あやかし長屋 ボイスドラマ&エッセイ②
文字数 2,284文字
「あやかし長屋 嫁は猫又」ボイスドラマ①
神楽坂淳/脚本
朱ひゐろ/イラスト
酒林堂/制作
神楽坂淳氏が、新シリーズ『あやかし長屋 嫁は猫又』スタートを記念して、ボイスドラマ用にオリジナル脚本を書下ろしました!
第2弾は、雪女の「お雪」登場!
生配信の録音のままお送りしていますので、
噛んだりとちったり、言い直したりというのもありますが、そのまま生配信の雰囲気をお楽しみください!
そして、よろしければ生配信を見に来てください。
https://youtube.com/channel/UC4qq0Ot9n058y8HSlVFX01A
『あやかし長屋 嫁は猫又』こぼれ話「わがままな猫又」
神楽坂 淳・著
ふうっ。と息を吐くと.部屋の空気が音を立てた。起きて最初にするのは.自分の吐息で部屋の空気を凍らせることだ。
江戸はまだ夏で.雪女の雪にとってはものすごく過ごしにくい。言い伝えのように溶けたりはしないが.全身から気力は奪っていく。
だから起きたときにまず部屋の温度を下げるのが習慣になっていた。
部屋の空気がすうっと下がって.体を起こしてもいいというくらいの温度になると上半身を起こす。部屋が冷えてもまだまだ気だるい。
昼間はすっかり眠ってしまっていたからそろそろ夜だろう。時刻など確認しなくても空気の様子で昼か夜かはわかる。
そろそろ仕事をするか。と思う。雪の仕事は氷づくりだ。料理屋に頼まれて水を凍らせる仕事である。
もちろん雪女というのはバレているが.だれも気にしていない。「氷を作ることができる」という技能があるなら妖怪でもなんでもいいらしい。
一番の問題は口説かれることだ。雪はたまらなく口説きたくなる美人らしい。
口説かれてもいいけど死ぬよ。と答えてかわしている。男と付き合ったからといって死ぬわけではない。だが.人間の男は浮気者だ。もし裏切られたから傷ついて殺してしましまうだろう。
相手を殺すくらいなら好きにならないほうがいい。
そう思いつつ.なんとなく人間の里で暮らしているのはどこかで相手を求めているのかもしれない。
「こんばんは」
いかにも楽しそうな声がした。
猫又のたまだ。
「用事でもあるのかい」
「ある」
たまがはずんだ声を出した。
「この部屋が涼しいとかって理由じゃないだろうね」
雪は念を押した。たまがまともな用事で来ることは少ない。猫又だけにまるで猫のように気まぐれで.わがままで御姫様である。
他人に気を使うよりは自分に気を使え。という態度を見せつつ甘えてくる。他人を振り回すために生まれてきたような生き物だ。
だが雪にとってはそこはむしろ好ましい。雪女というのは一回思いこめば情が深い。しかしそうなるまでには時間もかかるしえり好みもはげしい。
暗くて孤独な一族なのである。
しかしたまは雪の暗さも孤独もまったく斟酌しない。だからたまといるとなんとなくたまの空気で自分も動いてしまう。
それが雪にはなんとも心地よい。そねのうえで「仲間」と臆面もなく言ってのけるところも感心する。
妖怪はだいたい仲間というものは作らない。いつも孤独である。まれに群れる妖怪もいるが同じ種族に限る。
たまのように別の妖怪を仲間と呼ぶのはかなり珍しい。
「それで用事はなんだい」
「雪が冷たくて気持ちいい」
たまはそういうとしがみついてきた。
「暑苦しいよ」
雪は思わずはねのけようとした。猫又は体温が高い。雪女からするとたまったものではない暑さだ。
「いいじゃない。涼しいよ」
「それはあんただけだろう」
言ったが.たまはまったく聞く気がないようだ。喉をならしてしがみついている。
「まったく仕方ないねえ」
猫又の喉は妖力を持っていて.目の前で喉をならされるとなごんでしまって敵意を失うという働きがある。
さらに腹を上に向けて転がってしまうと.怒る気持ちが失せてしまうのだ。
攻撃に使う妖力とはまるで違うが.なかなか強力な妖術である。
「もう好きにしな。涼んだら帰るんだよ」
「もう一つお願いがあるの」
「なんだい」
「平次さんを助けてあげて」
「はいはい」
答えながらため息をついた。
たまは満足そうに喉を鳴らしている。
やれやれ。と雪は思った。
なしくずしに他の妖怪とまで戦うことになっている。
まったく。猫又の妖力は恐ろしい。
そう思いなながら.雪はたまの頭に右手を伸ばすと。髪の毛をくしゃくしゃとかき回したのだった。
神楽坂 淳(かぐらざか・あつし)
1966年広島県生まれ。作家であり漫画原作者。多くの文献に当たって時代考証を重ね、豊富な情報を盛り込んだ作風を持ち味にしている。小説には夫婦同心の捕り物で人気を博した『うちの旦那が甘ちゃんで』ほか『大正野球娘。』『三国志1~5』『金四郎の妻ですが』『捕り物に姉が口を出してきます』 などがある。
たまは猫又。尻尾の先が二つに分かれたネコの妖怪である。岡っ引きの平次のところに押しかけ、妖怪に取りつかれて廃屋となった両国橋近くの長屋にいっしょに住んでいる。だから近所づきあいは、雪女のお雪などの妖怪とばかり。平次は人間にはモテないが妖怪ウケはいいので、それで満足している。そんな折、町奉行の榊原が平次のもとを訪ねてくる。最近江戸で、人間の盗賊と妖怪が手を組んでいるので、平次も妖怪といっしょに賊を取り締まってほしいという要請だった。見返りは長屋を正式に貸し与えることと、役所として二人を夫婦と認めることだった。破格の条件にたまは飛びつき、平次は押し倒される形で賊退治へ……。