【対談】森晶麿 × 大森望 『沙漠と青のアルゴリズム』のアルゴリズムを解明せよ!

文字数 7,807文字

新刊『沙漠と青のアルゴリズム』が発売された森晶麿さんと翻訳家の大森望さんによるリモート対談が実現しました! お楽しみください。

画像左:森晶麿(もり・あきまろ)

1979年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了。『黒猫の遊歩あるいは美学講義』で第1回アガサ・クリスティー賞を受賞(早川書房刊)。以降、同作は「黒猫」シリーズとしてシリーズ化され、人気を博している。ほか、「花酔いロジックシリーズ」(KADOKAWA)、『ホテルモーリスの危険なおもてなし』(講談社文庫)、『偽恋愛小説家』(朝日新聞出版)、『探偵は絵にならない』(ハヤカワ文庫JA)などがある。近著に「黒猫」シリーズ最新刊『黒猫と歩む白日のラビリンス (ハヤカワ文庫JA)。

画像右:大森望(おおもり・のぞみ)

1961年、高知県高知市生まれ。京都大学文学部卒業。書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回・第40回日本SF大賞特別賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF翻訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。「ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。

◆無限に広がる物語の出発点


大森 まずは、読んでびっくりしました(笑)。すごく冒険的というか実験的というか……。恋愛小説であり、ミステリであり、SF要素もあり、メタフィクションだったりブッキッシュだったりと、文学的な要素も入っていて、どこに落ち着くかわからない、すごくスリリングな小説だと思います。森さんは元々、自作に、先行する文学作品の要素を入れるタイプだと思いますが、今回は夏目漱石やサン=テグジュペリがとくに色濃く入ってきて、作品も多層化していました。それだけでなく、ミステリ的にも首切りや、それにまつわる予言、あるいはノストラダムスの大予言まで出てきますよね。展開についても、いくつかの時代が切り替わりながら話が進んでいきます。非常に入り組んだ構成ですが、どこが出発点だったんでしょうか?


森 まずはじめに5年以上前に、自由な発想で書いてほしいと編集者に言われ、2000年をテーマに書きたいと思いました。


大森 なぜ2000年に惹かれたのでしょう?


森 世紀の変わり目のお祭り騒ぎ的なムードや、いわゆる2000年問題をのぞくと、ノストラダムスの大予言に反して、われわれは大きな出来事もないまま2000年を迎えました。あのぼんやりとした緊迫感のない空気、一定の方向に目的を失った時代の状況が、ちょうど学生だった自分自身の将来への不鮮明な展望と重なり、その後も記憶に強く残っていたためです。


大森 「恐怖の大王なんて来なかったじゃん」っていう空振り感と、「これから自分と世界はどこに向かって行くんだろう」という、ある種宙ぶらりんな感じでしょうか。


森 さらに言うと、そうしたモラトリアム的な感覚が、もしかしたら現代までずっと続いているんじゃないかっていう感覚ですね。


大森 それで2000年と2015年が主な舞台になっているのですね。


森 はい。構想を練りはじめたのがちょうど5年前なので。それと、ちょうど本作とは別に、その時『黒猫の回帰あるいは千夜航路』(ハヤカワ文庫)でテロのシーンを書いていたのですが、その最中で実際にパリでテロ事件が起きてしまいました。不謹慎だから、と別の方向性に書き直したのですが、あのとき、「小説よりも現実の方が先行して起こってしまう時代にいるんだ」あるいは逆に言うと、「今は何の予言もない中で生きているんだ」という感覚にとらわれました。一方で、実は過去に同じことがあったのではないか、とも。すなわちそれが、2000年前後の状況でした。


大森 逆にいうと、1999年までは、「恐怖の大王がくるからそれに備えよう」とか「先のことを考えてもしょうがない」、信じない人にしても、「とりあえず実際に起きないことを確認しよう」みたいな気分があって、大予言がいわば時代の里程標として機能していた面があったと思います。


森 そうですね。そういう予言がないんだというのがわかったときに、二つの時代が繫がって物語の軸になり、予言をテーマにしてみようと思い立ちました。ただ、予言者といえば普通、ノストラダムスなどが浮かんでくるんですが、実際に自分の人生の中で予言とはなにかと考えたときに、それは、文学に出てくる文章でした。「何でこの作家は自分の将来を知っていたんだろう」というような言葉が、私にとっての予言だったのです。そこで、だれもが知っているであろう漱石の『こころ』や、サン=テグジュペリの『星の王子さま』などの文学作品を、物語のサイドの軸にしていくことを考えました。


◆謎の女性「ジェーン・グレイ」


大森 作品冒頭では、漱石の『倫敦塔』の一節が引かれていますけれども(単行本に掲載)、引用箇所はかなりユニークですね。ここでのやりとりが、その後のジェーン・グレイに繫がっていくわけですけど、ダドリー家の紋章にまつわるすごく細かい話で、ここだけぱっと読むとどういう意味なのかよくわからない。ここを選んだのはどうしてですか?


