第44話 花巻からあてがわれた男、黒木は味方なのか?
文字数 3,070文字
10
渋谷区の並木橋(なみきばし)通り沿いの路肩に停(と)めたアルファードの車内。
パッセンジャーシートに座った立浪(たつなみ)はフロントウインドウ越し……約十メートル先に建つマンションを注視していた。
午後七時半。杏奈(あんな)のマンションを張って二時間半が経つ。
杏奈が「クレセント」に出勤するのは九時だと、店に電話をして黒服に確認していた。
ラウンジはキャストの出欠を確認できるので、張り込みが空振りに終わることはない。
だが、出勤は確認できても同伴の可能性があるので余裕を持って五時から張っていた。
「ターゲットに暴力を振るうなよ」
立浪はマンションのエントランスに視線を貼りつけたまま、ドライバーズシートに座る若い男に念押しした。
「ボスの顔に泥を塗るような真似はしないのでご安心を」
男……黒木(くろき)が年齢にそぐわない丁寧な言葉遣いで言った。
立浪は、黒木に顔を向けた。
絹のような光沢を放つロングヘア、色白の肌、切れ長の眼――黒木は花巻(はなまき)の「リアルジャーナル」で編集長兼ボディガードを務めている。
――お兄ちゃんに、ウチのコスナーちゃんを貸してあげるよ~。
「リアルジャーナル」の事務所で報告を兼ねた打ち合わせを終えて帰ろうとした立浪に、花巻が言った。
――コスナーちゃんって誰ですか?
――ウチの編集長と僕のボディガードを兼ねている黒木って男で、ケビンコスナーから取ってコスナーちゃん。『ボディガード』って映画は知ってるよね?
――それは知ってますが、どうして黒木って人を私に?
――鬼退治に行く桃太郎(ももたろう)さんに、雉(きじ)も犬も猿もいないのは心細いでしょう? だから、僕が狼(おおかみ)をつけてあげたのさ。黒木は二十五歳でウチの編集長を任せられるくらいに頭が切れて、ボディガードを任せられるくらいに腕も立つ、動物で言えば狼みたいな男だよ。
大河内(おおこうち)の報復の対象にならないように、一方的に鈴村(すずむら)を「船」から下ろした。
それは「スラッシュ」の編集者や記者も同じだった。
――ありがたいですけど、お気持ちだけ頂いておきます。
――あ、そう言えばお兄にいちゃんも業界ではリカオンって異名(いみょう)がついているんだってね。トラが獲物を狩る成功率は八パーセント、オオカミは十四パーセント、ライオンは二十パーセント、ヒョウが三十五パーセント、あの史上最速のチーターでさえ五十五パーセントなのに、リカオンはなんと八十パーセントを超えるんだよね~。獲物を仕留めるために、時速六十キロのスピードで二十分以上も走り続けることができる持久力の持ち主なんだって。チーターなんてトップスピードは速いけど、十数秒でガス欠だもんね。
――さあ、私は動物のことに詳しくありませんから。
――アフリカの肉食動物で一番狩りがうまいところから、狙った獲物を確実に仕留めるのと狙ったターゲットを確実に仕留めるのを引っかけてリカオンって呼ばれてるんでしょ? お兄ちゃんも相当な凄腕(すごうで)だよね~。
――周りが勝手に言っていることですから。話を本題に戻しましょう。
――リカオンは狩りの能力は一番だけどさ、個の戦闘力ではハイエナに劣るって知ってた?
――だから、リカオンの話はいいから本題に入ってください。
――心配しないでも、もう本題に入ってるから。ハイエナより弱いリカオンがどうして全肉食獣で一番の狩りの成功率を誇るかというと、それはチームプレイに優(すぐ)れているからさ。いいかい? お兄ちゃん。いくら足が速くても、持久力に優れていても、リカオン一頭だけの力じゃシマウマさえも狩ることができない。だけど仲間と力を合わせれば、もっと大きな獲物も狩ることができるってわけ。つまり僕が言いたいのは、大河内を狩るにはお兄ちゃんにも仲間が必要ってこと。
――仲間ならいますよ。
――鈴村ちゃんや会社の同僚はこれ以上巻き込めないでしょう? だから、僕が新しい仲間を用意してあげる。
――それが黒木って男ですか?
