第43話 大河内の眼前で、臆病な男を演じ続ける立浪の胸中は

文字数 3,382文字

「知り合いの記者の娘さんが見知らぬ男に呼び止められ、立浪さんによろしく……そう言われたそうです。私のやったことで無関係の人に危害が及ぶと思うと、恐ろしくなったんです」
 立浪は震える声音(こわね)を作った。
 臆病な男を演じた。
 構わなかった。
 大河内の悪行の数々を暴くためなら、どんなに情けない男にでもなるつもりだった。
「そりゃ、恐ろしい話だな。だが、それをやらせたのは俺じゃないかもしれねえだろ?  だったら、いま土下座していることも無駄になるぞ」
 大河内が白々しく言った。
「たとえそうだとしても、もう、凝りました。編集長も左遷されましたし……私が大河内社長に楯突(たてつ)いてから、周囲の人達によくないことばかりが起こっています。いまさらながら、大変な相手に牙を剝いてしまったと後悔しています」
 立浪は額を床に押しつけたまま、怯(おび)える男を演じ続けた。
「お前の言ってることは身に覚えのない話ばかりだが、俺を怒らせたら大変なことになるっていうのは当たっている。こうやって詫びに訪れるのは正解だ」
 大河内は言いながら、立浪の後頭部を踏みつけた。
 反射的に大河内の足首を摑(つか)もうとした手を止めた。
 奥歯を嚙(か)み締めた――堪えた。
 牙を剝くのは、いまではない――牙を剝くのは、大河内の息の根を止めるときだ。
「もう二度と、馬鹿なことはしません。なので無関係の人達に手を出すのはやめてください……お願いします!」
 頭を踏みつけられたまま、立浪は懇願した。
「お前が約束を守るなら、今後そういうことは起きないんじゃねえのか?」
 大河内が相変わらず惚(とぼ)けた言い回しをしながら、立浪の頭から足を外した。
「これはどう責任を取るつもりだ?」
 立浪が顔を上げると、大河内が取り出した電子タバコでノートパソコンのディスプレイを指した。
「お前が俺に二度と楯突かないという話と、ウチの看板タレントに精神的苦痛を与えた話は別だ。きっちりケジメをつけて貰わねえとな」
 獲物を前にした猛禽類の眼で、大河内が立浪を見据えた。
 大河内の背後では、ポニーテイルと坊主がいつでも動けるように身構えていた。
「私は、どうすれば許して貰えますか?」
 立浪は 怖々と訊ねてみせた。
 恐怖よりも怒りが勝っていた。
 大河内を油断させるためとはいえ、父を殺した怨敵の足元に跪(ひざまず)き命乞いしている自分に腹が立った。
 立浪の目の前に、スマートフォンが差し出された。
 ディスプレイに表示される画像――全裸でソファに座る男の下半身に顔を埋(うず)める全裸の女。
「これは……」
 全裸の男の顔を見て、立浪は息を呑んだ。
 男は俳優の谷進次郎(たにしんじろう)だった。
 谷は牧野とは同年代だが、ブレイクしたのはここ二、三年だ。
 それまで舞台を中心に活動していた谷は、NHKの朝ドラでヒロインの幼馴染みの役を演じて注目を浴び、以降、民放のドラマプロデューサーからオファーが殺到し飛ぶ鳥を落とす勢いでトップ俳優の仲間入りを果たした。
 クリーンなイメージの谷は、広告代理店のアンケートでCMに使いたい男優として牧野に次ぐ二位の評価を得ていた。
 現在のCM契約数は、牧野が八本で谷が六本だ。
 だが、去年はCM十本の牧野にたいして谷は僅(わず)か一本だったことを考えると、来年は並ぶどころか追い抜く勢いだった。
「驚いたか? 谷進次郎だ。この画像を使っていいから、巻頭ぶち抜きで派手に報じろ」
 大河内が片側の頰に酷薄な笑みを貼りつけながら命じた。
「私はいまアイミーの件で睨まれているので、上司が企画を通してくれるかわかりません」
 言い訳ではなく、本当のことだった。
「帝都プロ」の系列プロダクションの社長と、国民的アイドルグループのセンターを張るアイミーの不倫スクープを報じたことで大河内の逆鱗(げきりん)に触れ、編集長の福島(ふくしま)が閑職に飛ばされたのだ。
「新しい編集長には俺から言っておくから大丈夫だ。お前は、記事を書けばいい」
「どうして、私に書かせるんですか? そんな面倒なことをしなくても大河内社長なら、編集部に電話一本かければ記事にできるじゃないですか?」
 立浪は素朴な疑問を口にした。
「スラッシュ」に下半身スキャンダルを載せて谷を潰そうという考えはわかるが、なぜ自分に担当させようとするのかがわからなかった。
「お前は俺にたいしての恨みで、牧野を潰そうとした。詫びの気持ちが本当なら、牧野のために働け。それが俺にたいする忠誠の証となる」
 たしかに大河内にとって、谷は邪魔な存在だ。
 谷をスキャンダルで潰すのは牧野のためというより、大河内自身の利益のためだった。
 障害物を取り除く役目を立浪にやらせるのは試す意味と、完全に支配下に置くつもりなのだろう。
 そして都合が悪くなれば、立浪に責任を押しつけて切り捨てるに違いない。
「わかりました。谷進次郎のスクープを『スラッシュ』に掲載すれば、周りの人に手を出さないと約束して頂けますか?」
 立浪は大河内を見上げた。
「お前が二度と俺に牙を剝かずに、谷進次郎のスキャンダルを巻頭グラビアでスクープすれば、今後、周囲におかしなことは起きないだろうよ」
 大河内が約束を守る男とは思っていなかった。
 利益のためなら呼吸をするように約束を反故(ほご)にするだろう。
 だが、時間稼ぎにはなる。
 少なくとも谷の記事を掲載するまでは、大河内も下手(へた)な動きはしないはずだ。
 稼いだ時間で「クレセント」の杏樹を懐柔し、牧野の薬物使用を記者会見で証言させる。
 会見には古田の娘も出席させ、何者かに脅迫されたことを暴露する。
 そして止めは、花巻のネタ――モデルプロダクション社長の拉致(らち)、拷問(ごうもん)事件の暴露だ。
 七、八年前に借金で失踪(しっそう)したと報じられていた「Sスタイル」の中富(なかとみ)社長が、実は「帝都プロ」の売れっ子モデルを引き抜いた報復で大河内に命じられた配下に拷問されている動画がWEBで公開されたら、さすがの大河内も終わりだ。
「ありがとうございます! もう二度と、変な気は起こさないと約束します!」
 立浪は額を床に押しつけ、大河内に忠誠を尽くした。
 後頭部に硬い感触――大河内がふたたび、立浪の頭を踏みつけた。
「親父にも息子の物分かりの良さが、少しでもあったらよかったのにな」
 頭上から降り注ぐ大河内の言葉が、立浪の理性を焼き払いそうになった。
 奥歯を嚙み締めた――拳を握り締めた。

