「書きたかったもの」 丸山正樹
文字数 983文字
本作構想のきっかけは、2016年に起きたある社会的な事件だった。報道に大きなショックを受けるとともに、「これは自分が書かなければ」と思ってしまった。事件を「ひとごと」とはできない理由が私にはあり、それを書くしかない、と。
私の代表作と言われている〈デフ・ヴォイス〉シリーズは、当事者の皆さんからもご支持いただいてはいるものの、自分の中ではどこか「借り物なのでは」という意識があった。今度ばかりは自分の歌を歌うのだ。そう意気込んだ。
しかし、執筆は遅々として進まなかった。書きたいことは山ほどあるはずなのに、思考も、パソコンを打つ手も動かなくなった。「こんなものを書いたら世間から何と思われるだろう」と不安になってしまったのだ。「自分の歌」などと言いながら、それを非難・批判されるのを書く前から恐れていた。
ある時、ふいに思った。書きたいのは「人の物語」だ。テーマやモチーフとしたものは、後景に何となく見えればいい。語り、行動するのは自分ではなく小説の中の人物だ。何と思われようが、それが彼らの発言であり、行動なのであれば作者はそれに従うしかない。全くもって開き直りであるが、そう考えた途端に一気に書けた。
書けたはいいが、できあがったのはとんでもない代物のように思えた。ボツ覚悟で、編集者に送った。返ってきたメールを恐る恐る開くと、「テーマももちろん興味深いですが、それ以前に物語にぐいぐい引き込まれながら読みました」という言葉が目に飛び込んできた。「何より、面白いです!」。
まさに、そういう小説を書きたかった。「何だか分からないけどハラハラして先を読まずにはいられず、そして何だか分からないけど何かが残った」。
そんな風に思ってもらえれば、それこそ私が「書きたかったもの」です。
【あらすじ】
事故で重度の障害を負った妻(49)を自宅で介護している「わたし」(50)。なんのために、こんなにも自由のない生活を続けているのか……「わたし」の物語と、さまざまな悩みを抱える男女の物語が絡み合い、繋がるとき、慟哭の真実が明かされる――
【PROFILE】
まるやま・まさき
1961年、東京都生まれ。2011年、松本清張賞に応募した『デフ・ヴォイス』で作家デビュー。同作は後にシリーズ化され人気を博す。他の著書に『漂う子』『刑事何森 孤高の相貌』など。