――ピンポーン! アーンド、ビンゴ! これまでウチを脅迫してきたヤクザや右翼と渡り合ってきた男だから、お兄ちゃんにとっても心強い援軍になるよ。
「本当に大河内とやり合うつもりですか?」
記憶の中の花巻の声に、黒木の声が重なった。
「そのつもりだけど、どうして?」
立浪は質問を返した。
「ボスはピラニアと恐れられている方ですが、大河内をターゲットにしたことはありません。普通なら、決定的なネタを手にした時点で攻撃にかかります。大河内で言えばモデル事務所社長の監禁、暴行の動画でかなりの金を引っ張れるはずです。なのに、そうしなかった。なぜだかわかりますか?」
黒木が質問を重ねてきた。
「いま、脅(おど)し取ろうとしてるじゃないか?」
「あなたを使ってね」
すかさず黒木が言った。
立浪は怪訝(けげん)な顔を黒木に向けた。
「これだけの強いネタを入手したら、いままでのボスなら外部の人間を使ったりしません。すべて『リアルジャーナル』のスタッフだけで、ターゲットを仕留めてきました」
「大河内を恐れているんだろう」
「いえ、ボスは警戒することはあっても誰かを恐れることはありません。我々だけでは仕留めるのが難しいと判断して、外部の人間と手を組むことを決めたのでしょう」
黒木の口調は冷静だったが、瞳には屈辱の色が浮かんでいた。
「つまり、花巻さんが俺を頼ったことが気に入らないってことか?」
立浪は皮肉を込めて言った。
「いえ。気になるだけです。あなたがボスを窮地(きゅうち)に追い込まないかが」
「俺が下手(へた)を打つとでも言いたいのか?」
「僕がどう思っているかは重要ではありません。重要なのは、あなたがボスの足を引っ張らないかどうかです」
黒木は抑揚のない口調で言った。
「俺はあんたのボスではなく、俺のためにやってるんだ。そんなに心配なら、大事なボスに言えばいい。君のことも俺から頼んだわけじゃない」
立浪は素っ気なく言い放ち、顔を正面に戻した。
無駄話をしている間に、杏奈を見逃したら元も子もない。
「とにかくボスに迷惑がかからないように、僕が立浪さんをサポートします」
「好きにしていいが、俺の邪魔だけはするな。二人で動いているときは俺の命令に従って貰(もら)う」
「基本的には従います。ボスに迷惑がかかりそうだと判断したときには、その都度意見しますから」
黒木はまさに忠犬のような男だった。
花巻のためなら命をもなげうってしまいそうな忠誠心だ。
「勝手にしろ」
立浪はため息まじりに言った。
「早速ですが、プランを聞かせて貰ってもいいですか?」
「プランって?」
立浪は訊(たず)ね返した。
「女を誘い込んでからのプランです。どうやって協力させるつもりですか?」
「女がこっちに協力したくなるような話をするだけだ」
「具体的には……」
「シッ」
立浪は黒木を遮(さえぎ)った。
フロントウインドウ越し――遠目にもスタイルのよさが際立(きわだ)つニットのワンピース姿の女が、マンションのエントランスから出てきた。
「待ってろ」
黒木に言い残した立浪はパッセンジャーシートから降りると、空車のタクシーを探している女のもとに駆け寄った。
(第45話につづく)
渋谷区の並木橋(なみきばし)通り沿いの路肩に停(と)めたアルファードの車内。
パッセンジャーシートに座った立浪(たつなみ)はフロントウインドウ越し……約十メートル先に建つマンションを注視していた。
午後七時半。杏奈(あんな)のマンションを張って二時間半が経つ。
杏奈が「クレセント」に出勤するのは九時だと、店に電話をして黒服に確認していた。
ラウンジはキャストの出欠を確認できるので、張り込みが空振りに終わることはない。
だが、出勤は確認できても同伴の可能性があるので余裕を持って五時から張っていた。
「ターゲットに暴力を振るうなよ」
立浪はマンションのエントランスに視線を貼りつけたまま、ドライバーズシートに座る若い男に念押しした。
「ボスの顔に泥を塗るような真似はしないのでご安心を」
男……黒木(くろき)が年齢にそぐわない丁寧な言葉遣いで言った。
立浪は、黒木に顔を向けた。
絹のような光沢を放つロングヘア、色白の肌、切れ長の眼――黒木は花巻(はなまき)の「リアルジャーナル」で編集長兼ボディガードを務めている。
――お兄ちゃんに、ウチのコスナーちゃんを貸してあげるよ~。
「リアルジャーナル」の事務所で報告を兼ねた打ち合わせを終えて帰ろうとした立浪に、花巻が言った。
――コスナーちゃんって誰ですか?
――ウチの編集長と僕のボディガードを兼ねている黒木って男で、ケビンコスナーから取ってコスナーちゃん。『ボディガード』って映画は知ってるよね?
――それは知ってますが、どうして黒木って人を私に?
