あやかし長屋 ボイスドラマ&エッセイ③
文字数 1,842文字
「あやかし長屋 嫁は猫又」ボイスドラマ③
神楽坂淳/脚本
朱ひゐろ/イラスト
酒林堂/制作
神楽坂淳氏が、新シリーズ『あやかし長屋 嫁は猫又』スタートを記念して、ボイス・ドラマ用にオリジナル脚本を書下ろしました!
今回はその第3回目。
生配信の録音のままお送りしていますので、
噛んだりとちったり、言い直したりというのもありますが、そのまま生配信の雰囲気をお楽しみください!
そして、よろしければ生配信を見に来てください。
https://youtube.com/channel/UC4qq0Ot9n058y8HSlVFX01A
書下ろし
『あやかし長屋 嫁は猫又』 こぼれ話「ふた口女は今日も空腹」
神楽坂 淳・著
どこかで犬が鳴いた。
布団から頭を出して空気の匂いを嗅いだ。
丑三つ時の匂いがする。人間にはわからないが.空気には時間によって匂いがある。あやかしが一番好きな匂いが丑三つ時の匂いだった。
人間はすっかり寝静まっているこの時間の空気が一番汚れていない。
隣で平次がいい気分で眠っている。このまま平次のわきの下に顔をうずめて眠るか.少し外に出るか迷った。
朝まで平次の隣で眠ってももいいが.妖怪は夜に出歩く。だから少し見廻りをしておくのがいい気もした。
たまは町奉行の榊原忠之から江戸の町の平和をあずかっでいる身だ。あやかしが悪さをするのを見廻る必要はある。
家を出ると.ちょうど双葉が出掛けるところだった。
「なにしてるの?」
思わず訊く。双葉はふた口女だ。外見は華奢だが並の妖怪では葉が立たないほど強い。特に悪霊にとっては天敵ともいえた。
「お腹すいた」
「どこ行くの?」
「地獄」
双葉がにこにこと言う。
地獄。というのは両国橋の下である。夜になると地獄のように暗いからそう呼ばれている。安い女郎が体を売ったり無宿人が寝ていたり.暗いから地獄なのかこの世の地獄ぽいから地獄なのか.あやかしのたまにはわからない。
ついでにいうなら.それなりの量の悪霊もいるらしい。
双葉を見送ったあとでたまも外に出る。
大きく粋を吸ってあたりの様子をさぐる。悪意の匂いはない。今日のところは江戸の町は平和なようだ。
夜とはいえまだ暑い。
両国橋のあたりまで歩くとと悲鳴が聞こえた。といっても人間のものではない。悪霊の悲鳴だから人間にはまるで聞こえないだろう。
しばらくして悪霊の気配も消えた。
それからさらにしばらくして.満足そうな双葉が上にあがってくる。
「どうしたの? たま」
「食べたの?」
「今日のはなかなか活きがよかった」
それから双葉はくくっと笑うと。悪戯っぽい声を出した。
「うめえ」
少し下品な物言いが.少女のような容姿とあいまってとてつもなく可愛い。この顔で悪霊を頭からかじるとは思えない。
満足したらしく双葉が長屋に帰る。なんの反応もないところからしても.今夜の江戸は平和に違いなかった。
よし。
今夜は平和な夜だ。
たまは満足すると家に帰ることにした。
部屋に戻ると平次は出ていく前と同じで平和に眠っている。
布団に戻って平次の脇の下に顔を突っ込むと。
たまは平次の匂いに包まれて幸せに眠ったのであった。
今夜はなにもなかった。悪霊が一人食べられただけ。
いつのも江戸の夜である。
神楽坂 淳(かぐらざか・あつし)
1966年広島県生まれ。作家であり漫画原作者。多くの文献に当たって時代考証を重ね、豊富な情報を盛り込んだ作風を持ち味にしている。小説に『大正野球娘。』『三国志』『うちの旦那が甘ちゃんで』『金四郎の妻ですが』『捕り物に姉が口を出してきます』『うちの宿六が十手持ちですみません』『帰蝶さまがヤバい』『ありんす国の料理人』などがある。
たまは猫又。尻尾の先が二つに分かれたネコの妖怪である。岡っ引きの平次のところに押しかけ、妖怪に取りつかれて廃屋となった両国橋近くの長屋にいっしょに住んでいる。だから近所づきあいは、雪女のお雪などの妖怪とばかり。平次は人間にはモテないが妖怪ウケはいいので、それで満足している。そんな折、町奉行の榊原が平次のもとを訪ねてくる。最近江戸で、人間の盗賊と妖怪が手を組んでいるので、平次も妖怪といっしょに賊を取り締まってほしいという要請だった。見返りは長屋を正式に貸し与えることと、役所として二人を夫婦と認めることだった。破格の条件にたまは飛びつき、平次は押し倒される形で賊退治へ……。