その恋、叶えたいなら「野性」に学べ! 『パンダより恋が苦手な私たち』試し読み④
文字数 6,159文字
イケメン変人動物学者とへっぽこ編集者コンビでおくる、笑って泣けるラブコメディー「パンダより恋が苦手な私たち」がいよいよ6月23日発売されます! その刊行を記念して、試し読みを大公開!
今日は「第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ③」をお届けします!
第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ③
「短すぎますか?」
言いながら、頭の中でカレンダーを広げる。
大まかなスケジュールは、紺野先輩から先に説明してあったはずだ。コラムにあてられる時間は三週間程度ということも伝えていた。あと何日かは延ばせるけれど、代わりに削られるのは私の作業日数だ。痛いけど、仕方ないか。
「あと数日なら、なんとか確保できますがどうですか?」
せいいっぱいの譲歩をしたつもりだった。
「あんたさ、勘違いしてない?」
「なにか、問題ありましたか?」
「あたしはね、あたしの名前でコラムの連載するのはいいって言ったつもりなんだよね」
「え……と。なぞなぞですか?」
「ちげーよ。わかれよ。名前をかしてやるから、コラムを書くやつはそっちでみつけろっていってんだよ。ちゃんとチェックするから。それで問題ないだろ?」
笑顔のまま、急に荒っぽい言葉遣いになった。それは、子供のころバラエティ番組で見た、自由奔放で女王様気質のスーパーモデルだった。
「いえ、私たちは、灰沢アリアさんにコラムを書いていただきたくてですね。あなたなら素敵なコラムが書けると思います。読者も、アリアの言葉を読みたいって思ってます。他の方にお願いするのは、読者やファンを裏切ることになりますよね」
「知るかよ。自分の恋くらい、自分で考えろっつーの」
恋愛相談にのろうという人が、絶対に言っちゃいけない台詞だ。
面倒くさそうに日本酒を口に運ぶけど、唇につけるだけでテーブルに戻す。酔っぱらってるわけじゃなさそうだ。
「だいたいのファンは、あたしが書いたっていやぁ喜んで読んでくれるさ。ファンっていうのは、あたしのことを一番理解できないやつらのことを言うんだ」
「そんなことありません。みんな、ちゃんとあなたのことを見てます」
「そういや、あんたもあたしのファンだっけ? どうりで、話が通じないわけだ」
殴られたような衝撃を受ける。子供のころから憧れていた、私の神さまだった。それを、すべて否定された気持ちだった。
泣きたくなるのを堪えて、話を続ける。
「とにかく、ゴーストライターなんて探せないですし、見つかったとしても、どこかからバレたときのリスクの方が高いですよ。なんたって今は、SNSの時代ですから」
「いいこと考えた。あんたが書けばいいだろ」
「そんなっ、無理です」
「あんたがあたしのファンで、あたしのことを理解してるっていうんならできるだろ」
「それは、確かにそう言いましたけどっ」
「言っとくけど、あたしの名前を使う以上は、ありきたりなコラムは許さないよ。ちゃんと、あたしらしいやつにしなよ」
だったら、自分で書けよ!
叫びたくなるのを押し込めて尋ねる。
「灰沢アリアらしいって、なんですか?」
いい質問だ、とでも言うように、大きな口を持ち上げて綺麗な笑みを浮かべる。
「あんたに、あたしが大切にしてることを教えてあげる。魔法の言葉だ。これを聞いたら、あんたにも面白い恋愛コラムが書けるはずだ。いいか、しっかり聞けよ」
「……はい」
「みんなが共感できるのに、これまで誰もやってこなかったことをする。それが、あたしらしさだ。ほら、もういいだろ」
なに、それ。精神論?
