江戸の有名人が大集合のお墓! 解き明かされる「真実のお岩さん」。

文字数 3,902文字

ICカードやらラーメンやら、「祟り」の仕事ぶりがけっこう細かい。

前回「お岩さん所縁の地」を全部、回ろうとしたけど無理だった。なので日を改めて、出掛けました。今回は最後の、「お岩さんのお墓」がある西巣鴨だけ。だからまぁ、行きそびれる、なんてことはあり得ない……って、簡単に言えるのかなぁ? 祟りは考えに入れとかなくていいのかな??


いつものように都バス「渋66」系統で、渋谷へ。前回はICカードが一日乗車券になってくれず、初っ端からつまづきましたが今回は大丈夫。スムーズに乗れました。ホッ。


渋谷からはこれも前回と同じく、「池86」系統に乗り換えます。ただし今回は途中下車せず、終点の池袋まで。西巣鴨ですからね。池袋まで出れば、あとはもうちょっと先に行くだけ。ねっ? やっぱり行きそびれることはあり得ないでしょ。


そんなわけで池袋で、昼飯のラーメンを食べに行きました。

ところが目的の店が「臨時休業」! もう、またかよ!? やっぱり油断はできない。ちょっと気を緩めるとすぐに、祟りの断片が降って来るようです(まぁ私に関する限り、店に行ってみたら「臨時休業」なんてのはしょっちゅうなんですけどね(笑))。


違う店でラーメンを食べて、改めて池袋駅東口のバス停へ。前回、逆方向の浅草から乗った「草64」ではなく、「草63」系統。別に単に、こっちの停留所の方が店に近かった、というだけの選択なんですけどね。

至れり尽くせりの案内でスムーズ墓参。さすがに邪推のしようもないです。

また何か妨害があるのでは、と身構えたけど、あっさり到着しました。前回、お寺の前までは行ってるから道もよく分かってる。これまたあっさり、門前に着いてしまいました。


前回は夕暮れだったけど、今回は真昼で、しかも天気もいい。同じ山門でも印象が随分と違いますねぇ。本堂も立派。晴天を背に、聳え立っているようです。


入って、右手を見るとこんな案内板も。「お岩様墓所まで約80M」ですって。参詣者も多いんでしょうかね。何かここまでされると、観光名所みたい(汗)


ともあれ案内板に書かれていた通り、本堂の前まで歩いて左折します。すると、こんな道標まで(笑)




更に従って行くと、何故か鳥居があって、その奥に由緒の説明板。四谷の「お岩稲荷」にあった、都教育委員会の説明版とは内容がかなり異なりますね。



とにかくまずはお参りを済ませましょう。案内に従って、ぐねぐね曲がり込む。するとーー


ありました! これがお岩さんのお墓。

随分と立派ですねぇ。前回、フラレてるだけに改めてご対面が叶うと、感無量です。


ふと左手を見ると「田宮家の墓」もあるんですが、一族の墓よりお岩さん個人の方がずっと入念に祀られてる感じ。そりゃ説明板にもあった通り、「わざわい」を収めるためですものね。祀る側だって気を遣おう、てなものですよね。

『忠臣蔵』と『四谷怪談』の意外な関係。同時上映?スピンオフ?抱き合わせ販売?

さて既に案内図などにも示されていた通り、このお墓のすぐ近くには「浅野家」の墓もあります。赤穂浪士で有名な、あの浅野家ですね。


浅野内匠頭や四十七士の墓は有名な高輪の泉岳寺にあり、私も行ったことがありますが、ここにあるお墓は内匠頭のお婆さんや、義理の妹のものらしい。


物語では「四谷怪談」の田宮伊右衛門は、元は赤穂浪士で討ち入りには参加しなかった不義士という設定になっている。実は初演時、「四谷怪談」と「忠臣蔵」とはシーンが交互に演じられていた。さすがに長過ぎるのでその後、夏は「四谷怪談」、冬は「忠臣蔵」というように分けて芝居に掛けられるようになったが元々、表裏一体の物語だったのだ。


しかしこうして来てみたら、「浅野家」と「田宮家」が同じ墓所に眠っている。うーむただのお話ではなかったのか。やっぱり本当に縁があったんだ、と想像が膨らみますなぁ。

他力本願で解き明かされた真実! つらい思いをした女性がいた。たぶん二人いた。

ここで、第一回に掲げた疑問。貞女だった筈のお岩さん、円満だった筈の田宮夫婦がよりにもよって、怪談のモデルなんかにされてしまったのは何故なのか!? を解き明かしていきましょう。鍵はさっきの説明板にもあった、時代。お岩さんが亡くなったのは寛永13(1636)年と書かれてますね。


