イケメン変人動物学者が恋愛相談!? 『パンダより恋が苦手な私たち』試し読み⑧

文字数 10,292文字

動物たちの求愛行動をヒントに、人間の恋の悩みをスパッと解決!?

イケメン変人動物学者とへっぽこ編集者コンビでおくる、笑って泣けるラブコメディー「パンダより恋が苦手な私たち」がいよいよ6月23日発売されます! その刊行を記念して、試し読みを大公開!

今日は「第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ⑦」をお届けします!


試し読みの第1回目はコチラ!

第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ⑦

 


 土曜日のキャンパスは、この前とは別の場所のように静かだった。

 私の傷心なんて気にも留めず、空は憎たらしいくらいに晴れ渡っている。

 春の陽気は温かく、太い脚が目立たないワイドパンツと、コーディネートを無視して着られるオールマイティの春物ロングコートが少し重たく感じた。

 正門から続く赤煉瓦の通りを抜け、奥まった場所に隔離された生物棟へ向かう。

 階段を上ったところで、村上助手に会った。相変わらず色あせたデニムパンツに、大阪土産らしい関西弁がプリントされたシャツに白衣という残念な感じだ。胸元には「あかんもんはあかん」と書いてある。

「あれ、柴田さん。どうしたんですか? 目がアカメアマガエルみたいに真っ赤ですよ」

「すいません、もうちょっとメジャーな動物でたとえてください。ウサギとかでよくないですか?」

「んー。だって、柴田さん、ウサギってイメージじゃないからぁ」

 目の話してんだから、それはいいだろ。

 ささくれた心が呟くけど、声に出して突っ込む気力もなかった。

 真樹にフラれ、一晩落ち込んで頭に浮かんだのは、とりあえず仕事しようだった。

 恋人を失って仕事も落としたんじゃ、あまりにも惨めすぎる。紺野先輩から借りた本にも書いてあった。芥川龍之介曰く「我々を恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である」だそうだ。

 それに、今なら、恋愛コラムの相談者のヤミ子さんの気持ちがよくわかる。いいねを連打したい気分だ。私は、真樹からちゃんと理由を聞くことができた。だけど、彼女は答え合わせができず、前に進めないでいる。なんとかして背中を押せる言葉を届けてあげたかった。

 もう一度、椎堂先生の話を聞けばいいアイデアが浮かんできそうな気がして電話すると、週末も出勤しているらしく、土曜日の打ち合わせを快諾してくれた。

 村上助手とは、先生の居室の前で別れた。「土曜日もその人の相手しないといけないなんて、編集者って大変ですねぇ」と酷いことを言いながら去っていく。

 ドアの前には今日も「求愛ビデオ鑑賞中につきお静かに」というプレートがぶら下がっている。ノックすると、またしても奇妙な音が聞こえてきた。


 ヲォン、ヲォン。


 ファンタジー映画に出てくる飛行船のような不思議な音が、一定間隔で響いてくる。

 いつかの村上助手のように「すいませーん、勝手に入りまーす」と言って、中に入る。

 椎堂先生は、想像通りパソコンの画面に見入っていた。

 映っていたのは、ペンギンだった。

 ペンギンといえば南極の氷の大地にいるところをイメージしてしまうけど、場所はぽつぽつと草が生えている広い岩場だった。

 岩場では、十羽ほどのペンギンが思い思いに過ごしていた。ウロウロ歩き回っているやつもいれば、腹這いになって眠っているやつもいる。そんな中、画面の中央に向かい合って立っている二羽がいた。廊下で聞いた、ヲォン、という奇妙な音はどこからも聞こえない。

 なんというペンギンだろう。丸っこい黒色の嘴で付け根の辺りがピンク色になっている。とりあえず可愛い。

「フンボルトペンギン、チリの海岸沿いの映像だ」

 考えていたことを読んだように、椎堂先生の声がした。今日は、私が入ってきたのに気づいてくれたらしい。

「チリにペンギンがいるんですか?」

「南極を主な繁殖地としているのはコウテイペンギンとアデリーペンギンくらいだ。ペンギンは南半球に広く生息している」

 求愛行動の映像なのは聞くまでもないだろう。そういえば、中央の二羽は体の大きさに差がある。たぶん大きい方がオスだ。

「静かにしろ、またくるぞ」

 次の瞬間だった。

 中央の二羽のうちの一羽、体の大きな方が、ぐぐっと空を仰ぐようにして首を真上に伸ばす。SF映画に出てくるあちこちから吸い上げたパワーを放出する兵器みたいに、体中のエネルギーが嘴の先端に集まっているのがわかる。

