最終話 日向と磯川、相棒であり好敵手でもある二人の未来は!?

文字数 3,108文字

「おいっ、お前ら、俺の話を聞いてるのか!?」
 東郷が苛立(いらだ)った声で言った。
「作者の、あのね、って人、男の人?」
 日向は訊ねた。
「はい、新人です。絵本大賞の最終選考で落選した作品ですが、読んだときにビビッと感じるものがあったんです」
 磯川が嬉しそうに言った。
「俺の話を無視する気か!?」
 東郷の怒りのボルテージが上がった。
「最初はさ、夢を持つことの大切さを教えるような絵本だと思ったけど、最後に出てきたヒトの男の子の一言で目が覚めたね。いい意味で、絵本らしくない絵本で斬新だよ!」
 日向は、感じたままを口にした。
「日向さんにそう言ってもらえると、千人力です」
 磯川が口元を綻(ほころ)ばせた。
「万人力と言ってほしいな」
 日向が冗談めかすと、磯川と三沢が声を上げて笑った。
「もういい! せっかくの出世チャンスを逃して、後悔しても知らんぞ!」
 東郷が席を蹴り、捨て台詞(ぜりふ)を残すと外に出た。
「あら、追いかけなくていいの? 怒らせちゃったみたいよ」
 三沢が心配そうな顔を磯川に向けた。
「追いかけるべきですか?」
 磯川が悪戯(いたずら)っぽい顔を日向に向けた。
「追いかける役を、特別に譲るよ」
「謹んで、お受けいたしま……せん」
 日向の悪乗りに、磯川も悪乗りで返してきた。
 少し間を置き、三人がほとんど同時に噴き出した。
「君との最後の作品を、最高傑作にするよ。改めて、よろしくね」
 日向は、右手を差し出した。
「最高傑作でなくても、僕の文芸編集最後の仕事を日向さんとできるだけで光栄です。こちらこそ、よろしくお願いします」
 磯川が日向の右手に、そっと右手を重ねてきた。
 二人の手を、真ん中に立った三沢が両手で包み込んだ。

 あれから、八年が経った。
 日向もデビュー二十六年目のベテラン作家になり、刊行点数も九十作を超えた。
 五年前に発売した『直木賞を取らなかった男』は批判も多かったが、それも含めて書店員や出版社を巻き込んだ話題作になった。
 波乱万丈の作家人生だったが、四分の一世紀に亘って年間三、四作ペースで作品を上梓(じょうし)し続けることができているので、小説家として恵まれていると言えるだろう。
「日向さん、聞いてます?」
 磯川の声で、日向は回想の扉を閉じた。
「ん? ああ、直木賞を捨てたことを後悔していないかって? そりゃ、後悔してるよ」
「えっ?」
「噓(うそ)、噓、冗談だよ。後悔なんて、してるわけないじゃん。直木賞を諦めたからこそ、いまもこうやっていろんな出版社で仕事をさせてもらえているんだからさ」
 本音だった。
 日向は、二十六年前の選択を後悔したことは一度もなかった。
「そう言ってもらえると、気が楽になります。いまでも、ときどき考えてしまうんですよ。僕が余計なことを言わなければ、日向さんの作家人生はどうなっていたんだろうって」
 磯川がビールのグラスを運ぶ手を宙で止め、遠い眼差しで言った。
「いま、時を巻き戻して同じ選択を迫られても、俺は同じ決断をする自信があるよ」
 日向は磯川に頷いた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、俺のほうだよ。それより、磯川君のほうこそどうするの? 『童夢出版』の副社長の座を捨ててまでやりたいことってなに?」
 日向は気になっていたことを訊ねながら、三日前の磯川との電話での会話を思い出した。