森 ジェーン・グレイの、自分が死んでいることに気づいてしまうというニュアンスに惹かれ、選びました。本作は首切りがモチーフの一つですが、全体を通したテーマとして、「過去や失われたものはもう戻ってこないんだ」と気付いてからの一歩があります。そこで、後戻りできない世界にこれから生きていくんだという、一種の作品を象徴する予言的な意味合いを持たせました。


大森 ジェーン・グレイを知らない方もいると思いますが、16世紀のイングランド女王です。陰謀に巻き込まれて、在位9日で廃位されたのち、16歳の若さで首を切られて殺されてしまった悲劇のヒロインですね。その模様を描いたポール・ドラローシュの「ジェーン・グレイの処刑」は「怖い絵」展で日本に来て、すっかり有名になりましたが、その絵と首切りのモチーフは本作の中でも大きなウエイトを占めています。この首切りのモチーフは『倫敦塔』からですか?


森 それもありますが、その前に、2015年に日本人がISに拉致されて首切りされるという事件がありました。これから日本人は世界のどこにいても殺されうる、とあたかも予言しているような声明が出されました。そのときに自分の中でも首切りというモチーフがすごくはっきりと浮かび上がって、そこからジェーン・グレイにしようと。そして自分の中でこのISの発言が予言にならないためにはどうしたらいいか、という考えの中で、ジェーン・グレイがユディトに変われば、と展開させることにしました。


大森 「旧約聖書」に出てくるユディトは、逆に女性であることを利用して敵に近づいて、相手の首を切り落とした、という人物です。


森 はい。そのユディトも絵画の歴史を見ていくと、モチーフ自体の扱い方も時代ごとに変わっていて毀誉褒貶があり、ユディト自体もどう捉えられるかはわからないというところが、SNS上などで魔女裁判が跋扈する今の時代にリンクすると思いました。


大森 たしかに、炎上させた人が炎上したり、といったように、現代では世論が容易に180度方向転換する、といったことが起きていますよね。そうして考えると、現実がフィクションを変えるんだけど、一方で、フィクションによっても現実が変わりうる、影響を与えうるんだ、という本作の持つもう一つのテーマが見えてきますね。「実際起きてしまった悲劇をなかったことにしてやり直そう」あるいは「違う現実を作ろう」という。


森 はい、それは意識していました。タランティーノではないですけれども(笑)。


◆「この未来」を今からやり直す


大森 ところが、実際に小説を読み始めると、すでに変わってしまった世界から始まります。2028年のノルウェーのヴェストヴォーゴイです。ヒカルという17歳の日本人が出てくるのですが、ほかのほとんどの日本人はすでに殺されて、食材にされたりもしているという衝撃的な近未来像が語られます。しかも、その惨劇は我々が今生きている現代、すなわち2020年ぐらいから始まっていた、と。ある意味SF的な改変歴史といってもいいと思いますが、本作には、「この未来を避けよう」というニュアンスも込められているのでしょうか。


森 それはありますね。ノストラダムスのように、予言の中でも最悪なものだけが予言と呼ばれます。先ほどのISの発言もそうです。だから、あえて最悪な状況を想定して書いている部分もあります。ただ、実際にテロとは関係なく、このところの日本人の傾向を見ていると、過ちを何度でも繰り返しかねないな、という危ういものを感じてもいました。そうした意味でも、ショッキングな設定から入るほうがいいと思いました。


大森 そして、ここで描かれる未来も作中のあるものによって予言されていた、という構造になっているわけです。どんな過程を経て、日本がその未来にたどり着くか、具体的な描写はないものの、コロナの延長線上の、終末的なビジョンが提示されています。それが恐怖の大予言のように機能して、ガツンと読者にショックを与えるわけですね。


森 当初は終末的な世界に至るプロセスも詳しく書き込んでいましたが、どうしても噓くさくなってしまうのと、執筆の途中でトランプ大統領の誕生などもあって、世界情勢が全く読めなくなってしまいましたので、ばっさり省きました。


