『母上は別式女』のひみつ③/三國青葉
文字数 2,318文字
さて、「別式女」とは聞きなれない言葉ですが、果たしてその意味は……?
『母上は別式女』登場人物の裏話「『母上は別式女』のひみつ」を、三國青葉さんがtreeのために特別に書下ろししてくださいました!
「別式女」とは大名家の奥を守る女武芸者のこと。御三家や仙台、加賀、長州、肥後、薩摩などの大藩に数名ずつが置かれていた、実在の職務だ。他方、万里村巴は小藩の上総国・雨城藩で5人の別式女たちを束ねる「別式女筆頭」である。その任務は多岐にわたり、藩主の妻女の護衛のほか、家臣の子女への剣術指南なども行った。だが巴は、剣の腕は立つが料理はからっきし。反対に夫の音次郎は、上屋敷の賄い方助として料理の腕をふるっている。そんな「凸凹夫婦」の万里村家には、皮肉屋の父や楽天家の息子もいて、目が離せないのだ。
『母上は別式女』主要登場人物紹介
万里村巴=雨城藩・別式女筆頭。料理が苦手で、夫に頼りっきり。
音次郎=上屋敷の賄い方に勤める。修行と称して高級料亭を食べ歩く。
誠之助=巴と音次郎の一人息子。大人たちを往なす知恵を持つ。
源蔵=隠居の身の、巴の父。口が達者で、音次郎とは仲が悪い。
梅雨になってからというもの、ずっと雨続きです。
じめじめするし、蒸し暑いし、嫌いだという人が多いけれど、誠之助は梅雨が大好きでした。そのわけは、明誠館や道場の帰りにいっぱい買い食いをしても露見しないからだったりします。
たくさん買い食いをすると、お腹がぱんぱんになって夕餉があまり食べられません。まずは病気ではないかと家族に心配されますが、違うとなると次に疑われるのは買い食いです。そして必ず、正直に白状する羽目になるのです。
「武士の子のくせに情けない」と叱られます。武士の子が屋台で買い食いをするのは外聞が悪いと言うのです。それは理解できるけれど、酒饅頭やイカ焼きや蕎麦や天ぷらなんかのいいにおいがすると、武士の子としての覚悟はどこかへ飛んで行ってしまいます。
どうしてこんなに食いしん坊なのだろうかと自分でも不思議に思うことがあるのですが、きっと生まれつきなので仕様がありません。それでも叱られるのは嫌なので、いつもはバレないように少しだけ買い食いをします。
けれども。梅雨の時期は食欲が落ちる人が多いので、食が進まなくても咎められません。なので、誠之助は好きなだけ買い食いをすることができます。梅雨が来ると心がはずむのはこういう理由です。
今日もしとしとと雨が降っていますが、誠之助は元気そのものです。
実は誠之助にはもう半年くらい思い続けていた野望があるのです。それは屋台の天ぷら蕎麦を食べることでした。天ぷらはわりによく食べます。ひと串4文だし、ふた串くらい食べても、余裕で晩ご飯が入ります。蕎麦は冬の寒い日は体があたたまるから食べたいのですが、お腹いっぱいになり過ぎてしまいます。
だから冬におススメの買い食いアイテムは熱々の焼き芋と大福餅です。お寿司もおいしそうだけれど、2、3貫つまんでのれんで指を拭いて小粋に去るなんてハードルが高いし(そもそものれんに指が届かない)、鰻飯は値段が高すぎます。そこで、天ぷら蕎麦です。今日は絶対天ぷらそばを食べてやるのです。
どきどきしながら誠之助は天ぷら蕎麦を注文しました。値段は32文。天ぷらなら8串も食べられます。かけ蕎麦が16文ですから倍の値です。でも、食べます。
屋台のおじさんがにこにこしながら誠之助の前に丼を置きました。かけ蕎麦の上に天ぷらがのっています。「いただきます」とつぶやいて誠之助はまず天ぷらをひと口かじりました。小柱と海老のかき揚げです。うまいにきまっています。そして、蕎麦をひと口。さらに天ぷらの衣と油が溶け出した汁をすすります。天ぷらと蕎麦と出汁のマリアージュ……。誠之助は夢中になって天ぷらを食べ、蕎麦をすすり、最後の一滴まで汁を飲み干しました。
「ご馳走様でした!」天ぷらそばを見事クリアし、颯爽と屋台を後にした誠之助は、自分が少し大人になった気がしたのでした。
兵庫県生まれ。お茶の水女子大学大学院理学研究科修士課程修了。2012年「朝の容花」で第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し、『かおばな憑依帖』と改題してデビュー(文庫で『かおばな剣士妖夏伝 人の恋路を邪魔する怨霊』に改題)。幽霊が見える兄と聞こえる妹の話を描いた「損料屋見鬼控え」シリーズは霊感のある兄妹の姿が感動を呼んで話題になった。その他の著書に『忍びのかすていら』『学園ゴーストバスターズ』『学園ゴーストバスターズ 夏のおもいで』『黒猫の夜におやすみ 神戸元町レンタルキャット事件帖』 『心花堂手習ごよみ』「福猫屋」シリーズなどがある。
諸藩を見渡しても数少ない女剣士・万里村巴は、護衛に武芸大会に剣術指南に大活躍。
新機軸書下ろし時代小説!
「別式女」は実在した。大名家の奥を守る女武芸者のことで、御三家や仙台藩などの大藩には置かれていたが、万里村巴が仕えるたった5万石の雨城藩に6人もいるのは珍しい。なかでも巴はその統率者たる「別式女筆頭」なのである。その任務は多岐にわたり、藩主の妻女の護衛のほか、家臣の子女への剣術指南なども行った。だが巴は、剣の腕は立つが料理はからっきし。反対に夫の音次郎は、上屋敷の賄い方助として料理の腕をふるっているのだ。そんな「凸凹夫婦」の万里村家には、皮肉屋の父や楽天家の息子もいて、まったくもって目が離せないのだ……。