「ちょっと、待ってください。そんなの──」
「聞いたらやるって言っただろ」
「言ってません!」
アリアがずっと浮かべていた笑みが、途端に消え失せる。
「言い訳ばっかり、いちいちうるせぇよ。さっきもそうだ。ファッション誌の編集者になりたかったとか言ってたよな。あんたみたいなのは、もし思い通りにファッション誌の編集者になっても、こんなはずじゃなかったって言い訳すんだよ」
その言葉に、さっきとは違う衝撃を受けた。
ずっと、ここは私の望んだ居場所じゃないと思っていた。だから、編集長に叱られても、企画がボツになっても平気だった。でもそれが、ただの言い訳だったとしたら。
私が大切にしていた夢まで、汚れてしまう気がした。
「今いる場所が気に入らないなら、ちゃんと自分がいきたい場所に移動する努力をしたか? なにもしないくせに、今いる場所のせいにしてがんばれないやつは、どこにいったってがんばれねぇよ」
「そんなこと……そんなこと、ありませんっ」
「なら、証明してみろよ。ほら、ちょうどいい機会だろ。あんたがやりたくない仕事だ。悔しいなら、やりたくない仕事を引き受けてみろ。いいか、輝ける場所を探すんじゃない、自分で輝くんだ」
淡い青色の瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。無茶苦茶なことを言われてるのはわかってる。だけど、もう断るための言葉は出てこなかった。
宮田さんが戻ってきて、テーブルの雰囲気に驚いた顔をする。
彼がなにかを聞いてくる前に「ちょっと、会社に連絡します」と言って、入れ替わるように店を出た。すぐに紺野先輩のスマホに電話する。
「どーした。事件ですか、事故ですか?」
「事件ですっ!」
ふざけて電話に出た先輩に叫んでから、今の状況を話す。電話の向こうからは「やっぱ、そういうタイプだったかー」と悪い予感が当たったような軽い口調が返ってきた。
「やっぱりって、なにか知ってたんですか?」
「噂を聞いたんだよね。彼女、仕事がなくなってから、かなり荒れてるって。せっかく事務所が仕事をとってきても、無理な要求をしたり、わがまま放題いったりして話を潰しちゃうみたい。それで、事務所もそろそろ契約の打ち切りを考えてるって。いくら元トップモデルでも、落ちるとそうなるのかな」
「企画は、どーするんですか」
「ん、あれ、あんた飲んでる?」
話し方で気づいたのか、先輩が不思議そうな声を出す。確かに、初めての顔合わせで居酒屋に連れていかれたとは思わないだろう。
そこで気づく。アリアは、日本酒を口につける素振りだけでほとんど飲んでいなかった。もしかして、私だけ酔わせる作戦だったのかもしれない。
「せっかくご指名されたんだし、あんた、書いてみればいいんじゃない? これまでライターの仕事なんていっぱいやってきたでしょ。私、あんたの発想力はけっこう評価してるのよ」
先輩は、なんでもないことのように言うと電話を切った。
まだ肌寒い春先の渋谷の路地裏で、しばらく、茫然と立ち尽くす。
打ち合わせ前まで胸に詰まっていた緊張も、かつて神さまだった人に会えたという感動も、ぬるくなったビールの泡のようになくなっていた。頭の中いっぱいに溢れるのは一つだけ。それは、これから先、私が何度も心の中で叫ぶことになる言葉だった。
私が、恋愛コラム? なんで、こうなった!
◇◇◇
渋谷での無茶振りの夜から、一週間が過ぎた。
恋愛コラム企画は、今のところ順調に進んでいる。読者から恋愛相談が集まり、ホームページとSNSで公開され、記念すべき第一回に採用される悩みが決まった。後は、この相談に答える恋愛コラムを書くだけだ。私が。灰沢アリアになりきって。ふざけるな。
担当している企画が少なくても、仕事はたくさん降ってくる。スポンサーの商品紹介ページの作成だとか、読者プレゼントの配送だとか。次々と押し寄せる細々としたタスクをこなしながら、隙間時間を見つけては、知らない誰かの恋愛相談について考え続けた。
恋愛テクニックを紹介したハウトゥ本や、恋愛相談のサイトを片っ端から読んだりした。ヒントにならないかと有名な恋愛映画を見て、スターバックスでリアルな恋愛トークに聞き耳を立てた。恋愛アドバイザー・カトリーヌ京子が主宰する『恋愛の神さまに好かれる方法』なんて怪しげな恋活セミナーにも行ってみた。
寄せ集めの知識でなんとかコラムを書き上げ、とりあえず灰沢アリアに送付したのが三日前。結果はボツ。それどころか、メールを送信した三十分後に怒りの電話がかかってきた。
「どっかからパクった言葉を繫ぎ合わせたポエムなんて送ってくんじゃねぇよ。これの、どこにあたしらしさがあんだよ。言ってみろよ」
なら、自分で書け!
もちろん、そんなことは言えない。モンスタークレーマーに当たった店員さんは、こんな気持ちになるのだろう。
締め切りは来週の月曜日。四日後だ。
普通の見開き二ページの記事を書くだけなら十分な時間だけど、なにを書けばいいのかすらわからない手探り状態。原稿どころか、連載のタイトルすら決まってない。
考えるほど、思い知らされた。
自分の中には、恋愛に関する引き出しが少なすぎる。
大学生のときに初めてできた恋人と五年間続いていて、半年前から同棲している。
でも、カトリーヌ京子が言うには、交際期間の長さは恋愛エナジーには関係ない、交際した人数だけが恋愛エナジーを上昇させるそうだ。その法則だと、私の恋愛エナジーは中学生と同じレベルってことだ。恋愛エナジーってなんだよ。
【相談者:ヤミ子さん(医療事務・三十歳・女性)】
最近、彼氏にフラれました。別れ話のときに言われたのが「君は悪くない。僕が君を好きじゃなくなってしまっただけ」。こう言ってフラれるのは、もう五回目です。悪くないのに五回もフラれるなんて意味がわかりません。私のどこに原因があるのでしょうか?
