棚整理が終わったことは一度もない。

文字数 1,267文字

「文庫になりました。3年経っても『本屋の新井』です。」

型破り書店員による”本屋の裏側”エッセイ集が9月に講談社文庫から発売。それを記念して、発売日まで5日連続で、カウントダウン試し読みをお届け! 本日は、第1弾です。

 開店時間は10時だが、早番は6時台に出勤することもある。4時間も何をするのかといえば、朝の光が差す静かな店内で、担当ジャンルの新刊を精読している。これを書店用語では「検品」と言い、品質保持だけでなく商品知識を高めるためにも欠かせない仕事なわけないだろこのやろう。


 勤務時間中に読書をしたことなど一度もない。パラパラと内容を見ることはあるが、それはせいぜいラーメン屋がスープを味見するようなものである。腹が減っているときには、逆に酷だ。


 まずはひたすら棚整理。自宅の本棚は常に雪崩れる5秒前だが、それと仕事っぷりは比例しない。

 せり上がった帯を直し、飛び出たスリップを元に戻し、角を整え、減った本を補充する。はたきを肌身離さず持って、腰を屈めたままサーチライトの目で、店内の端から端までを高速移動する。

 すると驚くものを発見した。Take Freeと記された「タイ・プーケット」版のパンフレットが、しれっと『るるぶ』のような顔で棚に並んでいる。どうしてこうなった。うちはJTBではない。あまりに違和感がなく、うっかり隣の商品と一緒にもらって帰ってしまいそうだ。旅行を売らないのにFreeでTakeされては、もう旅行を売るしかないのだろうか。

 驚くのはまだ早かった。『地球の歩き方』や『ことりっぷ』など、ありとあらゆるフランスガイドが、ガイドコーナーの隅っこで回転寿司の食べ終わった皿のように山積みになっていた。なんて斬新な積み方。おそらくフランスへボヤージュすることで頭がいっぱいで、戻し忘れてしまったのだろう。良い旅を! あなた、きっとパスポートを忘れるシルブプレ。

 きつく結んだはずのビニール紐から、コミック雑誌が脱出していた。マジシャンか。その技でお金を稼いで、いつか立ち読みせずに買える日が来るといい。

 いてっ。雑誌の奥に、つまようじが転がっていた。昼休憩でカツ丼か何かを食べた後、くわえたままお立ち寄りいただいたんだな。それをとりあえずポケットに仕舞ったところで、すでに残り時間は少なかった。急がなくては。ブックトラックには補充品が山積みである。このあたりで朝礼当番だったことに気付くと、もう終わったな……という感じ。

 この10年間、棚整理が終わったことは、一度もないのだが。

新井見枝香(あらい・みえか)


1980年東京都生まれ。書店員・エッセイスト・踊り子。文芸書担当が長く、作家を招いて自らが聞き手を務めるイベントを多数開催。ときに芥川賞・直木賞より売れることもある「新井賞」の創設者。「小説現代」「新文化」「本がひらく」「朝日新聞」でエッセイ、書評を連載し、テレビやラジオにも数多く出演している。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』がある。

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