを怖がっているタイプがいる。
前者はいじめやパワハラなど、明確に外で他人に害されたケースである。
この場合は、原因から逃げることが一番なので、ひきこもるというのはある意味一番正しい行動だ。
それに対して、外や他人に恐怖は感じているものの、具体的なエピソードを尋ねると「何も出てこない」というタイプが結構いる。というか私がまさにそれである。
幸い、ハードないじめや無視を受けた記憶は一切ない。
ただ終始、周囲から浮き続け、一貫して「何となく上手くいかなかった」のも確かである。
つまり、何らかの大きな原因で一発ツモのひきこもりになってしまうタイプと、累積からだんだん世の中に対する恐怖を募らせ、徐々に社会からフェードアウトしていくひきこもりがいるのだ。
後者の場合、実際、社会で上手くいかなかった経験には事欠かないのだが、徐々に経験に基づき「こうに違いない」という「思い込み」も発生するようになってしまう。
つまり、自分の中で自ら恐怖を増大させてしまっているのだ。
悪く言えば考えすぎであり、被害妄想からひきこもっているとも言える。
よってそういうひきこもりに対しては「考えすぎだよ、他人はそこまでお前のことを気にしてなどいない、思い上がるなダボが」と励ましてあげるのが効果的、と思うかもしれないが、実は逆である。
これはひきこもりのみならず、全ての問題に対して言えることだが、悩んでいる人に対し「考えすぎ」はご法度である。
一見励ましているように見えるが、考えすぎということは、考えすぎているお前が悪いということであり、そんな妄想に俺の貴重な時間を使わせるなということだ。
そんなつもりで言ってないと思うかもしれないが、相手が考えすぎの被害妄想野郎ならそう受け取るに決まっているのだ。
例え全てが考えすぎであり「公安が俺のデスクトップをスクショしている」と言っていても、それはそれで「妄想のクセが強すぎる」という問題が起こっているので、何とかしなければならいのは同じである。
よってひきこもりが抱えている不安や恐怖がどれだけ取るに足らないものでも、本人にとっては大ごとなのは変わりないので、「考えすぎ」の一言で一蹴しないことが大事である。
ちなみに「みんなが自分の悪口を言っている気がする」という悩みに対し、ただの考えすぎと思い「そこまで言うなら、周りの声を録音してみればいい」とアドバイスしたところ、本当にみんな悪口を言っていた、ということもあったそうだ。
このように、妄想や考えすぎでない可能性もあるので、どちらにしても「考えすぎだよ」は言ってはならない。
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中