それが、記念すべき第一回として、読者から選ばれた恋愛相談だった。
相談者の年齢は『リクラ』のターゲット読者層のど真ん中。ペンネームはヤミ子さん。イメージしたのは病みだろうか闇だろうか。どっちにしても重そうだ。
この相談が、断トツの二百五十二件の「いいね」を集めていた。
世の中には、同じような経験をした人がたくさんいるらしい。つけられたコメントには「こういうこと言う男最低」「別れるときはちゃんと傷つけて欲しい」なんて言葉が続いている。
それを初めて読んだとき、咄嗟に考えてしまった。
相談の内容も、ついたコメントも、恋愛ハウトゥ本や恋愛相談サイトに同じようなものがあった。カトリーヌ京子は「僕が悪いんです系男子」という名前まで付けていた。こんな個性のない相談が第一回なんて、インパクトないなぁ。
ありきたりすぎるテーマだってことが、恋愛コラムをさらに難しくしてるのかもしれない。少しでも自分の中の罪悪感を減らそうと、ヤミ子さんの相談内容のせいにしてみたりした。
とにかく、恋愛エナジーが中学生の私一人じゃ無理だ。
面倒見のいい紺野先輩に相談してみるけれど、今月は自分の仕事で手いっぱいらしく「これ役に立つから」といつも先輩のデスクの上にある本を渡されただけだった。『偉人の名言・格言集(文庫版)』、これでコラムが書けたら苦労はしないです。
スマホが震える。
ディスプレイに表示された名前は、アリアのマネージャーの宮田さんだった。
あの夜、私とアリアのやり取りを聞いた宮田さんは、必死にアリアを説得しようとしてくれた。でも、アリアは当然のように聞き入れなかった。
仕方なく、私が書きます、と答えると、宮田さんは申し訳なさそうに「できることがあれば、なんでもお手伝いします」と言ってくれた。でも、恋愛コラムについてマネージャーの彼にお願いできることなんて思いつかず「じゃあ、いいネタやアイデアがあったら教えてください」という社交辞令を返していた。
「あの、参考になるかもしれないネタを入手したんです。北陵大学に恋愛について研究しているスペシャリストがいるそうです。社会行動学というのを専攻している先生で、もしよければ、話だけでも聞いてみてはいかがでしょう?」
この電話がかかってきたのが二日前だったら、胡散臭い話だと、興味がある振りだけして電話を切っただろう。だけど今は、なんにだって縋りたい気持ちだった。宮田さんが告げる名前をメモする。
電話を切ってから、すぐに検索サイトを開いた。
北陵大学に所属する先生の中に、社会行動学を専門としているのは二人だけ。
日本でも有数の社会行動学者といわれる教授と、その教授の下についている准教授。そこに、教えてもらった恋愛のスペシャリスト・椎堂司の名前があった。
社会行動学がどんな学問なのかはよくわからないけど、名前から想像すると、人間の社会行動に関する研究なんだろう。そこには恋愛も含まれるのかもしれない。
恋愛について、男女の考え方の違いや、心理学のように仕草から感情を読み取る方法なんかを調査しているかもしれない。とにかく、コラムのヒントにはなってくれそうだ。
北陵大学は千葉と東京の県境にあって、会社の最寄駅から乗り換えなしで行ける。
下調べを後回しにして、思い切って大学に電話してみた。
椎堂准教授は不在だったけれど、代わりに電話口に出た女性は、あっさりとアポイントを入れてくれた。しかも、できるだけ早く話が聞きたいと告げると、
「そちらのご都合がよければ、今日でもいいですよぉ。先生、午後には調査から戻ってくるので。たぶん、あとは暇ですからぁ」
急ぎで片付けないといけない仕事はない。その返答に運命的なものを感じて、午後一番に行くと告げる。
オフィスを出て、途中で手早くランチを済ませ、手土産にモロゾフのフィナンシェを買ってから北陵大学へ向かった。
6月19日公開「第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ④」へ続く!
今泉忠明氏(動物学者 「ざんねんないきもの事典シリーズ(高橋書店)」監修)、推薦!
ヒトよ、何を迷っているんだ?
サルもパンダもパートナー探しは必死、それこそ種の存続をかけた一大イベント。最も進化した動物の「ヒト」だって、もっと本能に忠実に、もっと自分に素直にしたっていいんだよ。
あらすじ
中堅出版社「月の葉書房」の『リクラ』編集部で働く柴田一葉。夢もなければ恋も仕事も超低空飛行な毎日を過ごす中、憧れのモデル・灰沢アリアの恋愛相談コラムを立ち上げるチャンスが舞い込んできた。期待に胸を膨らませる一葉だったが、女王様気質のアリアの言いなりで、自分でコラムを執筆することに……。頭を抱えた一葉は「恋愛」を研究しているという准教授・椎堂司の噂を聞き付け助けを求めるが、椎堂は「動物」の恋愛を専門とするとんでもない変人だった! 「それでは――野生の恋について、話をしようか」恋に仕事に八方ふさがり、一葉の運命を変える講義が今、始まる!瀬那和章(せな・かずあき)
兵庫県生まれ。2007年に第14回電撃小説大賞銀賞を受賞し、『under 異界ノスタルジア』でデビュー。繊細で瑞々しい文章、魅力的な人物造形、爽快な読後感で大評判の注目作家。他の著作に『好きと嫌いのあいだにシャンプーを置く』『雪には雪のなりたい白さがある』『フルーツパーラーにはない果物』『今日も君は、約束の旅に出る』『わたしたち、何者にもなれなかった』『父親を名乗るおっさん2人と私が暮らした3ヶ月について』などがある。