 そして、嘴から、さっきの声が解き放たれる。

 ヲォン。

 喉を震わせるような、鋭い鳴き声。

 それは、渾身の力を込めた一声だった。

 ペンギンのことは知らなくても、なにを伝えたいのかはわかった。

 彼は、愛を叫んでいる。

「エクスタティック・ディスプレイだ」

「必殺技、ですか?」

「なにをいっている。ディスプレイは、多くの動物に見られる仕草や鳴き声などの行動様式のことだ。特に、ある種のペンギンが巣を手に入れたあとに行う求愛行動のことを、エクスタティック・ディスプレイと呼ぶ。日本国内で使われる表現だと、恍惚のディスプレイ、だな」

 恍惚。その日常生活で使うには過剰な言葉は、人間の恋愛でもほとんど聞かない。

 どんなに情熱的でも運命的でも、恍惚と呼ぶには物足りない。ただ、エクスタティックという言葉を直訳しただけなのだろうけど、全身から絞り出すようなペンギンの叫びは、恍惚という言葉がぴったりな気がした。

 メスのペンギンも、同じように嘴を空へと向ける。

 そして、勇気を振り絞るように、ヲォン、と鳴いた。

 続けて二回。ヲォン、ヲォン。初めてメイクをして外に出た女の子が、最初は恥ずかしそうに俯いて、だんだん顔を上げて、笑顔でスキップを始める。そんな風に、メスペンギンの鳴き声は鮮やかに変わっていくように聞こえた。

 二羽の鳴き声が、重なって響き渡る。周囲では、他のペンギンたちは祝福するでも邪魔するでもなく、思い思いに過ごしている。日向ぼっこをしていたり、忙しなくウロウロしたり。それは、自分たちの世界にどっぷり浸かって人ごみの中で抱き合うカップルのようだった。

 空へ向けて愛を詠う、飛べない鳥たち。

 そこで、映像が止まる。今回は感動までは至らなかったらしい。椎堂先生は、くるりと椅子を反転させて私の方を振り向いた。

 うん。相変わらずのイケメン。

 今日は土曜日だからかジャケットじゃなかった。サックスブルーのシャツにインクブルーのカーディガンにネイビーのパンツ。全部青系で統一されているのに絶妙なバランス感覚でオシャレに仕上がっている。もうこのまま雑誌の表紙を飾れそうだ。

「ペンギンのディスプレイは、いつだって疲れを吹き飛ばしてくれる。体がだるいときはフンボルトペンギン、肩が凝っているときはイワトビペンギンがよく効くな」

「そんな入浴剤みたいにいわないでください」

「だが、なんといっても俺のお気に入りはコウテイペンギンのお辞儀のディスプレイだな!」

「お辞儀するんですか。礼儀正しいんですね。皇帝なのに」

 このまま放っておくと、延々とペンギンの話を聞かされそうなので、遮るように声を挟む。

「あの、そろそろ恋愛コラムの話してもいいですか? ちなみにこれが、今回の相談なんですけど」

 タブレットに相談を表示させて見せようとした途端、露骨に面倒そうな表情になる。

「人間の恋愛には興味がない。どういう動物の求愛行動が知りたいのかだけ、端的に伝えてくれ。時間の無駄だ」

「そういわれても……君は悪くない、と言われて彼氏にフラれた人が、どうしてフラれたのか本当の理由を知りたいという質問なんですけど」

「実に、人間らしい。くだらんな」

 眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように呟く。映画とかに出てくる人間を見下している悪い種族のボスみたいな言いっぷりだ。

