西村健『激震』発売記念エッセイ①「鉄人のご利益」

文字数 1,574文字

戦後五十年の節目であった一九九五年は、一月に阪神淡路大震災、三月に地下鉄サリン事件が起きた異様な年でした。八〇年代末にバブル経済が崩壊しながらも雑誌の売上げは好調であったこの時期に、ヴィジュアル月刊誌のフリー記者として真実を求めて奔走し時代と向き合った主人公と同様の経験を持つ著者が、年末にはWindows95が販売されてネット時代に突入するという怒濤の一年をリアルに描き切ります。現代に至る日本の有り様を考える上でこの年がいかに重要だったかが実感される力作長編、発売中です。

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

鉄人のご利益


阪神・淡路大震災の時、現地取材には行かなかった。行けなかった。


労働省(現・厚生労働省)の役人時代、神戸に一年間赴任していた。全てが懐かしく、楽しい思い出ばかりである。なのにその街並みが完膚なきまでに破壊されたのだ。この目で見る勇気はとてもなかった。記者失格、と言われればその通りである。


今般、小説の取材のため復興した神戸市長田区を初めて歩いた。あの震災の時、最も大きな被害を出した場所の一つである。そして私の役人時代、しょっちゅう通った街でもあった。靴のゴム底を作る工場が立ち並び、労働災害も多かったため重点的に監督に回るのは仕事の性格上、当然だった。


予想はしていたが実際に行ってみて、驚いた。街が綺麗に整備されている。あれだけぐねぐね折れ曲がっていた路地が、真っ直ぐに伸びている。工場が立ち並び、と表現したが実際には一つの雑居ビルに、いくつものゴム工場が入り込んだりしていたようなところだったのだ。中には一つのフロアに違う会社の工場が複数、同居しているビルまであった。


それが綺麗な街並みに生まれ変わっている。


整然とした住宅街の真ん中に、小さな公園を見つけた。ベンチに腰を下ろし、目を閉じた。まだここがごちゃごちゃ入り組んでいた頃に、思いを馳せた。


あの街が揺さぶられ、燃え尽き、焼け跡と化した風景が見えるようだった。生き残った人々が歯を食いしばって立ち上がり、今の街を作り上げて行った。その様も、見えるような気がした。


現実の公園では子供達が無邪気に遊んでいた。今の平和な光景も、そんな辛い歴史の積み重ねの上にあるのだ。強く実感した。


JR新長田駅前に行った。ここには実物大の鉄人28号が立っている。原作者の故横山光輝氏は神戸の出身であり、復興のシンボルとしてこれが立てられたのだ。


先進的に生まれ変わった商店街を歩くと、奥に『KOBE鉄人三国志ギャラリー』があった。店内を覗くと、今風の三国志グッズに並んで昔の鉄人のオモチャも売っていた。


小さな鉄人の人形を買い求めた。一つだけ、売れ残っていたものだった。


仕事場の本棚の上に人形を飾った。見守ってもらいながら、本作の執筆に取り組んだ。


自分で言うのもナンだが、出来上がりには心から満足している。そしてそれは、鉄人のご利益ではなかろうか、と密かに思っている。

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