第35話 ある情報の裏を取りに、ラウンジを訪れた立浪と鈴村だが

文字数 2,643文字

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 花巻(はなまき)のオフィスを訪れてから一週間が経った。
ダウンライトの琥珀色(こはくいろ)に染まる店内――オフホワイトのボックスソファに座る立浪(たつなみ)は、ハイボールのグラスを傾けながら店内に視線を巡らせた。
 店内は広々としたスペースで、ざっと見ただけで二十組以上の客が入っていた。
 キャバクラと違い落ち着いた感じの客が多く、西麻布(にしあざぶ)という土地柄なのか、スタイリッシュなファッションに身を包んだ業界人風の中年男性が目立った。
「私、凛(りん)です。お客さん達は、お仕事はなにをしている方ですか?」
身体の凹凸(おうとつ)をこれみよがしに見せつける、ピンクベージュのニットワンピースを着た薄茶のロングヘアの女性――凜が、のんびりした口調で訊(たず)ねてきた。
 ラウンジのキャストはキャバクラ嬢と違い、時給で働いているのでシャンパンやワインのボトルを入れさせようとはしない。
 よくも悪くも、ゆるい感じで仕事をしている。
 だからといって、彼女達が無欲なわけではない。
 ラウンジのキャストには、いわゆるパパ活目的で働いている子も少なくない。
 パパ活とは昔でいうパトロン……つまり、愛人になる代わりに経済的支援をしてくれる男性を探すことだ。
「なにをしている人に見える?」
立浪は凛に質問を返した。
 同じような会話のやり取りは、これで三度目だった。
 西麻布の「クレセント」には、今日で三度目の来店だった。
 一昨日と一週間前に来店したときにリクエストしたのは別のキャストだったので、目の前に座る凛は立浪の仕事を知らない。
 もっとも、過去二回の来店時に席に着いたキャストに教えた職業はでたらめだった。
 今日の立浪は、アウターがネイビーブルーの麻のジャケット、インナーが丸首のワッフル生地のTシャツ、黒のスキニータイプのチノパン、素足にグレイのデッキシューズという業界人風の若作りファッションで身を固め、黒縁の伊達眼鏡(だてめがね)をかけていた。
 場に溶け込むのと、本来の立浪とはかけ離れたイメージにするのが目的だった。
「え~、なんだろう? テレビ関係のお仕事ですか? プロデューサーさんとか」
凛が言った。
「ブッブー」
 立浪は、いつもとは違う軽いノリの男を演じた。
「お二人は、一緒のお仕事じゃないですよね? あ、美鈴(みすず)です」
もう一人の茶の巻髪の女性――美鈴が、立浪と鈴村を交互に見ながらヒントを求めてきた。
 美鈴がそう思うのも無理はない。
 くたびれたグレーのスーツに昔ながらのカッターシャツという昭和のサラリーマン的な鈴村(すずむら)の出(い)で立ちは、立浪とは対照的だった。
「一緒の仕事ではないけど、運命共同体のような、夫婦のような……」
 立浪は持って回った言い方をしながら、さりげなく店内に視線を巡らせた。
 ターゲットがフロアにいるとは思っていないが、念のためだった。
 過去二回のときは、ターゲットは来店さえしなかった。
「なになに~!? 余計にわからないですよ~」
 凛が言った。
 鈴村は仏頂面(ぶっちょうづら)で、水割りをちびちびと飲んでいた。
 場違いなラウンジに付き合わされ不機嫌なこともあるが、それ以上に彼女たちとどう接していいのかわからずに緊張しているのだろう。
「もう少し、ヒントを貰(もら)えますか?」
興味がある振りをして、美鈴が身を乗り出した。
 時間が過ぎるのを待つ女に、女好きを演じる男――それぞれがそれぞれの目的で、不毛な会話を続けていた。
「彼は出版で文芸部の編集者をしているんだよ。これは大ヒントだ。もうわかるだろう?」
立浪の隣に座る鈴村は、相変わらず仏頂面だった。
「あ! わかった! 小説家さん!」
凛が手を叩き、大声を張り上げた。
「ピンポーン!」
すかさず立浪が笑顔で言うと、鈴村が小さくため息を吐(つ)いた。

――は!? 西麻布のラウンジ? どうして、俺がそんなところに行かなきゃならないんだ。ああいう場所は苦手なんだよ。作家に銀座の文壇バーに誘われるのも、理由をつけて断ってるくらいだから。オネエちゃんと飲みたいなら、一人で行けよ。

 花巻の事務所からの帰りの車内で立浪が切り出すと、鈴村が嫌悪感を露(あらわ)にした。

――女と飲むのが目的じゃない。ターゲットの情報収集だ。
――ターゲット? 誰だよ?
――牧野健(まきのけん)だ。
――牧野健だって!?

 立浪が出した名前に、鈴村が素頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。

――芸能界に興味がないお前が、牧野健のことを知ってるのか?
――知ってるに決まってるだろ!? 牧野健って言えば、さっき名前が出た矢田(やだ)けんたろうと「帝都(ていと)プロ」の二枚看板じゃないか!?

 牧野健は年に二クールはプライムタイムの連ドラで主役を張り、四十歳の若さで「日本アカデミー賞」の最優秀主演男優賞を過去に二回受賞している、名実ともに日本を代表する俳優だ。
 超売れっ子で「帝都プロ」所属となれば天狗(てんぐ)になっても不思議ではないが、誠実で腰が低く業界関係者で牧野を悪く言う人間はいない。
 だが、立浪はアイミーのネタを持ってきた子飼いの情報屋――三上(みかみ)から、牧野についての極秘情報を仕入れていた。

「え~! 小説家さんに見えないですよ。どっちかっていうと、ITかなにかのお仕事をしている人みたいです」
 凛が、驚きに眼を見開いた。
「ボサボサの髪で着物姿だったら、イメージ通りだった?」
 立浪は軽口を飛ばした。
「そこまで昔の人のイメージは持ってないですよ~。ということは、田中(たなか)さんは手塚(てづか)さんのことを先生と呼んでいるんですか?」
 凛が田中……鈴村に顔を向けた。
「いまは、あまりそういうふうに呼ばないから」
鈴村が素っ気なく言った。
「そうなんですね。映画やドラマでよくあるように、先生、原稿のほうはいかがでしょうか? みたいに徹夜で部屋に泊まり込んでいるベタなイメージを持っていました」
 美鈴が苦笑いした。
「まさか。いまは原稿のやり取りはすべてデータだから、顔を合わせることはほとんどないよ。ところで、今度、新作でラウンジが舞台の物語を書くんだけど、いくつか訊(き)いてもいいかな?」
立浪は、本題を切り出した。
(第36話につづく)

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