「それで、なにかいい動物のネタ、ありませんか?」

「ふざけるな。それを考えるのは君の役目だろう」

「そうですけど……なかなか思いつかなくて」

「そもそも、そんな質問を他人にすること自体がナンセンスだ。人間は求愛の基準が曖昧な生き物だ。理由など個体ごとに違うに決まっている」

 椎堂先生はわざとらしく腕時計を見る。

 打ちのめされそうになった心に、時間差で、先生の言葉が届いた。

「それです!」

 思わず大きな声を出してしまい、先生に睨まれる。

「動物たちはちゃんとパートナーを選ぶ基準がわかってる。でも、人間は違う。それですよ! 相手を選ぶ明確な基準がある動物について教えてください!」

「なにを閃いたのかは知らないが、ほとんどの動物が明確な基準を持っている。もっと条件を絞って質問しろ。俺の時間を浪費するな」

「初回なので、メジャーで一般の人たちからの好感度が高い動物がいいです」

 椎堂先生は腕を組むと、パソコンの画面をちらりと振り向いてから告げた。

「ならば、ペンギンはちょうどいいかもしれないな」

 たしかに、メジャーだ。街頭インタビューで、動物を好きと嫌いの二種類に分けてもらったら、かなりの確率で好きの方に入るだろう。

「いいですね、ペンギン。お願いします!」

「わかった。では──野生の恋について、話をしようか」

 言いながら、眼鏡の縁に触れる。先生の中でスイッチが入ったのがわかる。

 ゆっくり立ち上がると、張りのあるバリトンの解説が始まった。

「ペンギンは一夫一妻制だという話を聞いたことがあるか? 一たび夫婦になると、次のシーズンが来ても同じ相手とパートナーを維持し続ける確率が高いと言われている」

「そうなんですか? 動物ってみんな、恋の季節ごとに相手を探すのかと思ってました」

「もちろん例外はあるし、ペンギンの種類や生息地域によってカップルの維持率に差はある」

 例外ってなんですか、というのを聞こうとして止める。野生の世界の厳しさはよくテレビでやっている。きっと、次のシーズンがきても再び巡り合えない恋人たちもいるのだろう。

「ペンギンのメスが、どうやってオスを選んでいるのか。これが、非常に興味深い」

 椎堂准教授は、本棚から一冊の分厚い本を取り出す。タイトルは『ペンギンのすべて』。その中の、ペンギンの分類表というページを開く。世界中に生息するペンギンのイラストが一覧になっていた。

「ペンギンはいくつか分類の仕方があるが、一般的には十八種類しかない。そして、面白いことに、それぞれの種でメスがオスを選ぶための基準が異なる」

 椎堂准教授は一羽ずつ指さしながら、よく通る声で教えてくれる。

「さっきの動画で見たフンボルトペンギンのディスプレイは、メスへのアピールだけではなく、他のオスに対して、パートナーが見つかったらこの場所を縄張りにして巣を作る、と宣言している。つまり、メスはオスのディスプレイだけに惹かれたわけではなく、彼が獲得した縄張りにも惹かれたわけだ」

「えぇっ。二羽で空に向かって愛を叫びあっているように見えたのに。でもそれって、このあいだの──経済力が大事タイプですね!」

「オーストラリアとニュージーランドの沿岸に生息するリトルペンギンは、鳴き声が低いオスがモテるという研究結果が報告されている。さらに、オスは鳴き声が低い方が体が大きく強い個体であることもわかっている」

「強さが大事タイプ、ですね!」

「アデリーペンギンには、ユニークな求愛行動の報告がある。彼らは石を積み上げて巣を作る。彼らが住む海岸では石が貴重で、ペンギン同士で石の奪い合いをするほど大事にしている。求愛の時には、その貴重な石を、オスからメスにプレゼントするそうだ。メスがそれを受け取ればカップル成立となる」

「それは──よくわからないけどロマンチックなタイプですね!」

 石をあげるペンギンなんているんだ。名前をつけるなら、エンゲージストーンだろうか。

 椎堂准教授はペンギンを一羽ずつ紹介しながら、それぞれの求愛行動について教えてくれた。

 種類や生息地ごとに、異性から選ばれる基準がまるで違う。

 安全な住み家だったり、健康だったり、体の大きさだったり。自分たちが生きる上でもっとも大切と決めた基準で合理的に相手を選び、選ばれている。

「本当に、たった一つの基準で相手を選んでるんですね。でも、それって、ちょっと残酷な気もしますよね。モテない子はずっとモテない。人間だったら、貧乏だけど一緒にいて楽しいとか、カッコよくないけど料理は得意とか、いろいろアピールの仕方があるのに」

