『Cocoon 修羅の目覚め』/夏原エヰジ 1巻まるっと太っ腹試し読み⑩

文字数 3,736文字

最強の花魁×異形の鬼!

人気シリーズ「Cocoon」の第1巻『Cocoon 修羅の目覚め』をどどーんと太っ腹に1巻まるまる試し読み! 


毎日1章ずつ公開していく「毎日コクーン」、第10回めです!


「どういうことだよっ、いなくなったって」


 瑠璃は声を荒らげて権三に詰め寄った。


 この日の朝はいつも瑠璃を叩き起こしにくるお勢以が来なかったため、長寝を決めこんでいた。騒がしい様子に目が覚め部屋を出ると、見世の中は騒然としていた。


 ただならぬ事態を察して夕辻をつかまえたところ、夕辻は真っ青な顔をして、津笠が消えたことを瑠璃に伝えたのだった。


 売れっ妓である津笠の失踪は、すぐに吉原中に知れ渡った。楼主、幸兵衛のうろたえようは並でなく、黒羽屋の若い衆は総出で捜索にあたることとなった。


 抱えの遊女はもちろん、住みこみの針女(おはり)や内芸者にも徹底的に聞き取りが行われ、黒羽屋は物々しい雰囲気に包まれていた。


 瑠璃の部屋には権三が話をしにやってきていた。


「それがどうにもわからないんで、こうして皆に話を聞いているんでさ」


 権三は暗い顔で言った。


「津笠さんはいつも朝が早くて、ひまりが一番乗りで朝餉を取りに来るくらいなんです。でも、今朝はなかなか起きてこないんで布団の間をのぞいたら、消えていたそうで」


 ひまりは、津笠が抱える禿の一人である。


「ひまりは隣の座敷で寝てたから、津笠さんが厠に行く時だってすぐに気づくはずだ。なのに、昨晩はそんな様子もまったくなかったらしいんです」

「馬鹿な。不寝番は津笠の姿を確認してたのか」


 不寝番とは、遊女の部屋に行灯の油を差してまわる役だ。客との床入りの最中でもおかまいなしに部屋に入ることが許されており、客と遊女との間に揉め事がないか見張る仕事でもある。


「昨夜は栄二郎が不寝番(ねずのばん)を務めてました。相手の旦那が帰る時に、行灯はもう消してあるから、たまには朝までゆっくり寝させてやってくれと言われたようで、あえて部屋の確認はしなかったそうです」


 瑠璃は苦い表情を浮かべた。


「昨日の客って、また佐一郎さまだろ」


「ええ。ここ最近は毎日、津笠さんに会いにいらしてましたから。床入りの際、津笠さんはせっかくだから二人きりにしてほしいと、お付きの禿や新造を部屋から出したそうです」


 半刻ほどして部屋に戻ったひまりは、三ツ布団が大きく盛り上がっているのを見た。津笠はすでに、疲れて寝てしまったようだった。


「座敷で丸旗屋の若旦那が、一人で飲んでいたと言っていました。その後、若旦那は確かに引け四ツ前に一人で帰ってる。番頭(ばんとう)の伊平(いへい)さんもその姿を確認してます」


 権三は低い声で続けた。


「津笠さんは真面目な方ですから、お客より先に寝ちまうなんて考えにくいんですがね。でも、もしかしたら思うところがあって足抜けをしたんじゃないかと、楼主さまは疑ってらっしゃいます」

「足抜けなんて、津笠がするわけないだろっ。今年中には佐一郎さまに落籍(ひか)してもらうって言ってたんだから」


 瑠璃は思わず気色ばんだ。権三を責めても仕方がないとわかっていても、突如として起こった津笠の失踪に混乱し、冷静さを欠いていた。


 遊女が見世を逃げ出すことは大罪である。追手から逃げきれることなどごく稀で、大抵は大門をくぐる前に見つかり、足抜けを唆(そそのか)した男とともに折檻を受けることは免れない。


「……そうですね。津笠さんの部屋も隅々まで調べたんですが、変わったことといえば、津笠さんが着ていた衣裳が、長襦袢も含めてすべて衣桁にかけられていたことくらいで。ただ若旦那が間夫だってんなら、それもわかるんですが」


 大見世の遊女は、客との同衾の際でも着物をすべて脱ぐことはない。丸裸をさらすのは、惚れた間夫にだけであった。


「他にいつもと違うことはなかったのかえ」

「部屋に津笠さんの持ち物でない壺が一つあったんですが、どうやら若旦那が呼んだ幇間が、まわし芸に使っている壺を忘れていったものみたいです」

「遊女の部屋に幇間を呼んだのか?」


 瑠璃は眉をひそめた。


 聞けば佐一郎には、黒羽屋に通う前から贔屓にしていた幇間と芸者がいたらしい。


 ひまりが部屋に戻った時、一人飲みも飽いたから見番まで二人を呼びに行ってくれ、と佐一郎から文を持たされた。以前にも同じことがあったため、ひまりはすぐに見番へ向かった。そうして幇間と芸者を連れてきた後、また部屋を退出したそうだ。