『日向さん、久しぶりに飲みに行きませんか?』
『君のほうから飲みに誘ってくるなんて、珍しいね。どうしたの?』
『しばらく東京を離れてしまうので、その前に会っておきたいと思ったんです』
『出張?』
『いえ、旅に出ようと思いまして』
『旅? 仕事は?』
『昨日付で、「童夢出版」は退職しました』
『え!? なんで!? 功績を評価されて副社長にまでなって、社員も増えたけど会社もアットホームだし……なにが不満だったの?』
『不満なんて、とんでもない。三沢社長には、感謝の気持ちしかありません』
『じゃあ、なぜ?』
『やりたいことがありまして、そのための視察と言いますか準備と言いますか』
『やりたいことって、なに?』
『それは、お会いしたときにお話しします』
  
「絵本に携わる仕事をしようと思いまして」
 記憶の中の磯川の言葉に、目の前の磯川の言葉が重なった。
「『童夢出版』も絵本の出版社じゃない」
「僕がやりたいのは、出版社じゃなくて絵本の専門店です」
「絵本の専門店をやりたいの!?」
 日向は素頓狂(すっとんきょう)な声で訊ねた。
「はい。僕の好きな絵本だけを集めた専門店です」
 磯川が満面の笑みで言った。
「え!? そんなの好みが偏って、書店として経営が苦しくなるんじゃないの?」
 日向は率直な思いを口にした。
「ええ。大儲(おおもう)けはできないでしょうね」
 あっさりと、磯川が認めた。
「それがわかってるのに、どうして?」
「葉山(はやま)のほうに古くからの友人が古民家カフェバーを経営していて、店番も兼ねるという条件で家賃をただにしてくれたんですよ。僕はもともと、コーヒー専門店やバーで働いていたこともありますしね。なので、絵本が売れなくても大丈夫です」
「古民家カフェバーで絵本専門店をやるの!?」
 日向の声は、驚きにオクターブが上がった。
「はい。ノスタルジックな雰囲気のある店なので、リノベーションの必要もほとんどなく、ブックスタンドさえ揃えれば事足りるみたいな感じです。絵本を片手にコーヒーやお酒を嗜(たしな)むっていうのも、素敵な時間だと思いますよ」
 磯川が微笑み、親指を立てた。
「なるほどね」
 日向は、妙に腑に落ちた気分になった。
 収益関係なしに、誰にも何事にも縛られずに好きな物事に身を委ねる……磯川らしい生きかただ。
「僕が旅から帰ってきて店をオープンしたら、日向さんも遊びにきてくださいよ。絵本を肴に、美味しいクラフトビールを飲みましょう」
「いつ頃戻ってくるの?」
「さあ、どうでしょう。こういう機会は滅多にないので、期限を決めずに魂のリフレッシュも兼ねて全国の書店を回り、いろんな絵本達との出会いを楽しみたいと思っています。いつになるかお約束できませんが、戻ってきたら一番に連絡しますから」
 磯川が遠足を明日に控えた幼子のように、瞳を輝かせた。
「わかった。なにがあっても真っ先に駆けつけるよ! さあ、君の、夢の城のオープンの前祝いの乾杯といこうか?」
 日向は、ビールのグラスを宙に掲げた。
 磯川が、遠慮がちにグラスを触れ合わせてきた。

               エピローグ

 潮の香りを含んだ風が、頬を撫でた。
 抜けるような碧空(あおぞら)にカモメが舞っていた。
通りの向こう側に広がる、宝石をちりばめたように煌(きら)めく海に日向は眼を細めた。
 日向は、LINEアプリのアイコンをタップし、地図を確認した。
 地図によれば、目的地はここから徒歩十分ほどの海沿いの場所となっていた。
 あれから二年……。
 日向の作品は刊行点数が百作を超え、最新刊のペットロスをテーマにした『透明になった犬』は発売一ヶ月でベストセラーとなり、新たなジャンルを確立した。
 デビューした頃は、ここまで書き続けられる作家になれるとは思っていなかった。
 日向は眼を閉じ、カモメの鳴き声と潮騒に耳を澄ませた。
「やっぱり、直木賞を取れなくてよかったよ」
 瞼の裏に浮かぶ戦友に言うと、日向は眼を開けて足を踏み出した。

(おわり)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み