 声の低いペンギンがモテるのなら、声の高いペンギンはどうやってパートナーを見つけるのだろう。幼い頃からコンプレックスに悩み続けてきた私は、どうしても選ばれない方のことを想像してしまう。

「俺には、その感覚が理解できない。明確なたった一つの基準がないと、まず、どうやったらモテるのかを悩まなければならない。それは、非効率的だとは思わないか?」

「非効率的、ですか?」

「たった一つの基準があれば、余計なことを悩まず、ただそれを磨けばいい。その結果として優劣が決まるのは仕方のないことだ。確かに、人間は動物とちがって、色んな基準で相手を選ぶ。だが、それが特別に優れたことだとは思えない」

 イケメンがいうと嫌味に聞こえそうだけど、不思議とそうは聞こえなかった。それはきっと、自分という存在を取り除いて、フラットな立場で話しているからだろう。

「人間はいろんな価値観を持ち、パートナーを選ぶときにたくさんの基準がある。それは脳が発達した副作用かもしれない。社会生活をするようになり能力に多様性が必要になったからかもしれない。子孫を残すことのみが求愛の目的ではなくなったからかもしれない。だが、そのせいで、無駄に悩みを増やし、最適なパートナーに巡り合えないリスクを格段に増加させている」

「基準がありすぎるせいで、大切なことが見えなくなっているってことですか?」

「そもそも、大切な基準がなんなのか見失っている人間が多い。それなのに、その曖昧さに好みやタイプや、恋なんて都合の良い名前をつけて正当化している。俺には、たった一つの基準ですべてを判断できる動物たちの方が、よっぽど上手にパートナーを選んでいるように見えるよ」

 そんなこと、考えたこともなかった。

 基準がたくさんあることは、いいことだと思っていた。誰もが、色んな価値観で誰かを好きになる。だから、誰にだってチャンスがある。

 だけど、色んな基準があるからややこしくなる。本当に大事なことを見落としてしまう。大切な人の心が自分から離れていくのにも気づけない。

 ふと、真樹の優しげな笑顔が浮かぶ。

 彼は、私の明るくて一緒にいると元気になるところが好きだと言ってくれた。だから、どんなに仕事が辛くても、明るくいようと誓った。よく喋り、よく食べ、よく笑った。だけど、別れたとき、彼は自分の気持ちを察してくれないことや、話を聞いてくれないことで嫌いになったと言った。そんなの、初めから言ってくれれば気をつけたのに。

 私が大切にしていた基準と、彼が大切にしていた基準は違ってたってことだ。

「人間には、他の動物なら生まれた時から決まっている、相手を選ぶたった一つの基準がない。そのせいで、いったいどれだけ無駄な労力を払っているのだろうな。本当に非効率的な生き物だよ」

 椎堂先生はうんざりしたように口にしてから、テーブルの上の資料を本棚に仕舞い始める。

 確かに、そうかもしれない。だから、私は彼を失ったんだ。

 ……違う。

 心の奥の方で、なにかが弾けた。

 もし私たちが相手を選ぶ基準がたった一つなら、どうなるだろう。

 たとえば背の高さだったら。目の大きさだったら。足の速さだったら。歌声の綺麗さだったら。テストの点数だったら。年収だったら。

 恋人になれるかどうかは出会ってすぐにわかるし、付き合ってからも互いに基準だけを気にしていればいい。見込みのない片想いに心を痛めることも、理不尽な別れに傷つくこともない。

 ヤミ子さんや私のように、自分が嫌われた理由がわからずに苦しむこともない。

 でも、そんなたった一つの基準に縛られた世界に生きたいとは思えない。

「私は、その考え方には納得できません。人間の求愛行動には、いえ、人間の恋には、人間の恋にしかない意味があるんだと思います」

「それは、いったいなんだ?」

「……わかりません。もう少し考える時間をください!」

 先生の目に宿っていた熱が、ふっと消えた。

 短い沈黙の後、先生はどこか気怠そうな表情に戻って呟く。

「答えが出たら教えてくれ──俺も、それを、ずっと知りたいと思っている」

 その声は、先生もこれまで、痛みや悩みを抱えて生きてきたのを感じさせるものだった。

 お礼をいって部屋を出ると、廊下の窓の向こうでは、カエデの青葉がゆらゆらと揺れていた。

 校舎の三階まで届く高い木だけど、生まれたての葉っぱの緑色はまだ頼りなくて、真昼の日差しの中を不安そうに揺れている。こんな風に見えるのは、新緑の今だけだ。夏が来る頃には、深い緑色になって校舎に立派な影を作るだろう。