「その二人も、若旦那が帰る前に見世を出てます」


 瑠璃は神妙な面持ちで権三の話を聞いていた。


「部屋を調べた時に、桐簞笥の抽斗に隠し底が見つかりました。今まで貯めてきたんでしょう、金が入っていましたよ。禿のいる座敷を通らないと部屋から出られないわけだし、金も置いたままだし、足抜けの可能性は確かに低いと思います。もちろん四郎兵衛(しろべえ)会所にも知らせましたが、津笠さんが大門をくぐった様子はありませんでした」


 権三はここまで一気に言うと口をつぐんだ。そして一呼吸を置き、顔を曇らせて言った。


「花魁。相対死(あいたいじに)は、考えられないでしょうか」

「なっ……」


 瑠璃は一瞬、権三が何を言っているのかわからなかった。


 相対死とはつまり、心中のことである。現世で結ばれない二人が世を儚み、来世で一緒になることを誓いあって命を絶つ。相対死も足抜けと同様、失敗すれば厳しい折檻にあう定めだ。


「何を言うんだいっ。そんなこと、ありえるはずがない。第一、若旦那は生きてるんだろう」


 瑠璃の言うとおり、佐一郎は生きていた。幸兵衛が若い衆を丸旗屋へ遣いにやって、昨夜の様子を聞きに行っている最中であった。


 津笠の部屋には相対死に用いる凶器はおろか、争ったような跡も、血の一滴すらない。いつもとまったく同じ有様で、部屋の主だけが姿を消してしまっていた。


「若旦那の他に想い人がいたとか、そんな話は」


 権三は激昂する瑠璃を見つめ、冷静に問いを重ねる。だがこわばった顔からは、聞き取りの役を果たすために感情を殺しているのが見てとれた。


「そんなのいないよ。津笠は佐一郎さまに心底惚れこんでたんだ」


 瑠璃は大きく舌打ちをした。権三の様子を見て少し落ち着きを取り戻してはいたが、苛立ちは募るばかりだった。


「花魁は、若旦那と話したことはありますかい」

「わっちが? ないよ。何度か見たことあるってだけさ。なんでそんなこと聞くんだ」


 いえ、とだけ短く言って、権三は津笠の最近の様子や仕事ぶりなどについて、瑠璃に質問を続けた。


 一通りの問答をした後、権三は大きな肩を落として、部屋を去っていった。


 瑠璃は長煙管に火をつけ、力任せに煙を吐く。


 津笠は惚れあった相手とともに、晴れて見世を出ていくはずだった。佐一郎が黒羽屋に登楼する回数は当初より減っていたものの、ここ数日は続けて津笠に会いに来ており、来られない時でもこまめに衣裳の贈り物を寄越してきていた。わざわざ足抜けをする必要性がないのだ。


 瑠璃は、佐一郎に贈られた仕掛を羽織り、心から嬉しそうに笑う津笠の顔を思い出した。誇らしげに背筋を伸ばし、立派に道中をしていたあの姿。


 いつの間にやらそばに来ていた炎の背中を撫でながら、瑠璃は思案を巡らせる。津笠のように情が深く芯が通った女に限って、相対死のように刹那的な真似をするとも考えられなかった。


 心にさざ波が立つような、嫌な感覚が胸中をよぎる。ふと、古傷が疼くのを感じて、瑠璃は胸元に手をやった。


 奥では心の臓が、どくどくと騒がしく脈打っている。


 戸惑う様子を見て、炎は何も言わずに瑠璃の膝に頭をこすりつけた。


 ──津笠。あんた、一体どこに行っちまったんだい。足抜けだろうが何だろうが、折檻なんて絶対に受けさせない、わっちが必ず守るから、だから早く戻ってきてくれよ……。


 噂を聞きつけた馴染みの客や野次馬が黒羽屋に押しかけてきたが、見世の者たちは津笠は風邪でしばらく休む、とだけ告げて、その他は一切語らなかった。


 瑠璃も花魁としていつもと同じように道中をし、客を取らねばならない。しかし、何をしていても津笠のことが頭から離れず、不可解な胸の疼きも頻繁に起こるようになった。


 心配した夕辻が、そのうちひょっこり帰ってくるさ、と瑠璃の背中を優しくさすって慰めたが、夕辻も津笠のことが気がかりでたまらないようで、誰よりも不安げな顔をしていた。


 その後も津笠の捜索はあらゆる手を尽くして必死に続けられたが、とうとう実を結ぶことはなかった。

★この続きは、明日5月30日(月)17時公開! お楽しみに!

夏原 エヰジ(ナツバラ エイジ)

1991年千葉県生まれ。上智大学法学部卒業。石川県在住。2017年に第13回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した『Cocoon-修羅の目覚め-』でいきなりシリーズ化が決定。その後、『Cocoon2-蠱惑の焔-』『Cocoon3-幽世の祈り-』『Cocoon4-宿縁の大樹-』『Cocoon5-瑠璃の浄土-』と次々に刊行し、人気を博している。コミカライズもされている。2022年5月には最新刊『Cocoon 京都・不死篇-蠢-』が刊行予定。

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