〈宇治十帖編〉第3話 本命登場! チョロイン浮舟

文字数 6,517文字

かつて『源氏物語』をこんなにも楽しく理解できる機会はあっただろうか。

平安ラブコメミステリー『探偵は御簾の中』シリーズでおなじみの汀こるものさんが、『源氏物語』の特異すぎる紹介でみなさんを笑いの渦に巻き込むエッセイ。

今回は『源氏物語』最後のヒロインと言われる浮舟が登場。不安の絶えない人生を歩んできたかわいそうな彼女に、案の定、ゲス野郎ふたり(薫と匂宮)が迫り来る!

 宇治十帖も佳境に入ってまいりました。


 かつて宇治八の宮が女房に手をつけて産ませた娘・浮舟。浮舟は受領の後妻となった母の連れ子として常陸に行っていた。

 継父の常陸介と一緒に京に帰ってきて、政略結婚することになっていたが土壇場で連れ子は嫌だとゴネられて婚約者は妹と結婚。

 宮さまの隠し子というステータスがマイナスにしかならず、「政略結婚にも使えない」と継父に見放される浮舟。


 ある日、これまで「腹違いの妹とか知りません」とか言ってたはずの中君が急に「かわいい妹、うちの邸に来ないか」とか猫撫で声で言ってきた。居場所がない浮舟は姉の住む二条院に行ってみることに。

 そこでうっかり、超絶タチの悪い女好きの宮さまに出会ってしまった。


匂宮「ヘイ彼女かわいいね! うちの妻に似てるけど親戚なの?」


中君「ダメー! 彼女はダメー!」


 ……もう波瀾の幕開けじゃないですか。


『浮舟』あらすじ

 いつか二条院で見かけた女・浮舟が薫に囲われていると聞いて、いても立ってもいられない匂宮。雨の夜、薫の声真似をして灯りを消させ、浮舟の寝所に忍び入る。人違いとわかったときにはもう遅かった。だが匂宮に情熱的に口説かれて心動かされる浮舟。2人は薫のいない間に舟で出かけて睦まじく過ごす。あまり顔を出さず言葉が足りない薫に不満を抱いていた浮舟は匂宮の甘いささやきによろめき、匂宮は浮舟を思った以上に気に入ったので愛人にして姉のもとで働かせようと考える。隠しごとは長くは続かず、薫に感づかれ、宇治で薫と匂宮の手紙の使者がかち合ったりみっともないことになり始めた。思い詰めた浮舟は宇治川に入水することを考える。


 匂宮にも事情はある。

 彼の肩書き「兵部卿宮」「兵部省のトップ」だが「親王殿下なんだからこの職の給料で見栄えよく暮らしてください」の意で特に仕事はない

 皇子さまの立場は意外と弱い。


 皇子さまには「陣定(じんのさだめ)」の参加権がない。地方人事から将門討伐まであらゆることを決める会議。皇子さまが参加するには光源氏のように臣籍降下して皇位継承権を返上、下積みから始めないと。


 一方で「中将」→「中納言」→「大将」。中将時点で陣定の参加権を獲得していて、物語終盤「大将」は後1回出世すれば大臣

 権力では匂兵部卿宮より薫権大納言大将の方が強い。


 源氏物語本編では光源氏とか頭中将とか夕霧とか全部後世の人がつけたあだ名なので、帖の頭は毎回ずらっと官職を並べてこれは今回出世した誰で、という登場人物紹介から始まる。「内大臣(※かつての頭中将)」ってもはや頭中将だった期間の方がずっと短いけどこの人は他にあだ名ないの?とかだった。


 この紹介でずっと兵部卿宮なのは匂宮だけ。


 他の男は全員「恋も政治もバリバリやるぜ!」と話の外で政治をやって出世しているのに、こいつだけ恋バナしかやることがない。


 平安政治経済から切り離された高等遊民、小遣いには困らないが、大豪邸を何軒も建てたりそこで愛人にお姫さま生活をさせたりはできない。そんなことができるのは薫や夕霧であって彼ではない。


匂宮「母上はいつか帝位に即くために身を慎めって言うけどいつだあ!? もうおれは28歳になるっていうのにまだ1番上の兄上も即位してないんだぞ、20年後か!?」


 何か努力しようにも、即位するために父や兄を暗殺するわけにもいかない!

 20代も後半になったら遊んで暮らすのはむしろ虚無(シャバ)い!


