通行人をトンカチやノコギリで惨殺。生きながら腹を裂くガキ暴君

文字数 2,254文字

切り裂きジャック皇帝。ニンニク好き、太鼓腹の方はご注意を!

《南朝宋》後廃帝(463~477)

後廃帝は南朝・宋の7代皇帝。諱は劉昱。第5代の皇帝・劉子業も廃帝されているため、劉子業を前廃帝、劉昱を後廃帝と呼んで区別する。


後廃帝は父・明帝の長男とされる。しかし、母の陳妙登は明帝の妻となる前、将軍・李道児の妾であった。後廃帝はこの李道児の子であったとも言われている。


一説に、明帝には子をなす能力がなく、そのため、諸王や家臣の妻妾が妊娠すると、それを密かに自らの後宮に入れ生まれた子を自分の子とすることを繰り返したという。


末帝の皇統を否定する言説が行われることは多い。「簒奪者」にとって都合がいいからだろう。しかし、後廃帝自身が「李将軍」とも「李統」とも自称することがあったというから、自身も李道児の子どもだと思っていたのかもしれない。


後廃帝は5歳で皇太子となったが、そのころから側に仕えるものを殴打することがしばしばだった。父の明帝が35歳で亡くなり、後廃帝はわずか10歳で皇帝に即位した。


『宋書』によれば、後廃帝は「天性好殺、以此為歓」(生まれつき人殺しが好きで、人殺しが喜びだった)という。「快楽殺人者」とか「シリアルキラー」といったところであろう。


そんな人物が子どもながらに皇帝になったのだから、たまらない。後廃帝は朝夕関係なく、部下を連れて街に出た。部下には矛や槍を持たせ、自らもノコギリやトンカチ、ヤットコ、ノミなどを持って出掛けるのである。


もちろん、大工仕事をするためではない。それらを凶器として使い、手当たり次第、目についた動物や人間の頭を叩き、腹をえぐって殺すのである。そして、いい「獲物」が得られない日が一日でもあると、後廃帝は不機嫌になった。


こんな後廃帝だが、意外にも医術に凝っていたという

ある時、医者の徐文伯を連れて街を歩いていると、お腹の大きな女性がいた。それを見て、後廃帝は「あのお腹の中の子は、女の子だと思う。お前はどう思うか」と徐に訊ねた。


徐が「男と女の双子でしょう」と答えると、後廃帝は「ならば、お腹を裂いて確かめてみよう」と言い出した。確かに、解剖こそ医学の根底である。


しかし、徐文伯は名医であった。「いえいえ、それには及びませぬ」と言い、鍼灸にてその妊婦の「三陰交」と「合谷」なるツボをつき、早産(一説には流産)させた。果たして、男女の双子が生まれてきた。


徐文伯の一族は代々名医を輩出した医家の名門だというが、そんなに便利なツボがあるものだろうか。いずれにしろ、こんなことで早産された赤ちゃんたちは怒るべきである。


こんな暴君では当然とも言えようが、裏面で後廃帝の廃立計画が動き始める。しかし、これが発覚し、首謀者たちは捕縛された。


その中に孫超という将軍がいた。孫超はニンニクが好きで、毎日食べていたという。


後廃帝は「孫超はいつもニンニク臭いが、腹の中まで臭いのだろうか。お腹を裂いて確かめてみよう」と言って、自ら将軍の腹を生きながら裂き、その内臓の匂いを嗅いだという。


他の首謀者たちも、自らの手で八つ裂きにしたり、馬上から矛で突いたりして殺した。「ホンモノ」は処刑人の手など借りないのである。


また、後廃帝は、謀反の疑いがかけられた沈勃という男の捕縛の現場に同行した。それどころか、自ら先頭を切って謀反人の家に乗り込み、白刃を揮ったのである。


沈勃も驚いたことであろう。なにせ、少年皇帝が家に踏み込んできて、斬りかかってくるのである。それでも、沈勃は拳骨で後廃帝の耳を殴りつけて反撃。「お前の罪は桀紂にも勝る。すぐに殺されるぞ」と罵りながら殺された。「桀紂」とは夏の桀王と殷の紂王(紂王の回を参照)のこと。古代中国の王で暴君の代名詞である。


耳を殴られてまでも奮闘する後廃帝だったが、国は次第に治まらなくなっていった。

後廃帝の叔父の劉休範が反乱を起こすが、これを鎮圧したのが蕭道成という将軍であった。この功により、蕭道成は軍を完全に掌握。宮廷内の権力も増大させていった。


ある日、後廃帝はこの蕭道成の家を突如訪問した。その時、蕭道成は見事な太鼓腹を丸出しにして、お昼寝の真っ最中。


それを見た後廃帝は、その腹を弓で射ようとした。この時は周囲の人物が諫めたので事なきを得たが、蕭道成はこのことを深く恨んだという。


後廃帝は力を持ち過ぎた蕭道成を誅殺しようとしたのだろう。しかし、蕭道成の権力は、すでにこんな幼稚な方法での誅殺を許すレベルを超えていた。孫超や沈勃のようにはいかなかったのである。


蕭道成は先手を打った。内通者を使って宮殿内で後廃帝を殺したのである。後廃帝、14歳の夏のことであった。


蕭道成はこの後、後廃帝の弟でまだ7歳の順帝(劉準)を皇帝の位に着けた。完全な傀儡である。そして権力を盤石なものにすると、順帝に禅譲を迫り、自ら皇帝の位に着いた。南朝・斉の初代皇帝である。


この時、順帝は11歳。宮殿に蕭道成の部下が軍を連れて迎えに来ると、順帝は宮中を逃げ回り、仏像の天蓋に隠れたあえなく捕まると、順帝は「私を殺すのか?」と言って泣いた


「(禅譲をして、皇帝ではなくなったので)宮殿から身を移してもらうだけです」と宥められ、順帝は輿に乗せられた。そして、「願後身世世勿復生天王家(生まれ変わっても帝王の家には生まれたくない)」と嘆き、また泣いた。


一ヵ月後、順帝は殺された。

『大唐帝国 中国の中世』宮崎市定/著(中公文庫プレミアム)

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