――鬼退治に行く桃太郎(ももたろう)さんに、雉(きじ)も犬も猿もいないのは心細いでしょう? だから、僕が狼(おおかみ)をつけてあげたのさ。黒木は二十五歳でウチの編集長を任せられるくらいに頭が切れて、ボディガードを任せられるくらいに腕も立つ、動物で言えば狼みたいな男だよ。
大河内(おおこうち)の報復の対象にならないように、一方的に鈴村(すずむら)を「船」から下ろした。
それは「スラッシュ」の編集者や記者も同じだった。
――ありがたいですけど、お気持ちだけ頂いておきます。
――あ、そう言えばお兄にいちゃんも業界ではリカオンって異名(いみょう)がついているんだってね。トラが獲物を狩る成功率は八パーセント、オオカミは十四パーセント、ライオンは二十パーセント、ヒョウが三十五パーセント、あの史上最速のチーターでさえ五十五パーセントなのに、リカオンはなんと八十パーセントを超えるんだよね~。獲物を仕留めるために、時速六十キロのスピードで二十分以上も走り続けることができる持久力の持ち主なんだって。チーターなんてトップスピードは速いけど、十数秒でガス欠だもんね。
――さあ、私は動物のことに詳しくありませんから。
――アフリカの肉食動物で一番狩りがうまいところから、狙った獲物を確実に仕留めるのと狙ったターゲットを確実に仕留めるのを引っかけてリカオンって呼ばれてるんでしょ? お兄ちゃんも相当な凄腕(すごうで)だよね~。
――周りが勝手に言っていることですから。話を本題に戻しましょう。
――リカオンは狩りの能力は一番だけどさ、個の戦闘力ではハイエナに劣るって知ってた?
――だから、リカオンの話はいいから本題に入ってください。
――心配しないでも、もう本題に入ってるから。ハイエナより弱いリカオンがどうして全肉食獣で一番の狩りの成功率を誇るかというと、それはチームプレイに優(すぐ)れているからさ。いいかい? お兄ちゃん。いくら足が速くても、持久力に優れていても、リカオン一頭だけの力じゃシマウマさえも狩ることができない。だけど仲間と力を合わせれば、もっと大きな獲物も狩ることができるってわけ。つまり僕が言いたいのは、大河内を狩るにはお兄ちゃんにも仲間が必要ってこと。
――仲間ならいますよ。
――鈴村ちゃんや会社の同僚はこれ以上巻き込めないでしょう? だから、僕が新しい仲間を用意してあげる。
――それが黒木って男ですか?
――ピンポーン! アーンド、ビンゴ! これまでウチを脅迫してきたヤクザや右翼と渡り合ってきた男だから、お兄ちゃんにとっても心強い援軍になるよ。
「本当に大河内とやり合うつもりですか?」
記憶の中の花巻の声に、黒木の声が重なった。
「そのつもりだけど、どうして?」
立浪は質問を返した。
「ボスはピラニアと恐れられている方ですが、大河内をターゲットにしたことはありません。普通なら、決定的なネタを手にした時点で攻撃にかかります。大河内で言えばモデル事務所社長の監禁、暴行の動画でかなりの金を引っ張れるはずです。なのに、そうしなかった。なぜだかわかりますか?」
黒木が質問を重ねてきた。
「いま、脅(おど)し取ろうとしてるじゃないか?」
「あなたを使ってね」
すかさず黒木が言った。
立浪は怪訝(けげん)な顔を黒木に向けた。
「これだけの強いネタを入手したら、いままでのボスなら外部の人間を使ったりしません。すべて『リアルジャーナル』のスタッフだけで、ターゲットを仕留めてきました」
「大河内を恐れているんだろう」
「いえ、ボスは警戒することはあっても誰かを恐れることはありません。我々だけでは仕留めるのが難しいと判断して、外部の人間と手を組むことを決めたのでしょう」
黒木の口調は冷静だったが、瞳には屈辱の色が浮かんでいた。
「つまり、花巻さんが俺を頼ったことが気に入らないってことか?」
立浪は皮肉を込めて言った。
「いえ。気になるだけです。あなたがボスを窮地(きゅうち)に追い込まないかが」
「俺が下手(へた)を打つとでも言いたいのか?」
「僕がどう思っているかは重要ではありません。重要なのは、あなたがボスの足を引っ張らないかどうかです」
黒木は抑揚のない口調で言った。
「俺はあんたのボスではなく、俺のためにやってるんだ。そんなに心配なら、大事なボスに言えばいい。君のことも俺から頼んだわけじゃない」
立浪は素っ気なく言い放ち、顔を正面に戻した。
無駄話をしている間に、杏奈を見逃したら元も子もない。
「とにかくボスに迷惑がかからないように、僕が立浪さんをサポートします」
「好きにしていいが、俺の邪魔だけはするな。二人で動いているときは俺の命令に従って貰(もら)う」
「基本的には従います。ボスに迷惑がかかりそうだと判断したときには、その都度意見しますから」
黒木はまさに忠犬のような男だった。
花巻のためなら命をもなげうってしまいそうな忠誠心だ。
「勝手にしろ」
立浪はため息まじりに言った。
「早速ですが、プランを聞かせて貰ってもいいですか?」
「プランって?」
立浪は訊(たず)ね返した。
「女を誘い込んでからのプランです。どうやって協力させるつもりですか?」
「女がこっちに協力したくなるような話をするだけだ」
「具体的には……」
「シッ」
立浪は黒木を遮(さえぎ)った。
フロントウインドウ越し――遠目にもスタイルのよさが際立(きわだ)つニットのワンピース姿の女が、マンションのエントランスから出てきた。
「待ってろ」
黒木に言い残した立浪はパッセンジャーシートから降りると、空車のタクシーを探している女のもとに駆け寄った。
(第45話につづく)