 ふと、なにもかもが不安定で眩しかった学生のころを思い出す。

 真樹と付き合うまで恋愛とは無縁だった。でも、そんな私の人生の中にも、恋にまつわる思い出がキラキラ光っている。子供のときにクラスで一番運動神経がいい男の子に惹かれたり、友達の恋愛相談にみんなで盛り上がったり。そういうことが楽しかった。

 もしかしたら、人がたくさんの基準を持ったのは、人生を鮮やかにするためだったのかもしれない。たった一つの基準で終わらせるには、人生は長すぎる。思い悩み、苦しんだり喜んだり、そうやって人生を消費するために曖昧にしたのだとしたら。

 そんなの無駄で非効率だ。

 でも、その非効率さが、ちょっとだけ愛おしいと思った。

 もしかしたら、私たちは、その非効率さのことを恋と呼ぶのかもしれない。


     ◇◇◇


──こんな風に、ペンギンには種族ごとに求愛行動が決まっていて、パートナーに選ばれるためのたった一つの基準がある。

 モデルを始めたばかりのとき、いつも考えてた。どうしてこんなにも、人が人を評価する基準があるんだろ。たった一つなら、それだけを磨き、それだけを競えばいい。それってすごく大変だけど、すごく楽なのに。

 だけど、ある日、気づいた。基準がたった一つだったら、私たちの仕事はもっとずっと退屈になる。みんな同じ顔、みんな同じスタイル、みんな同じ表情に髪型。選ばれるやつもみんな同じ。そんなの、最悪だ。相手によって選ばれたり選ばれなかったり、だから、この世界は面白い。

 それは、恋愛だって同じ。

 相手にとって大切な基準を見つけるのが恋の面倒で、面白いところだ。自分がどう見られるかばかりを気にして相手が求めているモノがわからないまま的外れな求愛行動をしているやつは多い。

 そもそも男っていうのは、ちゃんと自分の基準を言わない生き物だ。ほとんどが口に出すとクズみたいな基準だから。胸が大きいとか、ママに口癖が似てるとか。別れ話をするときに「君はなにも悪くない」というのも、本当の理由をいうと自分がクズだってことがバレるから。「悪いのは全部俺」で別れることができれば、キモい暴露話をせずにすんで楽だし、ついでに俺はいい男だって自分に酔える。つまり、別れる理由をちゃんと言えない男はみんなクズ。

 あんたがどんな理由でフラれたのかは知らない。けど、あんたのなにが悪かったのかはわかる。

 相手のクズみたいだけど大切な基準に、気づけなかったことだ。

 ペンギンたちはみんな、生まれたときから自分たちにとって一番大切な基準を知っている。次の恋は、ペンギンを見習って、相手にとって大切な基準を見つけることをがんばりな。


 出社して真っ先に、原稿を紺野先輩に見てもらった。

 見開き二ページの企画、その中には灰沢アリアのプロフィールやペンギンたちの求愛行動の解説イラスト、元々の相談者の悩みも載るので、私が書く部分は二分の一ページくらいだ。それでも、納得のいく記事を書き上げるのに日曜日を丸一日使った。ライターの仕事はたくさんこなしてきたけど、取材した結果や与えられた情報をまとめるのではなく、こうして自分の意見を前面に出した記事を書くのは初めてだ。

