文庫『コゴロシムラ』発売記念 ショートストーリーを公開

文字数 4,640文字


 
 寄せ鍋のもとが入った土鍋に食材を並べ、蓋をしてから仁科春樹(にしなはるき)はガスの火をつけた。
 鍋のもとが沸騰してから、固いものから順にと作り方は書いてあったが無視する。最初は手順通りに作っていたけれど、連日鍋なので面倒くさくなって手抜きをするようになった。
 もとからグルメな舌ではないので、少しぐらい煮え過ぎたところで気にならないし、どんな作り方をしても、同居人の山王新(さんのうあらた)も文句は言わない。これでしばらく置いて、適当に火が通ったら食べられる。
「よし」
  鍋に向かって呟き、仁科が六畳間に戻ると、新は海外のファッション雑誌を開き、両足で押さえていた。腕が両方ともない新は、足の指を器用に使い、ぱらりとページを捲る。
 写真集やファッション雑誌が好きな新だが、海外のものを繰り返しよく見ている。外国のものが好き?と聞いてみたこともあるが、漢字が読めない新は文章を読んでいるわけではないので、日本のもの、海外のものと区別はしていなかった。
「はだとかみのいろがかわっちょるほんのほうが、あげはちょうがとびよるみたいで、おもしろい」
 何を言っているか分からなかったが、どうやら海外のファッション誌の方が色のコントラストがハッキリしているということらしい。
 新はぐうっと背中を丸め、開いたページにじっと見入っている。それは天蓋(てんがい)のついたベッドの上に、白いレースのワンピースを着た二人の女性が座り、パンケーキを食べているというグラビア写真だ。
 新は顔を上げると「これなに?」と女性の食べてるパンケーキの部分を親指で軽く擦った。
「それはパンケーキかな」
「ぱんけえき?」
「パンみたいな……パンかな? おやつみたいなものだよ」
 新は「おやつ」と呟き、にいいっと笑った。
「ぱんけえき あまい?」
「甘いんじゃないかな」
「これ たべたい」
 キラキラした目で新は見つめてくる。パンケーキ……昔付き合っていた彼女が好きでよく食べていた。
「じゃあ今度買ってくるよ」
「いま、たべたい」
 新はむずがるように、体を左右に揺らす。
「今からは無理だよ」
「どういて?」
「パンケーキを売っている店を探さないといけないから」
 新は首を傾げた。
「こうてくるが?つくれんが?」
「作れるかもしれないけど、作り方から調べないといけないし……」
「にしな、つくってや」
「けど時間が……」
「なんぼでもまちよるき、つくってや」
「ほら、もうすぐ鍋もできるし」
 新は顎をくいっと上に向け、土鍋に視線を向けた。
「またなべかえ……」
 ……新はこれまで文句を言わなかったが、内心飽きていたのかもしれない。それに自分が無精(ぶしょう)をして四日連続の鍋だったので、何とも後ろめたい。
 スマホでレシピを検索する。フライパンでも作れるし、材料もそう多くはないので、近所のスーパーにいけば何とかなるかもしれない。
 「時間がかかるかもしれないけれど、待てる?」
 新は満面の笑顔で「まつ」と大きく頷いた。
 ……仁科はスマホでレシピを確認し、必要なものを買ってくると、生まれてはじめてパンケーキを焼いた。簡単そうに見えたし、手順通りに作ったはずなのに、片面が真っ黒に焦げた。
 おかしい。火加減がまずかったんだろうか。次は早めにフライパンから出した。色合いは完璧だが、気になって真ん中で切ってみると、半液体……生焼けだった。
 今度こそ!と三枚目を焼いている途中で、後ろに気配を感じた。新が横からフライパンを覗き込んでくる。
「ええにおいがしゆう」
 犬のようにフンフンと鼻を鳴らしていた新は、失敗作が乗った皿に気づき、眉間(みけん)(しわ)を寄せた。
「これ なに?」
「……パンケーキだよ。失敗したんだ」
「えらいくろいで。しゃしんのぱんけえきは、いなほみたいないろやったで」
「焼くの、難しいんだよ」
 三枚目になって、ようやく、ようやく美味しそうな稲穂色の、中まで焼けたパンケーキができあがった。
「たべてええが?」
 待ちきれないのか、新は仁科の周囲でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「いいよ」
 パンケーキを食べやすく八等分に切り分ける。新はガッと勢いよくパンケーキの一切れに食いつき、咥えたままもぐもぐと口を動かしていたが、その顔からどんどん喜びの表情が消えていく。
「まぁ、こんなもんかね」
 人に作らせておいて「こんなもんかね」はないだろうと仁科も一枚食べてみたが……ゴムみたいな食感で、おまけにしょっぱい。新の手前、吐き出さなかったが、控えめにいって超絶にまずかった。  
 パンケーキはしょっぱいものなのか?そんなわけが……レシピを見返した仁科は、気づいた。アレの桁をひとつ間違えている。100じゃない、10だ。そして使った調味料を見ていた仁科は、ある可能性に思い至った。それとそれを間違うのは、漫画の登場人物だけだと思っていた。
「新、鍋を食べようか」
 仁科の提案に、新は無言のまま、コクリと頷いた。

