(2/4)『偏愛執事の悪魔ルポ』第一章試し読み

文字数 4,514文字

 ここで、多くの方が思ったのではないだろうか?

 普通、人は外出先で突然強盗になど遭わない、と。

 いや、問題はそこではない、何を冷静に語っているのだという意見もあろう。

 しかし、当面、それらの指摘は放棄して、しばし耳を傾けてもらいたい。そもそも、ご主人様のこうした日々は、生まれたときから運命づけられていることなのである。

 突然だが、回想を始めよう。

 今回、何がどうして強盗などという事態に至ったのかについても話すつもりだ。

 だが、その前に、ご主人様、御年十歳の出来事を聞いてもらいたい。

 ご両親が殺された。

 巷を騒がせていた、連続殺人犯のしわざであった。犯人は未だに捕まってはいない。だが、その前にも、ご主人様は様々な事件に遭われていた。

 それこそ、誘拐からハイジャック、放火からスリまでよりどりみどりである。

 実は、ご主人様は『犯罪被災体質』であった。

 彼女の行くところ、必ず事件が巻き起こるのだ。

 時には、いあわせた人が唐突に犯罪に走りだすことまである。これはご両親から受け継いだものではない。ご主人様、天性の素質だ。実は、ご主人様がこのような素質を持つのには、れっきとした理由があった。だが、ご主人様はそれをご存知ではない。

 ともかく、ご主人様は過去より様々な危険に晒されてきた。

 しかし、成長なされた今となっては、それをはねのけるだけの力、と言っていいのかどうかはわからないが──ある特技も身につけられた。

 そうして、私とご主人様は平穏な日々を送ってきたのである。

 で、だ。改めて現状の話をしよう。

 場所は、ごくごく普通の喫茶店だ。

 大衆の通う、一般的な店である。

 ご主人様は高級店よりも、こういう場所をこそ好まれた。特に、個人経営の愛らしくも落ち着いた風情があり、ほっこりとした場所を、だ。

 今、私達のいる店がまさにそうだった。

 店内は木目調で統一されており、ステンドグラス風の窓からは、昼の穏やかな日差しが射しこんでいる。まるで現代の喧騒から、この場所だけが切り離されているかのようだ。

 壁際には、店長の趣味なのか高価そうなギターが置かれている。その上に、オススメだというホットケーキとカツサンドの手描きイラストが飾られていた。

 私達の座るボックス席の他に、客の姿はない。

 先程横目で見たところ、人気のないキッチンには寂れた風情があった。

 そして、カウンターの内側では、今にも刃傷沙汰がくりひろげられようとしている。

「お、落ち着いてくれ、春浦くん!」

「いいえ、落ち着いていますよ、店長。僕は本気です」

 ここで、私は思った。

 馬鹿かと。

 人の犯罪動機は大概は金なので、今回のこれも仮に強盗事件としておく。

 が、店内で白昼堂々、店員が店長相手に刃物を向けて強盗事件を起こす。

 閉店後にやれという話である。

 あるいは売上金の場所などわかっているのだろうから、夜に堂々と盗みにでも入って、顔見知りの犯行だとでも報道されればいいのだ。

 店の客の存在を忘れて、犯行におよぶとか、ちょっとよくわかりませんね、である。

 ちなみに、我々が訪れたとき、カウンターにいるのは店長だけであった。その後、恐らく裏口から現れた春浦くんが表扉に鍵をかけた後、いきなり刃物を取りだしたのである。

 折り畳み式の、多機能性のサバイバルナイフだ。

 恐らく、この時間帯には普段客がいないのであろう。

 それにしても、我々がいるのは最奥のボックス席とはいえ、春浦くんは確認を怠りすぎであった。だが、こうして見落とされるのも、ご主人様の『犯罪被災体質』のせいと思えばさもありなんである。我々はどう足搔いても巻きこまれる運命なのだ。

 ご主人様は本を読み終えてうつらうつらされているため、事件に気づいておられる様子はない。ご主人様のほうのカップは、既に飲み終えたこともあり、下げてもらっている。

 私はさっきまでご主人様のお顔を世界一かわいいな、あら当然だったうふふと眺めていた。至福の時間を邪魔されて、私は怒り心頭である。

 だが、私の激情などどこ吹く風と、カウンター内の会話は続く。

「春浦くん、止めたまえ、こんな馬鹿げたことは」

「いいえ、店長。僕はあなたに怨みがあるんです」

 怨みがあった。

 ならば、なおのことしかたがないのかもしれない。

 人間、怨みを前には盲目的になるものである。

 例えば、そうだ。

 こうしたらどうなるだろうと春浦青年は脳内で強盗の計画を立てていた。やがて思い描くだけでなく、彼は凶器を常に持ち歩くなどの行動に移らなければ満足できなくなった。

 やろうと思えば、いつでも実行できる。

 それが、彼を踏み止まらせるよすがだったのだ。だが、そこに『犯罪被災体質』のご主人様が現れたせいで、春浦青年の犯罪欲求には自然と火が点いた。

 正確には、ご主人様の下げられたばかりのカップと人気のない店内を見て、春浦青年はこの場には誰もいないと判断、突発的衝動に火を点けたのであろう。それが『ご主人様のカップ』をトリガーとして組み立てられてしまった不自然な衝動であるとも気づかずに。

