第26話 トップアイドルの枕営業疑惑が記事に――編集部は揺れる

文字数 3,306文字

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 木曜日の十五時。
 入稿作業に追われる「スラッシュ」ニュース部のフロアの空気は、いつにも増してピリついていた。
 毎週、第一入稿日の木曜日と第二入稿日の金曜日は徹夜続きのハードスケジュールで編集部は殺伐(さつばつ)としているが、それとは違う緊張感が漂っていた。
「エンジェル7」のアイミーのスキャンダル――「帝都プロ」の大河内(おおこうち)の逆鱗(げきりん)に触れる記事を掲載しようとしている立浪(たつなみ)にたいする、ニュース部の面々の態度がいつもと違った。
 挨拶こそするが、それ以上は立浪と絡んでこようとはしない。
 構わなかった。
「スラッシュ」ニュース部に異動を志願したのも、楽しい職場を求めてのことではない。
 父を闇に葬った黒幕……大河内の悪事を暴くために、嫌われ者になるのは覚悟の上だ。
 立浪はデスクでアイミー……桜愛美(さくらまなみ)と所属事務所社長の不倫枕営業の入稿記事の追い込み作業に入っていた。
 雑念に気を取られている暇はなかった。
 タイトル会議までに、いくつかの候補を考えておかなければならない。

『噓(うそ)だと言ってくれ! 「国民の初恋」アイミーと所属事務所社長の不倫愛7年間』 
『衝撃! 国民的アイドルグループ「エンジェル7」の不動のセンター、アイミーと所属事務所社長の不倫枕営業』
『枕営業で掴んだトップアイドルの座。研究生時代に所属事務所社長を虜(とりこ)にした魔性の肉体』

