「傑作への思い」に、「純粋余談」を添えて。 澤村伊智
文字数 1,452文字
殊能将之作品で最も私の心を打ったのは、石動戯作シリーズ第3長篇『鏡の中は日曜日』である。大まかに説明するなら「作中作を駆使した館ものミステリ」になるだろうが、そこで行われているのは軽やかながら徹底したアンチミステリだ。
まず新本格ミステリ(特に綾辻行人さんの❝館もの❞)を茶化し、ミステリに付き物の❝名探偵❞という存在を相対化してみせる。と言っても、どちらも根底にあるのは「ミステリに出てくる館はどう考えても住みづらい」「名探偵なんて現実に存在しない」「登場人物の人生はまだ続くのに、事件が解決してメデタシメデタシであるわけがない」といった大変低レベルなツッコミである。だが、それを物語の力、というより虚実のひっくり返しの巧みさで成立させてしまう点が素晴らしい。
そうしたアンチミステリを突き進めた結果、本作はその基盤となる知性や論理性すら否定し、終盤ある俗情を全肯定する。ミステリの魅力の一つは論理性・抽象性だけが描くことのできる「美」である――と私は考えているが、本作はその美を反転させた図形もまた美しいのだ、ということの証明にも思える。
本作のミステリとしての綻び(めったにない偶然に寄りかかったミスディレクションを採用している)を批判する向きもあるが、殊能氏はデビュー作『ハサミ男』で偶然と奇跡について皮肉を書いていたし、何より本作の中盤で詩人パウル・ツェランの引用という形で「めったにない」ことについて語っているので、綻びについては自覚していたのだろう。それが苦し紛れなのか、それとも確信犯なのかは分からない。ご本人に訊くこともできない。いずれにせよ私は本作が好きだ。心の底から傑作だと思っている。これからもその評価は変わらないだろう。
以下は謙遜でも何でもなく、文字どおりの余談である。
このたび文庫化される『殊能将之未発表短編集』には大森望さんの長大な解説と思い出話も再録されているが、私は何年か前、何かの酒席で大森さんに直接「殊能将之さんが殊能将之さんになる前からお知り合いだったんですか?」と訊ねたことがある。大森さんはとても丁寧に答えてくださったが(ありがとうございます)、恥ずかしながらその内容より、大森さんが殊能氏を❝本姓呼び捨て❞にしていることに妙にドキドキしてしまい、「この感情は何だ?」と戸惑ったことの方を鮮明に記憶している。おそらく❝関係性萌え❞の一種だったのだろうが、あの日は普段滅多に飲まない酒を飲んでいたので、単に酔っ払っていただけかもしれない。
澤村伊智(さわむら・いち)
1979年、大阪府生まれ。2015年『ぼぎわんが、来る』(受賞時のタイトルは「ぼぎわん」)で第22回日本ホラー小説大賞<大賞>を受賞。デビュー作にもかかわらず同作は、鋭い恐怖描写と卓抜した構成力で大きな反響を呼ぶ。つづく第2作『ずうのめ人形』でも評判を呼び、一躍ホラー小説界、エンターテイメント小説界の次世代を担う旗手として注目を集めている。最新作は『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)。著者の没後に発見された短篇と「ハサミ男の秘密の日記」を収録。待望の文庫化。
殊能将之(しゅのう・まさゆき)
1964年、福井県生まれ。名古屋大学理学部中退。1999年、『ハサミ男』で第13回メフィスト賞を受賞しデビュー。著書に『美濃牛』『黒い仏』『鏡の中は日曜日』『キマイラの新しい城』『子どもの王様』などがある。