大森 そうした説明がないために、かえって「作者はこの2028年の世界をどう着地させるんだろう」など考えをめぐらしながら読むことになります。普通に近未来SFものを読む感覚とは全然違って、「これにはいったいどんな作者の意図があるのだろう」と思わせながら、2015年や2000年に遡る形で物語が展開していく。不思議な読書体験でしたね。


◆代表作「黒猫」シリーズとの関係


大森 一方で、同時に「黒猫」シリーズを思わせるような作品や作者と付き人的な編集者が現れて、という仕掛けも入っていましたね。


森 そうですね。実際、まさにその「黒猫」シリーズの『黒猫の回帰あるいは千夜航路』の第6話に入っている「涙のアルゴリズム」は、AIと人が、ジャズ対決をする話でした。判定を頼まれた黒猫が付き人を派遣するという話がありますが、あの結末とは違う可能性もあったんじゃないか、という思いも本作には影響していると思います。


大森 あの2人の並行世界にいるバージョン、ということですか。


森 はい。それに、「黒猫」シリーズの枠組では絶対に描けない恋愛もあります。なので、本作では「黒猫」シリーズで書けない恋愛をやってみよう、と。それをやるうえで読者が「黒猫」シリーズの並行的な世界だと認識できると、比較できて楽しいのではないかと思いました。実を言えば、デビューしてずっとミステリー作家としてやってきたものの、元々曖昧な領域のものを書きたい人間でもありました。これまで溜まっていたそうしたイメージがここで噴出しちゃったというのも、あるかもしれません。


大森 本作を読む方は、少なくとも「黒猫」シリーズのことを知っているでしょうし、たとえ知らなくても、小説の中に別の小説世界が横滑りしてくる感覚は知っているでしょうから、読者との間で共通了解は得やすいと思います。また、「黒猫」シリーズで書けないことがもう一つありますね。本作にはKという重要な人物がでてきます。これは漱石の『こころ』からの着想だと思いますが、『こころ』のKと先生、先生の奥さんの三角関係が本作の下敷きに使われて、さらに他の登場人物の関係にまで横滑りしていきますよね。


森 そうなんです。話はいったん飛ぶのですが、今年、『三島由紀夫vs東大全共闘』というドキュメンタリー映画を観たのですが(三島も首をおとされていますが)、三島は自分と全く思想の違う相手に対して、しっかりと対話していったわけです。今は、対話がない、あるいは、できない時代です。対話しないための論法は溢れてるけれども、という閉じた思考の時代です。でも、それは実は『こころ』の中で見られる三角関係と同じなのではないか? 漱石の時代だったら、国家や家族と自分を切り離せない人間と、近代自我が確立してきた人間の間で起こるディスコミュニケーションですが、今の時代で言うと、もしかしたら一人の人間の中に、そうした他者性が存在しうるのでは? そうした時代を描くうえで、漱石の『こころ』は一番ベーシックなイメージを作り出してくれるのではないかと思いました。


大森 本作で「黒猫」に相当する人物が、『こころ』で言うと《先生》にあたります。ただ、漱石の《先生》とは違い、彼女を奪って妻にするという選択をしなかった、ありえたかもしれないもう一人の《先生》の位置づけになっていますね。「もし、あのときこうしていれば、こうなっていた」という意味での並行世界的な現実もあれば、一種の作中作的な、あるいは、虚構と現実という意味でのメタレベルの多層化もあって、非常に複雑な構造となっています。ものすごく自由度が高いとも言えますが、読者がどこまで作者が意図した通りに読むのだろうと、とても興味深いです。作者がまったく意図しない形でバズったり炎上したりっていうこともあるかもしれないし、何年か後に急に思い出されるみたいなこともあるかもしれませんよね。僕自身も読んでいて、「何を読んでるんだろう」という感覚が近来になくあって、すごくスリリングな読書体験でした。


森 前向きな「よくわからない」であればよかったです(笑)。


大森 森さんと言えば、デビュー作からして老成というか、きっちりしたものを書いてこられた印象がありました。逆に本作の方がむしろデビュー作的というか、若々しい野心、みずみずしさ、生々しい混沌などがあふれ出ていますね。一方で、その書きっぷり自体は円熟を感じさせて、意外性のある独創的な作品でした。


森 10年近くやってきて、「森晶麿という作家はこれです」というものをここで世に問いたいという思いがありました。その意味でも、これが書けたことは非常に大きい。この物語世界を一旦世に問うた後でしか書けないものも今後必ず出てくるはずだと思っています。