 さて先週の回、ちろっと薫は帝の皇女・女二の宮と結婚していた。女二の宮は匂宮とは腹違いの妹で、同居の母が死んでしまった。


 帝は堂々と「臣下のお前に皇女の世話をさせてやる! ありがたいだろう、一生かしづいて伏し拝め!」と薫に女二の宮を押しつけてきた。本当は宇治八の宮がやりたかったのに没落していて煮えきらないことになったやつ。ちなみに帝は八の宮の甥だ。


 これは帝が薫を評価している証なので、薫本人が女二の宮を好きか嫌いかなどどうでもよかったし「わたしは出家したいマンなので結婚はしないです」というわけのわからない供述で断ることはできなかった。


 世間はそんなことになっていたが同時進行で中君が浮舟母と緊密に報告・連絡・相談した結果、薫と浮舟は正式に縁談がまとまった。


 浮舟は愛人以上正妻未満の変な身分に決定したが元々宮さまの隠し子で変な身分。薫大将さまのイケメンぶり政界チートっぷりを差し引きすればポシャった縁談より遥かに良縁! 帝の皇女さまなんて堅苦しい正妻に心は開けませんよねわかります! と本人より浮舟母の方がはしゃいだ。


 浮舟の家に一泊した薫だったが、継子いじめで1人だけボロ屋に住まわされているのにドン引きしたので浮舟を故・宇治八の宮の邸に連れていく。

 浮舟は恥ずかしくて牛車の中でうつ伏せになっていたが。


「この辺、石が多くて車が揺れるから接地面積広いと逆につらいよ」


 と薫はカジュアルに浮舟を膝に載せる。


 あっ距離が近い! 一線越えやがった、こいつ!


 源氏物語、直接的な濡れ場の描写はそんなにないのでこういう前後の仕草を読み取らなければならない。フツー男女は恋人同士でないと一緒に牛車に乗らんが、更にその中でも距離を詰めた。


 散々尊敬する八の宮さまの愛娘に無体できないとか言いわけしていたが、親と話がついている目下の女相手だとサクッと飛び越えた。じゃ大君も親に話せばよかったんだよ。


 ちなみにこいつ、女房の恋人が2、3人いて平安人としては堅物だが令和から見ると別に純情ではない。腹立つな


 しかし浮舟は大君より大分子供っぽくておっとりしてるな、と思った薫。邸に着くと。


「……もしかして大君の霊がまだこの辺で見てるんじゃ」


 1人でさっさと牛車を降りて浮舟から離れた。(※乗せるときはお姫さま抱っこした)

 釣った魚に餌をやらないどころかいきなり興味を失った!


 お前! お前!


 それでも平安の結婚生活は最初の3日間にかかっているので、3日間はそれなりにラブラブしようとはした。ノルマのように。

 ノルマなので全然盛り上がらなかった。


 1回京に帰ったら「まあ、時間をかけて仲よくしていけば」とか言ってそのまんまになった。片道3時間半だから。

 匂宮はチャラいとか薄情とか言ってたが、薫もこの程度だった。


 その間、匂宮の内圧は高まっていた


匂宮「中君は何で彼女を遠ざけた!? おれと仲よくするのが気に入らないのか!?」


中君「いやもうほんっと勘弁してください今回だけは無理」


 そうとは知らない浮舟は中君の仲介で薫とつき合い始めたので、日々こうしていますよ、赤ちゃん元気ですかと連絡の手紙を中君に送ってくる。

 匂宮は手紙を見て鋭く推理。


匂宮「薫と中君で示し合わせて、おれから彼女を隠していたのか!? 悔しい! 中君は何だかんだ薫にデレやがって!」


 こうして匂宮の浮舟NTR作戦が開始した


匂宮「薫と中君がデキているのだからおれもやり返す、そもそも浮舟についてはBSS(ぼくがさきにすきだったのに)


 もとから薫の真似して香を焚いているような巨大感情の男だが今や社会が彼らを分断していた。


 まず決行は高級貴族の薫は忙しいが皇族の匂宮はそうでもない除目(人事会議)の時期。昔は何だかんだ匂宮が京に引き留められてたが、今は薫の方が忙しいのも皮肉だ。裏を返せば普段は綺麗な皇子さまをチヤホヤしている臣下連中が連日徹夜でブラック労働に明け暮れてかまってくれない季節でもある。


 匂宮はこれまでにない簡素なお忍び装束に身をやつして馬で宇治に行き、邸の戸の穴から覗いて浮舟を肉眼で確認。

 頑張って暗くなるまで待って、戸を叩く。


匂宮(作り声)こんばんは、薫です。急ですが出かけると聞いて慌てて来ました」


浮舟の侍女・右近「あ、はい?」


匂宮(作り声)途中、転んでみっともない姿になったので灯りを消して。人に見られたくない」


 ものすごく原始的


 まさかそんなことをするヤツはいないだろうと女房たちが油断してまんまと戸を開け、灯りを消したところで堂々と浮舟の寝所にイン!