 タイトル会議まであと一時間――いつもなら、とうに絞り込めていたが、今回は迷いに迷っていた。
 スクープがあまりにも衝撃的過ぎて、どんなタイトルをつけても物足りない気がした。
「これが来週の火曜日に記事になるなんて、ああ~、クワバラクワバラ~」
 背後からパソコンのディスプレイを覗(のぞ)き込んできた編集長代理の近田(ちかだ)が、おどけた口調で言った。
編集長の福島(ふくしま)から正式な許可を貰(もら)ったわけではないが、止められることもなかった。
いわゆる、黙認というやつだ。
「スラッシュ」に記事を掲載することを拒否しても、立浪が個人的にSNSやYouTubeを使って桜愛美の不倫スキャンダルを流したら意味がない。
 福島が恐れる「帝都プロ」の大河内からすれば、「スラッシュ」の編集者がやったことは編集長である福島本人の責任なのだ。
 かといって、解雇するにも時間がない。
 どの道、世に出されてしまうなら野放し状態で記事を書かれるよりは、管理下に置いてチェックしたほうがましだと考えた末に下した、苦渋(くじゅう)の決断なのだろう。
「近田さん的には、どれがいいと思いますか?」
 立浪は訊(たず)ねた。
 いつもふざけてばかりいる近田だが、タイトルをつけるセンスのよさは編集部で一、二を争う男だ。
「おっと、その手には乗らないよ~。僕を巻き込んで、共犯者にしようとしてもそうはいかないからね~」
 近田が顔の前に立てた人差し指を左右に振った。
「タイトルのアイディアを出したくらいで共犯者だなんて、大袈裟(おおげさ)なことを言わないでください。それを言うなら、記事に掲載された時点で編集部すべてが共犯者ですから」
 立浪は、悪戯(いたずら)っぽい顔で言った。
「ちょっと、もう、立浪ちゃん勘弁してよ~。僕、別の出版社に転職しようかな」
 近田が、わざとらしい半泣き顔を作った。
「じゃあ、出版社を変わる前にタイトルのアドバイスしてくださいよ」 
「わかった、と言いたいところだけど、今回だけは記事に関わるのをマジにやめとくよ。腰抜け、卑怯者、臆病者って罵(ののし)ってもいいから。さ、どうぞ」
 近田が眼を閉じ、両手を広げた。
「やめてください。そんなこと思いませんよ。口を利(き)いてもくれない編集長に比べたら、こうやって俺の相手をしてくれているんですから」
 お世辞ではなかった。
 福島だけでなく、ニュース部のスタッフの立浪にたいする態度はよそよそしかった。
 大河内の怒りの飛び火を恐れているのだろう。
「そう言って貰えると、気が楽になるよ。立浪ちゃん、いまならまだ引き返せるよ。ページを埋めるストック記事はほかにいくらでもあるからさ。アイミーの記事で抑えているのは二ページだから、芸人の誠実君(せいじつくん)のキャバクラ五連チャンお持ち帰り全敗のストック記事で十分に埋められるよ」
 近田が真顔で言った。
 ストック記事とは、掲載を予定していたスクープがなにかの事情で飛んだときに代わりにページを埋める代替え記事だ。
「スラッシュ」では、すぐに掲載する必要のないネタをストック記事としていくつか用意している。
 誠実君以外では、グラビアアイドル佐藤茉奈(さとうなま)の豊胸手術失敗のインタビュー記事などがあった。
 誠実君も佐藤茉奈も二流タレントなので、「スラッシュ」としても積極的に掲載する気にはなれないというのがストック記事扱いになる理由だ。
「心配してくれて、ありがとうございます。でも、俺は記事を取り下げる気はありません」
「立浪ちゃん、少しは妥協(だきょう)することも覚えたほうがいいよ」
 近田がため息を吐(つ)いた。
「妥協してますよ。アイミーと所属事務所社長の不倫スキャンダルともなれば、本来なら八ページはぶち抜きでいける記事ですよ。それを、二ページで折れたわけですから」
 立浪もすぐに納得したのではなく、せめて四ページはほしいと抵抗したが、福島は頑(かたく)なに首を縦に振らなかった。
記事を小さくすることで、少しでも大河内の怒りを買わないようにしているのだろう。
 無意味なこと――八ページだろうが一行だろうが、桜愛美のスキャンダルを記事にした時点で大河内にとって福島は抹殺(まっさつ)対象なのだ。
 意に沿わなければ一匹の蟻(あり)さえも容赦(ようしゃ)なく踏み潰(つぶ)す……それが、大河内という男だ。
「二ページでも奇跡だよ。まさか、編集長が大河内案件の記事にゴーサイン出すなんてね」
 近田が、小さく首を振りながら言った。
「記者魂に火が付いたんじゃないんですか? これだけのネタですから」
 立浪は、涼しい顔で言った。
「そんなわけないじゃ~ん。編集長は来年の六月に部長への昇進が内定しているんだよ。大河内社長の逆鱗に触れるようなことを進んでするわけないでしょう? かわいそうに。来週の火曜になったら局長に呼び出しを食らって、部長どころか左遷されるだろうな~。購買者対応室かな~、それとも資料室かな~。どっちにしても出世コースからは完全に外れたよな~。まだ、マイホームのローンも残っているし成人前の子供が二人もいるのに、これからどうするんだろうな~」
 近田が、婉曲(えんきょく)な言い回しで立浪の罪悪感を刺激しようとした。
 近田は、なにもわかってはいない。
 罪悪感を刺激されるのは、良心のある人間だ。
「だったら、断ればよかったんですよ。ページ割を決める権限は、編集長が持っているわけですから。アイミーのスクープを掲載すると決めたのは、編集長自身です」
 立浪は、突き放すように言った。
「立波ちゃんも人が悪いよね~。断れないのは、立浪ちゃんが一番わかってるでしょう?  部下があんな大スキャンダルをSNSやYouTubeにアップしたら、大河内社長だけじゃなくてウチの社長の逆鱗にも触れてしまうよ。どの道大河内社長の怒りを買うなら、せめて利益に繋(つな)がる『スラッシュ』に掲載するに決まっているじゃない。それがわかってて、立浪ちゃんは編集長に二者択一を迫ったんだから」
 近田の婉曲な言い回しが続いた。
 恐らく、説得役を福島に頼まれたのだろう。
「近田さん。真面目に聞いてください」
 立浪は作業の手を止め、パソコンのディスプレイから近田に視線を移した。
「なになに? 怖い顔しちゃって~」
 近田は口調こそおどけていたが、その顔は強張(こわば)っていた。
(第27話につづく)

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