◆もう一度、あの頃に還って


大森 今福龍太さんの、『わたしたちは砂粒に還る』(河出書房新社)という著書に触発された部分もあると伺いました。


森 前の編集者が次作の参考に、と渡してくれたのですが、読んですぐ学生時代に引き戻される感じがありました。「黒猫」シリーズは、よくペダンティックといわれますが、それを他でやろうとすると、もうちょっとわかりやすいもの、あるいはうんちくとしてのわかりやすさを求められました。でもそれはペダンティックとは若干違うんです。そこのジレンマがずっとあったんですが、その正体が今福龍太さんの著作を読んだときに判明しました。私は、別に知識を語りたいわけではなくて、知識を巡る思索こそが重要と考えているのだ、と。そうしたらいろいろなことが開けてきました。今福さんの本にも沙漠のイメージが出てきますが、そうした小さな点のようなイメージがちょっとずつ小説として像を結んでいくようになりました。


大森 登場人物自身が小説の構造について語る自己言及的な要素は、思索小説や哲学小説のようでもあります。一種の仮面劇のように見せることで、作中の社会的な言及が持つ強固な現実感を中和する方向に働いているかもしれませんね。


森 初期の奥泉光さんの『葦と百合』(集英社文庫)とか『ノヴァーリスの引用』(集英社文庫他)などに近いかもしれません。


大森 なるほど、そう聞くとたしかにそうですね。ストーリー的にはミステリの王道を書いているはずが、非常に思索的、哲学的な方へ入っていく。警察が事件を追っていて、メディアでも報道されたりしてるはずなんだけれども、そうしたミステリ的な現実感とはまた別のところで物語が動いてるみたいな肌触りがありますね。だから、何が現実なのかを読者も探り探りしながら、一緒に歩いていく。随所で解説的な自己言及が行われていて、「三階にいると思ったけどもう屋上だったらしい」といった説明がなされる。物語の中の小説を進んでいく感じがすごく面白かったですね。


◆『三体』とのシンクロニシティ


大森 個人的な感想で言うと、本作で描かれる2028年の日本人の運命は、ちょうど今翻訳している『三体』の第三部における地球人の運命と重なるところがあって、予言というわけじゃないですが、不思議な因縁というか、シンクロニシティを感じました。


森 『三体』、とても面白かったです。大森さんの訳書を読むのは、実はコニー・ウィリス著『航路』(ハヤカワ文庫SF、上下巻)以来だったのですが、そのせいもあってか、『航路』と『三体』では片や臨死体験で片や未知との遭遇の話で全く別物のはずなんですが、構造や物語の進み方に類似性を感じました。


大森 おお、その指摘は初めてですね。ちょっと考えてみます。


森 『三体』の第三部はいつ頃刊行を予定されていますか?


大森 来年の4月から、遅くて6月でしょうか。大波乱の連続ですよ。第二部のラストで安心していた人は、未来の人類の運命に、呆気にとられるかもしれません。まあ、(本作の)2028年の日本人よりはましかもしれませんが(笑)。


森 楽しみにしております。

(小説現代2020年12月号より抜粋)
★書籍紹介!

『沙漠と青のアルゴリズム』森晶麿(講談社)

本体1750円+税

時は2028年。第三次世界大戦により滅亡の危機に瀕した日本人。その数少ない生き残りの少年・ヒカルはある日避難先のノルウェー・ヴェストヴォーゴイで、一冊の画集を手にする。その中にあったKという画家による“塔と女三部作”では、日本のカタストロフがすでに2000年前後から予言されていた。一方、2015年の東京で、「黒淵教授」シリーズ最新作の担当になった新米編集者の未歩は、作者のスランプが過去の三角関係にあると知り、二日酔いで夢現のまま、その友人画家・Kの自宅へ向かう。だが、そこで待っていたのはKの首なし死体だった―! 過去と未来、現実と創作世界が錯綜する先に待ち受ける結末とは?

『三体』劉慈欣著、大森望・光吉さくら・ワン チャイ翻訳、立原透耶監修(早川書房)

本体1900円+税

文化大革命で父を殺され、人類に絶望した中国人エリート女性科学者・葉文潔。彼女が宇宙に向けて秘密裏に発信した電波は、惑星〈三体〉の異星人に届き、地球を揺るがす大災厄を招くことに……! 中国で社会現象となったアジア最大級のSF小説。全三部作、うち第二部『三体Ⅱ 黒暗森林(上・下)』までがすでに日本で刊行されており、第三部は2021年春刊行予定。

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