「はいどうぞ」
 朝霞(あさか)がテーブルの上に皿を置く。その上には、黄金色のパンケーキが3枚重なり、頂上にバターがのせられて、とろりと溶け始めていた。甘い、いい匂いがする。新は皿に目が釘付けで「すごい、すごい」と両足をバタバタと踏み鳴らす。
「にしな、みて!しゃしんのぱんけえきみたいないろしちょるで」
「……そうだね」
「これ、たべてえいが?ぜんぶえいが?」
「いいよ」
 仁科が切り分けようとすると、新は「じぶんでたべる」と唇を尖らせた。
「けど……」
 これまで新は外食をしたことがない。足の指で器用に箸を使うが、食事スタイルが床に食器を置いてなので、和室の個室以外で外食は無理だろうと思っている。ここは朝霞の妻が経営している喫茶店で、普通のテーブル席なので、自分が食べさせようと思っていた。
「新くん、いつもどうやって食べてるの?」
 朝霞が聞いてくる。
「床に食器を置いてです」
「ふうん。じゃあ新くん、テーブルの上で食べていいよ。ここ二階だし、滅多に客をあげないから。食べやすいように、自由にどうぞ。ごゆっくり」
 いくら何でもテーブルに座るのは……と思ったが、新は靴を脱いで早々に上がってしまった。眼前の、テーブルに座る成人男子は迫力がある。しかも新はスカートを穿いているので、パンツが丸見えだが……気にしないことにした。
 新は小さいピッチャーを足の指でつまみ、顔に近づけた。
「これなに?」
「シロップだよ。パンケーキがもっと甘くなるやつだ」
 新はシロップを全部かけ、箸でパンケーキを引き裂くようにして小さくし、口に運んだ。その顔がほわっと緩む。
「おいしい。こじゃんとおいしい」
 次々と口に運ぶ。美味しいパンケーキが食べさせることができて、仁科もひとまずホッとした。
 しょっぱいパンケーキをたべさせたお詫びに、仁科はプロが作ったパンケーキを新に食べさせたいなと思っていた。その話を編集部でしたら、四十年目のコゴロシムラの原稿を持ってきていた朝霞が「うちのメニューにあるよ」と言ったので、おじゃましたというわけだ。朝霞が料理のプロかと言われたら微妙なところだが、パンケーキを焼いているのは、調理師学校を出ている奥さんらしかった。
 コツコツと階段を上ってくる音がする。朝霞かと思ったら違った。温泉マニアの原田(はらだ)だ。
「あれ、仁科さんじゃないですか」
「お前、どうしたんだよ?」
「どうしたって、俺ここの常連なんですよ。一階はうるさいけど、二階は静かだし」
 原田はこちらに近づいてきて、パンケーキを食べている新を見下ろした。
「新っち、何食ってんの?」
 新は「ぱんけえき」と答える。
「美味そうだな」
「こじゃんとおいしい」
「いいなぁ、俺も頼もうかなぁ」
「にしなのつくったぱんけぇき、しょっぱかった。まずかったけんど、ここのぱんけえきはおいしい。うれしい」
 原田は首を傾げている。
「仁科さん、パンケーキとか作ったんですか?」
「新が食べたがっていたから作ってみたけど、失敗したんだ。だからここでちゃんとしたのを食べさせようかなと」
「ふーん。でもパンケーキがしょっぱいとか、何かロックですよね」
 何がロックか意味不明だ。朝霞が二階にあがってきて「他の客はあげないけど、原田くんは身内だから、いいでしょ」と、原田からコーヒーとホットケーキの注文を取った。
「仁科さん、しょっぱいパンケーキ作ったらしいですよ。砂糖と塩を間違えるっていうイージーミスやらかしたんじゃないですかね」
 おいおい、こっちまで聞こえてるぞ、畜生……と思いつつ仁科はパンケーキに夢中の新を見た。口のまわりをシロップでべとべとにしながら、(むさぼ)り食っている。バターやシロップが周囲に飛び散ってもおかまいなし。まるで赤ん坊だ。
 仁科が紙ナプキンで周囲を拭っていると、ふと新が食べるのをやめた。そして箸に挟んだパンケーキを仁科の前に突き出してくる。
「おいしいで たべや」
「俺はいいから」
「たべや」
 ずいっと近づけてくる。どうしようと迷いつつ、新の気遣いを無にするのもどうかと思い、顔を突き出してホットケーキにかじりついた。ふわふわで、甘い。
「おいしいろ」
 新が目を細め「なんかついちゅうで」と、身を(かが)め、仁科の口角をぺろりと舐めた。
「しろっぷ あまいなぁ」
 呟き、新はベタベタに汚れていた自分の口許(くちもと)もついでのようにぺろりと舐め取った。


※このショートストーリーは、単行本『コゴロシムラ』の発売の際に行われたサイン会で配布されたものです。



『コゴロシムラ』木原音瀬/著 中村明日美子/カバーイラスト

(あらすじ)
ライターとともに取材に訪れたカメラマンの仁科は、雨降る夕暮れの山中で道に迷ってしまう。ようやく辿り着いた民家から出てきたのは一人の老婆。コゴロシムラと呼ばれるその村で、仁科は恐怖の夜を過ごすことになる。――隠蔽されてきた村の「呪い」、そして仁科を捕らえて離さない「神」の正体とは⁉







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