新装版「香菜里屋シリーズ」完結記念! 北森鴻インタビュー前篇

文字数 3,181文字

人生に必要なのは、とびっきりの料理とビール。それから、ひとつまみの謎――。


「短編の名手」と謳われた北森鴻氏による、ビアバーが舞台の連作短編集「香菜里屋シリーズ」。ミステリー史に輝く名作は、著者の早すぎる逝去から10年以上が経ってなお、多くの人々に愛され続けています。


 新装版の刊行開始以降、大きな反響を呼んでいる本シリーズは、6月15日(火)発売の『香菜里屋を知っていますか』で完結を迎えました。それを記念し、北森鴻さんの貴重なロングインタビューを特別公開いたします!

香菜里屋の"謎"を解き明かそう

北森鴻インタビュー 前篇


「IN★POCKET」2007年9月号収録

※本インタビューは、文庫旧版『螢坂』刊行時に行ったものです

――三軒茶屋のビア・バー香菜里屋を舞台にしたシリーズ第三作『螢坂』がこの度文庫化されます。第一作『花の下にて春死なむ』の単行本刊行から九年、長いシリーズになりました。


 単行本の刊行は九八年の十一月だったと思うのですが、最初の作品、短編の「花の下にて春死なむ」が載ったのは九五年の秋です(「創元推理」十号)。その年に、鮎川哲也賞を受賞した『狂乱廿四孝』でデビューしたので、受賞後第一作にあたるのがこの作品でした。



――最初の一編を書かれた当時から、連作にしようと思っていたのですか。


 デビュー前に何作か習作を書いていて、「花の下にて春死なむ」はその一つでした。その他に書いていたのはその続きではなくて、別の作品でしたね。その頃から連作にしたい、というよりも、むしろ一冊の本にしたいな、という思いのほうが強かったと思います。


 だから、東京創元社の「創元推理」で何本か書いていったのですが、だんだん注文がなくなって……。その後文藝春秋の「オール讀物」から仕事をいただいたときに「殺人者の赤い手」という作品で、香菜里屋を舞台に書かせてもらいました。さらに書き下ろしを二本加えて、出したのが講談社から(笑)。刊行されたのが九八年なので、単行本になるのには随分時間がかかっているんです。ですから、最初に書いたときから数えると、(ペンネームの)北森鴻になってからもう丸十二年、ずっと書き続けていたことになりますね。



――そうだったんですね。実際はデビュー前から書かれていた「花の下にて春死なむ」が一冊の単行本となって、いきなり、日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門を受賞されました。


 まず、一作目の「花の下にて春死なむ」が短編賞の候補になったんです。習作として書いて、デビュー後第一作で出した作品が、ですよ。本当にびっくりしました。


 推協賞(推理作家協会賞)って、歴史は長いのですが、一般的に知名度が高い賞ではないかもしれません。ただ、ミステリー作家として活動していく限りは、欲しい賞なんです。推協賞というのは、アマチュアの作品ではない、プロが書いた作品をプロが選ぶ賞、つまり「現役作家が選ぶその年のトップ・オブ・ザ・ベスト」を選ぶ賞なんです。ミステリーがずっと好きで読んできているんで、推協賞というのはすごいもんだなと思っていましたし、それが第一作で候補になるっていうのも、ちょっと驚愕でしたね。


「花の下にて~」では落ちてしまったけど、一回落ちた作品が本になって、今度は連作短編集部門で受賞できたんです。九九年にいただくんですけど、それでも、四年で取れるというのは、自分でも思ってもいませんでした。



――その頃というのは、作家になってこれから専業でやっていこうと、考えていたのですか。


 編集プロダクションを辞めて、しばらくフリーのライターで生活していましたが、それをこれからも続けようと考えていたので、いつかは専業作家になってやる、とは思っていませんでした。