しかし前回、説明した「お岩の呪い」話を最初に書いた『四谷雑談集』が世に出たのは、享保12(1727)年。「四谷ではこんな噂が囁かれている」と怪奇現象を取り上げているが、実に100年近くも隔たっている。そんなにも後になって今更ながら、噂話を本にまとめたりするだろうか。本の中では事件が起こったのは貞享年間(1684〜1688)とされているらしいが、それでも50年も開きがある。


前回も参考文献として取り上げた『四谷怪談 祟りの正体』の小池壮彦氏は、田宮家の過去帳まで入手し、綿密に調べ上げている。記録が曖昧な部分も多く、不明な箇所も多々あるが、田宮家2代目の妻(初代の娘)に「岩」という女性がおり、確かに寛永年間に亡くなっている。ここまではいい。


ただしその後、4代目の時代に生死の記述もない謎の女性がいるというのだ。これこそが『四谷雑談集』に書かれた、嫉妬に狂って町から走り去ったという「お岩さん」ではないのか!? 2代、隔たっているからお婆さんと孫に当たる。貞女として有名だった母の名を3代目が娘にもつけたとしても、何の不思議もないだろう。むしろ自然なことのように思われる。


小池氏は更に考察を進める。実は『四谷雑談集』は正式に出版された本ではなく、マイナーな存在だった。「お岩伝説」が広く世に知れ渡ったのは天明8(1788)年の『横文画今怪談』という本によってだが、これまた『四谷雑談集』から50年以上も経っている。


田宮家の過去帳によるとこれから少し遡る時期、家内では死者が相次いでいる。そして再び名のよく分からない女性がいる、というのだ。


ここで小池氏は仮説を挙げている。「お岩さんは実は、3人いた」。まずは最初の貞女。そして2番目の、嫉妬に狂って出奔した女性。実はその時、確かに家内では不審なことが続いて「これはお岩の祟りでは」と囁かれたのではないか。


更に第3の女性の時にまたも不審死が相次いだ。それで再び「やはりお岩の呪い」と噂が再燃した。『横文画今怪談』はこれを取り上げ、有名になった。興味を持った鶴屋南北が『四谷怪談』を書き上げた。こんな風に流れを考えてみると、時期的にぴたりと収まる。


3人もいたんじゃ話が混乱して、訳が分からなくなるのも当然ですね(笑)。


寺の入り口のところに戻ってみたら、最初に気づかなかったこんな石碑まで立っていた。「お岩様の寺」って、そんな風に書かれるとやっぱり、おどろおどろしさが薄れる。おまけに外の商店街をよく見ると、「お岩通り商店会」ですよ(苦笑)。

これにて一件落着……じゃない。東京は悲しく死んだ人がたくさんいる街だから。

さぁここまで来たならもう一つ、行っときたいとこがある。


実は近くにあの「遠山金四郎の墓」もあるのですよ。鬼平と同じ家に住んでいたことが分かった、あの名奉行ですね。何だかこのバスの旅では、「金さん」にやたら縁があるなぁ


ところが地図を見ながらいざ、目指す本妙寺に辿り着こうとしたら目の前の道がアスファルト舗装工事で、通行止め。グルーッと大回りして、工事現場をすり抜けるようにして境内に入らなければなりませんでした。おぃおぃ、お岩さんのお墓参りまで終わったのにまだ、祟りは続いてんの!?


おまけにここには「金さんのお墓」だけでなく剣豪「千葉周作の墓」、更には「明暦の大火供養塔」まであることが分かりました。江戸でも最大の被害を出した大火ですね。


実はこのお寺は本郷から移って来たもので、「明暦の大火」はここが出火元とされていたのでした。あれもまた恋のもつれにまつわる、振袖を由来とする一大悲劇じゃないですか!? 何だかいつまで経っても、『四谷怪談』の世界から抜け出せないなぁ


てなわけで近い内、「振袖火事」の話題も取り上げることになろうかと思います。

「お岩さん」をめぐる小さな旅は、取り敢えずこれでお終いーー

『四谷怪談 祟りの正体』小池壮彦(学研・知の冒険シリーズ)

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅をご報告。

「おとなの週末公式サイト」の連載コラム「路線バスグルメ」も楽しいよ!

西村健の最新作!

『激震』(講談社)

西村健の話題作!

『目撃』(講談社文庫)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色