第43回
文字数 2,575文字
流石にちょっと寒すぎる。厳冬にこそひきこもり。
ガンガン部屋を熱して乗り過ごしましょう、コロナ・ウインター。
どんな季節も自室に籠城、
インターネットが私たちの庭なんです。
脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、
困難な時代のサバイブ術!
前回オンライン的なサロンについてちょっと触れたところ、担当から「ぜひ『Clubhouse』についても語ってほしい」と言われた。
この時点で「Clubhouse」に対する並々ならぬ偏見を感じるが、Clubhouseに対する拒否反応で俺と勝負しようとは良い度胸である。
「Clubhouse」とは最近話題の新しいSNSで「音声版ツイッター」と呼ばれている。
「小説を書かない版太宰治」というのがただの悪口でしかないように、ツイッターに例えられる、というのは全く良いことではない。
直訳すると「喋る肥溜め」になってしまうからだ。
「Clubhouse」とは、ツイッターと同じように、興味がある相手をフォローし、フォローした相手が音声チャットを開くと通知が来て、それを聞いたり、チャットに参加できたりする。
喋るのは嫌でも「聞く専」として利用するならやぶさかではない。
しかし、「Clubhouse」はリスナーとして参加していても「君もこっちで踊ろうよ」と、突然マイクを向けられることがあるらしい。
この時点で「こんなところにいられるか!俺はツイッターに帰らせてもらう!」となってしまうが、それ以前に「Clubhouse」は招待制であり、現時点では全く招待されていない。
この「よく調べもせず、ツイッターに流れて来る断片情報だけで何かを悪く言う」というのがまさにツイッター仕草であり、ツイッターが肥溜めと呼ばれる所以だ。
だが、それ故に私には「Clubhouse」よりツイッターが向いている。
しかし、コロナの影響で外出自粛で人と会うことも憚られる今、「会話」に特化した「Clubhouse」のようなSNSを待っていたという人も多いようだ。
つまりコロナの影響で人々は「会話に飢えている」ため、感染の心配なく会話が楽しめる「Clubhouse」が余計ウケたということだ。
多分ひきこもりは、この「会話に飢えている」という感覚がまるでわからないのではないかと思う。
私も、「泥が腹いっぱい食いてえ!このままじゃ飢え死にしちまう」と言われたかのような不可解さを感じている。
しかし、会話に飢えている側からするば「部屋から出ず、誰にも会わず誰とも喋らず生きたい」というのは自殺願望にしか聞こえないのだと思う。
だがひきこもりは、むしろ人と話すのが苦痛過ぎて自殺しそうだから、ひきこもっている場合も多いのだ。
会話がなくて病む人もいれば、会話で病む人もいる。
人とは、会話とは一体何なのか。
今のはもちろん、映画『八甲田山』の北大路欣也へのオマージュである。
つまりひきこもりタイプが何故「会話」を嫌うかが、ひきこもりになってしまう原因の解明につながるのではないかと思う。
まずクソひきこもりこと私が、どうして会話が嫌いかというと総じて「疲れる」からである。
相手に意図せず失礼なことを言ってしまったり、逆に暴言を吐かれたりする会話は誰でも嫌だし疲れると思う。
しかし、会話が嫌いな人間は普通の会話でさえ「あの時あいつがいった『今日は良い天気』というのは『お前を殺す』の隠語では」と深読みをしてしまうのだ。
逆に自分の発言も、「『もうすぐ春ですね』と言ってしまったが『まあお前はその頃この世にいないけどな』という下の句を読まれてしまったかもしれない」などと、後で後悔してしまうのである。
しかし、他人が自分の発言一つ一つを、オタクが推しのセリフ一行に論文を書いてくるかのように考察してくれているわけがないのだ。
つまり、会話に疲れやすいタイプは、気にし過ぎの自意識過剰、どうしても良く言わなければいけないなら「繊細」なのである。
逆に言えば、会話が下手で失言を連発していようが、それを失言だと気づきもせず「失言だったのでは?」と考えもしなければ、会話に疲れを感じないのだ。
つまり、今絶賛炎上中のフォレスト会長は、オリンピックという国際的な場の長にはあまり向いていないが、ひきこもり問題解決の重要なキーは握っているような気がする。
会話に疲れを感じるから人と話したくないという人は、ひきこもりになる前に自分はアイドルやアニメキャラではないのだから、他人はそこまで自分の発言を気にしてないと思ってみた方が良いかも知れない。
また、会話に飢えている人が何故会話を求めているかというと、「会話うめえ」と思っているからである。つまり会話するのが楽しいのだ。
逆に会話が好きでないタイプは、会話を楽しいと思っていない。
しかし、本当に喋るのも人の話を聞くのも心底嫌い、という人は少数派である。
誰でも「アマチュア無線部のみんなとは楽しく話せる」「この人の話は面白い」という、会話を楽しく感じられるグループや相手が一人ぐらいいるのではないだろうか。
一つもない、全部苦痛、という人はホンモノなので遠慮なくひきこもって良い。
だが、そこまでではないという人というのは、会話が楽しいと思える相手が限られ過ぎているため、大半の会話で疲れを感じてしまうのだ。
しかし「限られている」というのは自分で「限っている」場合も多い。
つまり、会話で人に嫌われることを気にする前に「自分の人の好き嫌いが激しすぎる」ことを改めた方が良い。
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中