根来橋 ~たぶん信長はここが嫌い。鉄砲集団の街角~

文字数 3,224文字

都バスに表彰されてもいいレベルのバス好き。

第1、2回は小石川(現在の文京区内)の界隈をウロウロしたので、今回と次回は牛込(同・新宿区内)の近辺を。


小石川は永井荷風の生まれた町だし、牛込も余丁町に住んでた頃があるので、彼のエッセイの中には頻繁に出て来るんですよ。なので『日和下駄』をヒントに犯行現場を予告するなら、この2つの町を出すのは自然かと思ったわけです。


例によって我が家から都バス「渋66」系統で、渋谷へ。渋谷駅東口からは「池86」系統に乗って、池袋方面に向かいます。ただし終点までは乗らず、新宿伊勢丹前で途中下車。新宿五丁目バス停へ移動して、「白61」系統に乗り換えます。これで本日、最初の目的地へ、Go

この「白61」系統。新宿駅西口を出て靖国通りを曙橋まで。立体交差で外苑東通りに上がって、早稲田大学正門方向に走ります。そこから新目白通りを江戸川橋へ。神田川を渡って目白通りで「椿山荘前」へ……とかなり興味深いルートを辿る路線で終点、練馬駅まで行くのも本当に面白い。


だけどまぁ、今日は牛込柳町(都営地下鉄大江戸線の駅の上)で下車。車窓を楽しみに乗ってるんじゃないですからね。ロケハンですよ、ロケハン

※掲載の地図は国土地理院のものを加工しています。出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
荷風さん、大興奮。はしゃぐ文豪っていいですね。

さて第4の犯行現場(と、私が勝手に設定した)のはこの辺り。荷風は『日和下駄』の中でこう書いてます。


「牛込弁天町辺は道路取りひろげのため近頃全く面目を異にしたが、その裏通なる小流に今なおその名を残す根来橋という名前なぞから、これを江戸切図に引合せて、私は歩きながらこの辺に根来組同心の屋敷のあった事を知る時なぞ、歴史上の大発見でもしたように訳もなくむやみと嬉しくなるのである。」


国会図書館コレクションの江戸切絵図「市ヶ谷牛込絵図」を見てみると、確かに「根来百人組」の表示が見える。きっと荷風先生も、同じこの図を見て「あっ、根来組って書いてあるぅ」なんて喜んでたわけですね。想像を巡らせると、ちょっと可笑しい。


ちなみに「根来衆」というのは戦国時代、紀伊国北部の根来寺を本拠地とした僧兵集団で、傭兵としても活躍した。時代劇にもよく出て来ますよね。その集団が江戸時代、この辺りに屋敷を与えられて住んでいたということなんでしょう。

国会図書館コレクションの江戸切絵図「市ヶ谷牛込絵図」を一部加工しています。
暗渠に表彰されてもいいレベルの暗渠好き。

さてこの図には小川の表示はありませんが、牛込柳町の交差点から外苑東通りをちょっと北に向かうと、確かにいかにも川の跡らしき路地が分岐している。


ただ現在、外苑東通りは大規模な拡幅工事が進行中で、昔の面影がどんどん失われてる、っぽい。「道路取りひろげのため近頃全く面目を異にしたが」って、これまた荷風先生の時代と同じじゃないですか!? そこまで一緒でなくていい、ってのに。


あんまり来ない地にせっかく来たんだから、とまず牛込柳町駅前でラーメンを食べてから、いざ探索に出発! 例の路地に入ってみると、墓地のある一角を緩やかに縁取るように、小道が緩やかなカーブを描いていた。いやいやいいですねぇ。川の跡っぽいですねぇ、この曲がり具合♡

途中、拡幅された外苑東通りとくっつけるためにいかにも最近造られたばかり、という交差点もあったりして、ちょっと興醒め。その先では、いきなり突き出て来た敷地を避けるように、小道は急角度に曲がってた。


こういう、人工的な工事のせいらしき不自然な箇所はあったけど、その先に進むとまた綺麗なカーブがうねるように連なってた。


まぁ、ここまで来ればもう間違いない。やっぱりこの道、昔は川だったんです。暗渠(上に蓋をされてしまった川や水路のこと)好きの私が言うんだから、絶対。


路地はいくつかの小路を跨ぎ、宗参寺(切絵図にも書かれてますね)という大きなお寺の参道を横切って、早稲田通りにぶつかる。ここから先は、現在では川の痕跡はちょっともう辿れない。


さてそこで改めてスマホで現在地図を見ると、「弁天社」が昔のまんま、ここからすぐ近くにあることが分かった。「牛込弁天町」の名前の由来ですな。行ってみたら、こんな小ぢんまりした社でした。

荷風さん、便利ですよ、東京散歩のマスト・アプリ! ※「案件」じゃありません。

ところがそこで、こういう街歩きの時に愛用している「大江戸今昔めぐり」というアプリを立ち上げてみて、ビックリ! 


このアプリ、昔と現在の地図を重ね合わせて見ることができるんだけど、こっちには小川の跡がちゃんと描かれてた。

「弁天社」も描かれてて、よく見ると小川は、その敷地を急角度に回り込むように流れてるじゃないですか!?


さっき、路地が急角度に曲がってるのを見て、工事の跡だろうなんて思ったんだけど、実はこれも昔のまんま、流れの痕跡を残してたんですね。


いや、感動! 「歴史上の大発見でもしたように訳もなくむやみと嬉しくなる」荷風先生の書いた通り。同じ思いを味わってしまいましたよ。

※アプリ「大江戸今昔めぐり」の地図を一部加工しています。
弁天社の敷地を回り込むカーブ

さぁもうここまで来たら、最後の疑問。では肝心の「根来橋」は、この川のどこにあったのか?


今では当然、それらしき橋の跡は全くありません。ただ、流れを横切る小路がいくつかあった。そのどれかに架かっていた橋なのには、違いない。


「根来」という名前がついてるところからして、その敷地に接するところに架かっていた、と見るのは自然ではないでしょうか。すると切絵図にある、「緑雲寺」との境界地。そうあの、最初に路地に入った、緩やかなカーブに縁取られた墓地のあったところです。


そう言えば「今昔めぐり」の図の方を見ると、川の流れが不自然に折れてますよね。橋を架けるために人工的に流れに手を加えた、というのはいかにもありそうも思われる。


きっとここだ。「根来橋」は、ここにあったんだ


勝手に決めて満足し、ここでのロケハンを終えることにしました。次の、牛込御徒町に向かいます。

ここが根来橋跡だ!(推定)
鉄砲集団が牛込にそろい踏み⁉ 今日も邪推がはかどります。

ところがバスを待っていて、ふと近くの看板に気がついた。「才賀組」という建設会社の看板です。


雑賀衆と言えば根来衆と並ぶ、鉄砲武装した傭兵集団じゃないですか。字は違うとは言え読みが同じで、しかもこの位置関係……もしや根来衆と同じく雑賀衆の末裔も、この辺に住んでたんじゃないだろうか!?


さすがは「邪推作家」。胸にモヤモヤしたものを残したまま、次へと向かいましたよ(笑)。


ただし家に帰って調べたら、雑賀衆の読み方は正しくは「さいか」で、「さいが」は誤り、とありました。そう言えば「伊賀」は「いが」だけど、「甲賀」はホントは「こうか」だモンなぁ。ありゃりゃ。

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅を連載中!

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