⑥新冷戦時代の百科全書的SF

文字数 2,402文字



 今夏、第一部が邦訳された劉慈欣のSFシリーズ『三体』は、中国ではすでに中国SF史ひいては中国文学史の里程標として評価されている。私たち日本人もこの異色の大作を狭義のSFのジャンルにとどめず、より広いコンテクストのなかで理解するべきだろう。私自身は中国のSF=科幻の専門家ではないが、できる範囲で、文献紹介も兼ねつつ『三体』の文化史的な位置づけを概観しておきたい。

(「群像」2019年11月号掲載)





 梁啓超、呉趼人、魯迅の企てが順調に受け継がれていけば、中国のSF史も今と違ったものになったかもしれない。だが、共産党の統治が確立した20世紀半ば以降になると、知識人の関心はSFには向かわなくなった。新華社通信の記者である韓松が以前SFを「児童文学」と卑下したように、SFは大人の読む分野と見なされなくなったのだ。


 中国SFは百年前から蛇行を続けてきたが、『三体』はそれを本格的な文芸ジャンルとして再起動した。劉慈欣にとって、それはSFが「科普」の任務から解き放たれたことを意味する。彼は21世紀の中国SFが、前世紀の中国的特殊性を手放し、世界のSFと同じテーマを扱うようになったことを強調している。そういう一面があるのは確かだとして、しかしアイザックソンが言うように、劉慈欣の作品に文明の優劣を強く意識した初期の中国SFのエコーを聴きとることも可能だろう


 現に、『三体』シリーズを通じて大きなテーマとなっているのは、道徳を共有しない宇宙人との生存闘争である。ここにはまさに、ソーシャル・ダーウィニズムや社会有機体論にも通じる荒々しさがある。三体文明と闘う地球文明は、三次元を二次元にしてしまう宇宙からの次元攻撃によって大きなダメージを受ける。そして、残された主人公たちは太陽系の果てで人類の終焉を見守るしかない……。『地球往事』(地球むかしばなし)という『三体』シリーズのもとのタイトルも、地球をちっぽけな存在にまで縮めてしまう宇宙の法則を読者に意識させるものだ。


 劉慈欣は自然科学や社会科学の厳密さにはそこまでこだわらずに、文系も理系も半ば強引にひとまとめにした世界像を『三体』に与えた。特に、第2作の『黒暗森林』で語られる「宇宙社会学」はシリーズの要石となっている。(1)生存は文明の第一の要求である(2)文明はたえず増大し拡張するが、宇宙の物質総量は不変を保持する──この二つの基本公理によって、宇宙は決められたリソースのなかで、生存を目指すハンターたちの闘争の場として見定められる。この世界では「他人は地獄」なのである。


 繰り返せば、20世紀初頭の中国は西洋文明のプレッシャーを受けるなかで、科学の力で生まれ変わり、過酷な生存闘争に勝ち残ろうとした。21世紀初頭の『三体』でも、サバイバルへの要求が道徳や人間性を凌駕する。すでに第一作の『三体』でも言われるように、狂った気候のなかを生きる三体人にとって、民主的な政体はあまりにも弱々しかった。『三体』シリーズにはソーシャル・ダーウィニズムならぬコスモロジカル・ダーウィニズムが潜在している。


 そして、この宇宙規模の「文明の衝突」という構図には、たんなる奇想を超えた政治的なリアリティもあるだろう。特に、2019年の今から見れば、地球文明と三体文明の闘いはまるで米中関係の寓意のようにも思えてくる。


 劉慈欣自身は以前から「SFのためのSF」を目指す立場から「SFによって現実を隠喩的に反映することは好まない」として、こうした政治的読解を常に拒否しているが、そもそも中国の作家にとっては、作中に政治的暗号を込めること──いわゆる「微言大義」や「春秋の筆法」──はお手の物であり、作家の発言をすべて額面通りに受けとる必要もない(というより、二枚舌も使えないような作家は所詮二流だろう)。確かなのは、劉慈欣が中国のSF作家としては、際立って悲観的なヴィジョンを出していること、そしてそこには「文明の衝突」や「生存闘争」という前世紀から今世紀にまで続く不吉な政治的亡霊が見え隠れしていることである。


 1940年代に始まったアイザック・アシモフの名高い「ファウンデーション」シリーズも、今から見れば、共産主義国家が誕生し、冷戦構造が確立した時代のSFとして読める。21世紀の『三体』も作者の意図はどうあれ、お互い分かりあえそうもなく、しかも衝突も回避できそうにない米中の「新冷戦」の時代にふさわしい外見を備えている(さて、どちらが「三体文明」に相当するのか?)。その点で『三体』を文明論的な百科全書SFと評してもよい。


 実際、『三体』にはナノテクから天体物理学、政治哲学、社会学まで、さまざまな分野での読解を誘う仕掛けが盛り込まれており、書籍でもウェブでもファンたちはシリーズの謎解きに余念がない。『三体』はたんなる娯楽小説に留まらず、新しい世界認識を与える書物として、つまり文理横断的な百科全書として受け入れられている。そもそも、主要登場人物をみな科学者として定めた『三体』に、主知主義を認めるのは容易い。政界や財界の名士となった劉慈欣自身、総合的な知識人として活躍しているのだ。あえて日本で似た作家を挙げるならば、やはり小松左京になるだろう。


 劉慈欣「ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の宇宙」ケン・リュウ編『折りたたみ北京』(中原尚哉訳、早川書房、2018年)所収。

⑱ Isaacson, op.cit., p.182.

 陳頎「文明冲突与文化自覚」李広益他編『《三体》的X種読法』(生活・読書・新知三聯書店、2017年)59頁以下。


【福嶋亮太】

文芸評論家。81年生まれ。著書に『神話が考える』『復興文化論』『厄介な遺産』『百年の批評』など。


⇒「文化史における『三体』⑦ダーク・コスモロジー」へ続く


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