◆生まれる2年前にスペイン風邪が流行った?/瀬尾まなほ

文字数 1,662文字

瀬戸内寂聴氏の、66歳年の離れた秘書として日々奮闘している瀬尾まなほさんが、いちばん近くからの眼差しで「寂聴先生」について語ります!

 今年は新型コロナウイルスの感染拡大により誰もが想像できない一年となった。
「私の生まれる2年前、つまりいまから百年前に、スペイン風邪が世界中で流行ったらしいよ」と瀬戸内寂聴先生は言った。先生は今年で満98歳、年が明けると数えで100歳である。「最晩年にこんなことが起きるとは思いもよらなかった」と今の状況についてこぼす。

 毎月開催していた先生の寺院、寂庵での写経や法話の会も2月より中止している。来客もこない静かな寂庵。しかし、ここ寂庵だけは、世間の騒ぎからかけ離れていたように季節の花木が咲き乱れ、鳥は唄い、まるで桃源郷のようだった。

 行事や来客が減っても、先生の執筆の仕事はなくならない。98歳の今でも月5つの連載を抱えている。体力は昔に比べ衰え、書くペースも落ちた。日によって体調に波があり、一日中寝込んでいるときも珍しくはない。
「もういつまで書いているんだろう。もうこの年になって仕事なんてしなくていいよね?もう全部辞めてしまおうか」
と言うことも多い。そうかと思えば、
「この歳で仕事しているのは私くらいじゃない? 普通は一日中寝ているらしいよ?」
と誇らしげに話すときもある。私が、先生の好きなようにしたらいい、先生しか決めることは出来ない、と言うと、
「でも辞めたところで何するのって話だしねぇ」。ほら、やはり先生はペンを置かない。

 私が先生のもとで働き始めてから今年で10年が経つ。もちろん、年々老いていることは感じるが、机に向かって書いている先生の姿は10年前から全く変わらない。
「もっと長生きしてくださいね」と会う方によく言われる。長く生きるということは、どんどん一人ぼっちになっていくことのように思う。親しい人は先に逝ってしまうから。
「いのち」ではそんな先に逝ってしまった、先生の古くから親交のあった二人の女流作家のことを書いている。
「最期はね、ペンを持ったまま机の上で伏せて死んでいたい。それをあなたが発見するの」なんて死に方まで決めている先生。最期まで書く気満々である。


瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)

1922年、徳島県生まれ。東京女子大学卒。’57年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、’61年『田村俊子』で田村俊子賞、’63年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。’73年に平泉・中尊寺で得度、法名・寂聴となる(旧名・晴美)。’92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、’96年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、’11年『風景』で泉鏡花文学賞を受賞。1998年『源氏物語』現代語訳を完訳。2006年、文化勲章受章。また、95歳で書き上げた長篇小説『いのち』(本作)が大きな話題になった。近著に『花のいのち』『愛することば あなたへ』『命あれば』『97歳の悩み相談 17歳の特別教室』『寂聴 九十七歳の遺言』『はい、さようなら。』『悔いなく生きよう』『笑って生ききる』など。

瀬尾まなほ(せお・まなほ)

瀬戸内寂聴秘書。1988年2月22日兵庫県神戸市出身。京都外国語大学英米語学専攻。大学卒業と同時に寂庵に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフ4名が退職(寂庵春の革命)し、66歳年の離れた瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。瀬戸内宛に送った手紙を褒めてもらったことにより、書く楽しさを知る。瀬戸内について書く機会も恵まれ、2017年6月より『まなほの寂庵日記』(共同通信社)連載スタート。15社以上の地方紙にて掲載されている。2019年、クロワッサンにて連載「口福の思い出」も始める。著作「おちゃめに100歳!寂聴さん」、「寂聴先生、ありがとう」。瀬戸内寂聴との共著「命の限り笑って生きたい」、「寂聴専先生、コロナ時代の『私たちの生き方』教えてください」。困難を抱えた若い女性や少女たちを支援する「若草プロジェクト」理事も務める。

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