 後はドミノ倒しである。

 あれよあれよというまに、超衝動的かつ、計画的犯行の完成だ。

 なるほど、我ながらこの線が正しい気がする。

 我々が巻きこまれた原因について、私はそう考え腕を組んだ。

 その間も、ご主人様はうつらうつらなされている。うふふ、宇宙一愛らしいな。あら、言うまでもなく世界の摂理だった。うふふ。

 その間も、春浦青年は店長に関する怨みをつらつらと語っていた。

「あなたはバイトの夢野さんと僕の恋路を邪魔してきましたね」

「それは君達が」

「あなたがいちいち口をだしてきたせいで、夢野さんは僕から去ってしまいました」

「そんなことを言われても……」

「それに店長。あなたは常々僕を馬鹿にしてきたでしょう。いろんな人から聞きましたよ」

「だ、誰から聞いたんだい?」

「いまさら、他の人を巻きこみたくはありません。ないしょですよ。それに、僕が断わりきれない性分なのを知っていて、無茶なシフトを押しつけてきましたね。もう、僕は限界なんです」

「それなら言ってくれれば」

「言ったところで、なにが変わるんですか」

 他にも、春浦くんはつらつらと怨みを並べた。店長の邪魔だてが入ったことで、恋人の夢野さんは冷たくなったこと。それがショックで、色々と失敗が続いたこと。その過程で、バイクで自損事故を起こしてしまい、借金を負ったこと。それをなんとかするために、愛用のギターを質屋に手放したこと。無茶なシフトを増やされるようになったのはそのあたりかららしい。かくして、失意の底にあった春浦くんはついにキレたのである。

 が、私にはどうでもいいことだ。

 そんなことよりもご主人様が美しい。うふふ。

「だから、です。僕はもう我慢の限界なんです。店長、死んでください」

「待ってくれ! 待ってくれ、頼む! 金ならばだすから」

 おや、様相が変わってきた。

 これでは強盗ではなく、殺人事件である。

 というか、最初からそうだったのかもしれない。

 このままでは大変な事態になるだろう。哀れ店長の命は消え去り、辺りは血の海である。そうして、ご主人様は春浦くんに目撃者として気づかれ、命を狙われるかもしれない。

 私は激怒した。必ず、この春浦くんとかいう店員を除かなければならぬと決意した。私には人間の心がわからぬ。私はご主人様の従者である。椅子になり、ご主人様と戯れて暮らしてきた。けれども、ご主人様のこうむられる危険に対しては人一倍敏感であった。

 かくして、私は『走れメロス』のメロスのごとく行動に出ようとした。だが、その前に、なにをするのかを決めなくてはならない。何事も、事前の計画が大切だ。

 犯人にとってどれだけ不幸な終わり方であろうとも、ともかく場がまとまればいいのである。腕組みを継続したまま、私は考え始めた。

 これこそ人呼んで、悪魔的解決方法である。

 ***

 ご主人様を起こさないよう、私は立ちあがった。

 滑るように、私はボックス席を抜けだす。

 そのまま、埃ひとつなくよく磨かれた床の上を、私はぬるぬると移動した。カウンターに身を隠しながら、私は目的の位置へと向かう。

 幸いにも、春浦くんは絶賛、店長にサバイバルナイフを突きつけている。こちらに注目する気配はない。私は店長の背中に隠れて厨房に侵入し、ある物を手に戻ってきた。

 そのまま、ソレをほいっと店長に手渡す。突然の闖入者に気がつき、春浦くんはぎょっとした顔をした。手の中のソレを見て、店長も出目金のように目を剝く。

 私が渡したモノは他でもない。

 カツサンドを作る用の肉切り包丁であった。

「な、なんだ……アンタ、なんのつもりで」

「いったい、いつまでやっているつもりなのかは知りませんがね。ひとりだけ武器持ちなのはズルイでしょう」

 私は春浦くんに応える。彼の武器を指さして、私は告げた。

「ナイフを抜いて相手に向けたのでしょう? そして、春浦くんは店長を憎悪している。店長も、もはやここまできてわかりあえると思ってはいないでしょう? ならば、後は殺されるか、殺すかしかないのでは?」

 私は店長をそそのかし、現状の危険さに再度気づかせる。

 そう、春浦くんは『殺す』とまで思っているのだ。

 こうなれば道はひとつしかない。

 殺すか、殺されるかだ。

 だが、万がいち店長が殺され、無傷の春浦くんが残ってしまっては私は困るのである。

 春浦くんの毒牙が、ご主人様に向かう可能性があるためだ。

 そのため、私はこうして別の解決手段を用意した。私は知っている。反撃の手段を手にしたとき、人の頭からは倫理が遠のく。

 なんとも残念で、愚かな事実だ。

 それでも、店長はおろおろと訴えた。

「だ、だからって、私に、そんな」

「それでは、このまま殺されてもいいと?」

「それなら、あなたが」

 殺してくださいよとはさすがに言わなかった。

 だが、ここで、店長にとっては残念なお知らせがひとつ。店長が刺されようが無事だろうが、私にとってはどうでもいいことである。

 ご主人様の命以外はみんな塵芥。

 万物に対して平等に、私は誰が生きようが死のうがどうでもよかった。愛の反対は無関心。好き好き大好き超愛してるの反対は、地球環境のためにいさぎよく死にさらせである。

 と、いうわけで、私は無視して両手をあげた。

 刃物を手に、春浦くんと店長はにらみあう。

 武器を持った、男が二人。

 その均衡は、絶対に崩れるだろう。

 背中を向け、私はすたすたとボックス席に戻った。後ろから悲鳴めいた叫びが響く。

 どちらが先に動いたのかはわからない。だが、肉を切る音が後に続いた。

 ボックス席では、さすがに起きられたのだろう。ご主人様が目を見開いていらっしゃった。おかわいそうに、ご主人様は子犬のごとくブルブルと震えておられる。

 席に戻った私の腕に抱きついて、ご主人様は叫ばれた。

「人間って怖いわ、夜助! 私にはお前だけよ!」

 ああ、なんという恍惚──。

 天をあおぎ、私はその美酒のごとき言葉に酔いしれた。

 ***

 と、いう妄想を私はくりひろげていた。

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