第2回 日本編

文字数 1,110文字

その時、デブが動いた……!


おいしい東坡肉、召し上がってますでしょうか。OKB106kgです。前回は中国史に燦然と輝く肥満漢をご紹介しましたが、今回は、日本の太った英傑をご紹介したいと思います。


一人は、天下統一を果たした武将。もう一人は、いまも多くの日本人に愛される維新の英雄。


太っていても、これだけのことを成し遂げられるのだ! 肥満に悩む思春期の私を、大いに発奮させてくれた二人のデブと、彼らを描いた名著のご紹介です。

徳川家康(1543~1616)

言わずと知れた天下デブ。


自ら薬を調合するなど、かなりの健康マニアで、過食も慎んでいたというが、晩年は自分では下帯を絞められないほど肥満していたという。


1616年1月、鷹狩りに出た際、鯛の揚げ物を食べたのち、腹痛を訴えて倒れた。この急な腹痛を食中毒として、家康の死因と言われることがあるが、家康が死んだのはその3ヵ月後の4月。記録によれば、このときすでに腹部にしこりが見られ、血便、のちに吐血もあったというから、胃ガンなどの消化器系のガンが疑われる。


ちなみに鷹狩りの日の夕食、家康は鯛2枚、甘鯛3枚の揚げ物をたいらげたという。この夜の腹痛は、油ものを食べたときに起こりやすい胆石発作だった可能性もある。


天下人をして節食、易からず。況や凡デブをや。


『徳川家康』山岡荘八/著(講談社)

『覇王の家』司馬遼太郎/著(新潮社)

『徳川家康』松本清張/著(講談社・火の鳥伝記文庫)

西郷隆盛(1828~1877)

言わずと知れた英傑デブ。


鹿児島の西郷像を製作した安藤照の調査によれば、その体躯は身長178cm、体重108kg。ギョロ目。高脂血症。かなりの肉体的迫力の持ち主だったようだ。


大兵肥満のご多分に漏れず相撲好きで、耳も変形していたという。晩年も庭先で若者に相撲を取らせてご満悦だったようだ。明治天皇と相撲を取って、きつい張り手をかました、なんて話もある。


ちなみに、同じく明治天皇と相撲をして投げ飛ばした逸話(畏れながら、陛下の心中、お察し申し上げます)を持つ山岡鉄舟も、188cm、109kgという巨漢。江戸無血開城の折衝の際は、さすがの西郷どんも、この肉体に気圧されたのではなかろうか。


西南戦争に敗れ、最後は鹿児島県の城山に立て籠もるが、少数の部下とともに弾雨の中を進撃。腹や腿に被弾後、腰を下ろし東方遥拝、部下に首を打たせた。


デブの最期、まさにかくあるべし。

『史伝 西郷隆盛』海音寺潮五郎/著(文藝春秋社)

『近世日本国民史 明治三傑』徳富蘇峰/著(講談社)

『西郷南洲遺訓』西郷隆盛/原作(講談社・まんが学術文庫)

次の更新をお楽しみに…!

イラスト/ジェントルメン中村

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