 堪えろ……堪えろ……堪えろ……。

 立浪は眼(め)を閉じ、呪文のように繰り返した。
「妻、鈴村和江(かずえ)三十六歳、初台(はつだい)の『スーパー丸大』にパート勤務、長男、鈴村翔真(しょうま)十三歳、『中野(なかの)第一中学校』二年、次男、鈴村翔太(しょうた)九歳、『野方南(のがたみなみ)小学校六年』、父、鈴村喜一郎(きいちろう)七十五歳、母、鈴村佐和(さわ)七十二歳。中野区野方の鈴村家の家族構成だ」
 立浪の感情を支配していた激憤が、瞬時に凍(い)てついた。
 鈴村の存在がバレていただけでなく、既に家族構成まで丸裸にされていた。
「心配するな。お前んとこの記者の娘を脅したとかいうならず者も、鈴村家には手を出さないはずだ。あっ、釈迦(しゃか)に説法だったな。どうすればお友達が安全か、お前が一番わかっているだろうからな」
 大河内の高笑いに、立浪の肌が粟立(あわだ)った――口内から唾液が干上がった。
 中富社長が大河内の配下に拷問されている動画を観たときでさえ感じなかった得体の知れない恐怖に、立浪の心は緊縛された。
 立浪がミスを犯せば、ほかの誰かに危害が及ぶ恐怖……いっそのこと、自分が半殺しの目に遭うほうが遥かにましだった。
「この動画に映っていた牧野は、悪酔いして羽目を外し過ぎてただけだよな?」
 無言の圧力――大河内が質問してきた。
「はい。牧野さんは泥酔して前後不覚になっていただけです」
 後頭部を踏まれたま、立浪は言った。
 嚙み締めた唇――口の中に、鉄の味が広がった。

(第44話につづく)

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