 タイトルは『恋は野生に学べ』に決めた。椎堂先生の言葉を、ちょっとだけ変えたものだ。

 灰沢アリアが、動物の求愛行動を交えて恋愛のアドバイスをしてくれるというコンセプト。

 あの自由奔放で女王様キャラだった灰沢アリアが、実は動物が大好きだったというギャップは話題になるかもしれないって狙いもあった。

 告白の返事を待っている中学生のようにドキドキしながら、先輩が読み終えるのを待つ。

 先輩は原稿をキーボードの上に置いて、耳に掛かった髪を軽く払いあげる。それから、椅子ごと回転させて、私の方に向き直った。

「おもしろい。あんた、やっぱりライターの才能あるわ。あんたって企画とか考えるセンスはまだまだだけど、文章力とコミュニケーション力は高いのよね」

 心の中でガッツポーズする。先輩にこんなに褒められるのは、初めてかもしれない。

「切り口がいい。なにより、相手の気持ちに寄り添ってる気がするのがすごくよかった。似たような実体験でもあるわけ?」

「え……ま、まぁ」

「とにかく、私的にはオッケー。アリアの方はどうなの?」

「さっき送ったんですけど、まだ連絡ないです」

 今日中には原稿を上げないといけない。宮田さんにはメールを送ってから電話し、できるだけ早くアリアにチェックしてもらってください、とお願いしていた。

 前に原稿を出したとき、すぐに電話がかかってきて罵倒されたトラウマが蘇る。

 今回も、反応は早かった。宮田さん宛に送信してから十五分ほど、気になって他の仕事が手につかなくてモヤモヤしていたら、デスクの電話が鳴った。出ると、灰沢アリアじゃなくて宮田さんからだった。

 挨拶を省略して、「どうでした?」と尋ねる。

「面白かったです。これですすめてください。アリアにも了解を取りました」

「本当ですか、ありがとうございます!」

 ずっと待っていた言葉だった。私の声を聞いた先輩が、よかったじゃん、と肘でつついてくれる。

「今後とも、よろしくお願いします」

 そう言って、電話を切った。

 何気なく自分で口にした台詞に、はっとする。

 そうだ、今後ともだ。今回の企画は十回連載。まだ、その第一回の原稿が上がっただけ。

 浮かれていたのが吹き飛び、急に不安がやってくる。

 これを、あと九回も続けられるだろうか。

 とりあえず、あのイケメンで変わり者の准教授のところへ通うのは、しばらく続きそうだ。



 その日、仕事を終えて家に帰ると、不思議な幻を見た。

 鍵を開けて電気をつける。冷え切ったリビング、一人暮らしには広すぎる部屋。真樹が持って行った家具のスペースには今も、孤独が居座っていた。

 部屋の奥では、お腹を空かせたハリーがケージごしに顔を見せ「おかえりはよ飯よこせ」と訴えてくる。そっか、お前がいたね、と思わず笑ってしまう。真樹と別れてから、なぜかハリーは人懐っこくなった。

 そこで、幻が見えた。

 部屋いっぱいに、ペンギンたちがひしめいていた。

 テレビの後ろに隠れているリトルペンギン、カーテンを叩いて遊ぶイエローアイドペンギン、ソファの上で腹這いになるイワトビペンギン、真ん中で向かい合ってお辞儀のディスプレイを行うコウテイペンギン。

 慌てて目をこすると、幻は消えた。

 それと同時に、私がこの部屋に感じていた孤独もなくなっていた。

 ひとつ、大きく息を吐く。

 寂しくなったら、しばらくこうやってペンギンたちをイメージして助けてもらおう。

 ペンギンたちが寂しさを埋めてくれるうちに、この景色にも慣れるだろう。



第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか?    了


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あらすじ

中堅出版社「月の葉書房」の『リクラ』編集部で働く柴田一葉。夢もなければ恋も仕事も超低空飛行な毎日を過ごす中、憧れのモデル・灰沢アリアの恋愛相談コラムを立ち上げるチャンスが舞い込んできた。期待に胸を膨らませる一葉だったが、女王様気質のアリアの言いなりで、自分でコラムを執筆することに……。頭を抱えた一葉は「恋愛」を研究しているという准教授・椎堂司の噂を聞き付け助けを求めるが、椎堂は「動物」の恋愛を専門とするとんでもない変人だった! 「それでは――野生の恋について、話をしようか」恋に仕事に八方ふさがり、一葉の運命を変える講義が今、始まる!

瀬那和章(せな・かずあき)

兵庫県生まれ。2007年に第14回電撃小説大賞銀賞を受賞し、『under 異界ノスタルジア』でデビュー。繊細で瑞々しい文章、魅力的な人物造形、爽快な読後感で大評判の注目作家。他の著作に『好きと嫌いのあいだにシャンプーを置く』『雪には雪のなりたい白さがある』『フルーツパーラーにはない果物』『今日も君は、約束の旅に出る』『わたしたち、何者にもなれなかった』『父親を名乗るおっさん2人と私が暮らした3ヶ月について』などがある。

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