 フリーのライターをしながら、年に一作か、二年に一作ぐらい発表できればいいかな、それで御の字だと。それが、二年目に出した『狐罠』、これが結構売れたんです。そうしたら、急に(小説)雑誌の仕事が増えてきました。一部のトップランナーの方は別ですけど、普通の作家は、書き下ろしだけでは、あまり食べてはいけないというのが現状です。


 だから、雑誌の仕事が増えたおかげで、ライターの仕事ができなくなったけど、作家で食べていけるようになった。デビューの翌年までは食えなかったんですけど、三年目から急に専業で食べられるようになったというのは非常にありがたかったですね。なおかつ、それが今も続いているというのが。その後、四年目で推理作家協会賞を受賞して、今は自分がその審査員をさせていただいているんですから(笑)、すべては編集者と、読者の皆様のおかげです。

香菜里屋のモデルは?


――ビア・バーでありながら美味しい料理がいつも出される香菜里屋ですが、モデルになったバーがあるのですか。


 三茶(三軒茶屋)に香菜里屋のようなお店があったわけではないんです。三茶を舞台にしたのは、僕が三茶に詳しいからです。大学に入学したときから、二十年以上住んでいましたから。



――三軒茶屋にバーがあるわけではなかったのですね。


 僕が行ったことのあるいくつかの店があって、それらを合わせて香菜里屋は作られています。


 たとえば、作品中もよく登場する「度数の違う四種類のビール」というのは、昔、キリンの直営店で「ジラフ」というところが出していたんです。


 そのころ、編集プロダクションの社員をしていて、仕事場が高田馬場だったのですが、高田馬場の「ジラフ」はバーの雰囲気があって、料理も結構充実しているお店でした。書いた原稿を印刷所に渡して、それがゲラになるまで待っている間、「メシ食いながら軽く一杯飲みたいな」っていうときに行っていた店がその店だったんです。



――アルコール度数の高いビールをロックスタイルで飲むというのも……。


 そのお店でしたね。他にも向島などにも行きつけのお店があって、それらを複合させて香菜里屋はできました。


 だけど、「香菜里屋はどこにあるのですか、本当にあるのですか」というのは本当によく聞かれますね。



――それは、作品を読めば、誰もが行きたいと思うお店だからではないでしょうか。



 香菜里屋というのは、こういう店があるといいな、という、「理想郷」なんです。


 現実の店っていうと、当然ですが、いろんな不満がありますよね。「美味しいんだけど、値段が高い」とか、「店主がやたら怒鳴り散らす」とか、「嫌な客がたくさんいる」とか。リアルな飲み屋さんではありえないこと、言い換えると、リアルなお店で不満に思うことを全部外すんです。そういった形で作りあげたんです。


 僕は学生時代に大衆割烹で、板前もずっとやっていたんです。そこで感じる不満、つまり中からの視点で不満な部分をまず外して、そこからお客さんの視点で考えて、嫌な部分を外してみたんです。だから、香菜里屋というのは内側からみても、外側からみても、理想のお店に仕上げることが可能になったのではないかなと。


 現実にあんな店、ありはしませんよ。もしあったら、誰よりも自分が一番行きたいし(笑)。強いて言うならば、モデルは僕の頭にある。そして、読んだ人の頭の中にもあるんじゃないでしょうか。

インタビュー後篇に続く

北森鴻『花の下にて春死なむ 香菜里屋シリーズ1〈新装版〉』

(講談社文庫、好評発売中)


三軒茶屋の路地裏にたたずむ、ビアバー「香菜里屋」。

この店には今夜も、大切な思いを胸に秘めた人々が訪れる――。

第52回日本推理作家協会賞 短編および連作短編集部門受賞作


春先のまだ寒い夜。ひとり息を引き取った、俳人・片岡草魚。

俳句仲間でフリーライターの飯島七緒は、孤独な老人の秘密を解き明かすべく、彼の故郷を訪れ――(表題作)。

バー「香菜里屋」のマスター工藤が、客が持ち込む謎を解く連作短編ミステリー。

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