 薫じゃないと浮舟が気づいた頃にはもう遅い。


匂宮「静かに。二条院で話したときからずっと君のことばかり考えていたんだどうかこの心をわかってうんたらかんたら」


 リカバーするかどうかなんてどうでもいい。浮舟が泣き出すと匂宮ももう会えないかもしれないと泣き出した。


 この男、本気である。そんなことで騙される女がいるわけがないとか一瞬も考えない。できることは何でもやる。女に泣かれてウッと手を引いてしまうのはただのヘタレであることを正反対のキャラの行動で表現する、恐るべき筆力。


 夜が明けてお忍びの従者たちが呼びに来て、浮舟の侍女・右近が気づいても、


匂宮「彼女と離れたくないから今日は帰らない! お伴の皆、それぞれ何とか頑張って!」


 むしろ堂々と居座った。


 匂宮の従者たち、ここは薫の愛人の邸なので、この邸の人々にバレないようにそれぞれ宇治で1日を過ごすことに決定! その辺に時間潰す店とかある時代じゃないのに!? むしろこの創作パラレル宇治、平等院鳳凰堂の代わりに故八の宮の邸があるだけで他に川しかないんじゃないの?


右近「お姉さまの夫君の宮さま!? こ、これ、騙されて戸を開けたわたしのせい!?」


 右近は真相を知ってあまりのことに、


右近「……姫さまは宮さまと結ばれる運命だったのだ。御仏の定めた宿世(※宿命の、より悪い側面を表す言葉)。わたしは悪くない。誰も悪くない!」


 思考停止した。ある種の人間はショックを受けて打ちひしがれているときでも無理矢理考えているフリをして動かなければならない。


右近「それはそうといったんお帰りになって出直してください」


匂宮「皇族の身分で軽々しくこんなことすると思うか、思い詰めて来たんだ! 来客があっても物忌みだとか何とか言って追い返せ! おれは本気だ!」


 居直った男はメチャメチャ強かった。匂宮の従者たちは「マジか。……仕方ねえなあ」と諦めたので、宇治邸の他の人は右近がごまかすことに。


右近「か、薫さまは今日は誰も近づくなとー!」


匂宮「薫の使ってる盥で顔洗いたくないから君のを後で使わせて」


 どこまでもふてぶてしいNTR男。


浮舟「匂宮さま……情熱的で素敵な方……」


 ……はい?


浮舟「薫さまって何というか、べたべた触ってくるわりに言葉はよそよそしいから……」


 いきなり目がハートになってる浮舟。

 ……源氏物語に一発やられた程度でこんなにすぐにデレる女いませんよ、浮舟さん? チョロすぎか? マジで? さめほろと泣くやつは?

 あるいはレイプされたショックで相手がイケメンだから惚れたのだと思い込もうとしたのか。「そんなん真に受ける女がいるか」という匂宮の美辞麗句、全部浮舟に刺さった。どうやら薫はそういうの言ってなかったらしい。


 そして1日が過ぎた……


右近「あのー。流石に3日目になると中宮さまが捜し回っておられるとか何とか」


匂宮「ああ身分のあるこの身が疎ましい! こんなことが知れたら薫はきっと自分の不実を棚に上げて君を責めるんだろうなあ、かわいそうに! 離れがたい!」


浮舟「わたしもお別れするのが惜しいです、匂宮さま!」


 メチャはしゃいだ浮舟。その後、匂宮と川向こうの別荘でデート。舟に乗せるのにわざわざお姫さま抱っこ。


 そのくせ、匂宮は内心では浮舟を愛人として姉に預けるの決定。手をつけた女房は母や姉の侍女としてコレクションしておくのがこの男のやり口だった。


 一方で薫の方は正妻の女二の宮と浮舟を同居させられないということで、浮舟のために京都市内に邸を新築していた。受領の娘ごときには破格の待遇。皇女さまよりランクが低くても正式の妻に匹敵する扱い。


 宇治の邸も、辺鄙だが日に日に使用人が増えて賑やかになっていく。


 受領階級は身分は低くても年貢米があって上流貴族より金持ちなのが取り柄なのに、継父と不仲な浮舟は連絡すらしてない。薫にばっか金を出させているのは気が引ける。


 何より匂宮は薫を紹介してくれた中君の夫。


 浮舟の母は八の宮の正妻の姪にあたり、正妻に嫌われて八の宮と別れて受領の妻になった。代々愛人の家系だった。この恋に未来はない。どうせ愛人なら家建ててくれる薫の方がいい。


 しかし今更薫に愛想を振りまけるかというと……


浮舟の母「薫さまによくしてもらってる? 真面目ないい人でよかったわねー。こんなこと普通ないわよ。そうそう、姉姫さまの夫君がうるさいほど女好きの宮さまだって知ってる? 怖いわねー」


浮舟「あばばばばばばばば」


 そのうち、手紙のダブルブッキングなどあって薫にバレる。浮舟しか住んでないはずの宇治の片田舎に人が多すぎる。


「……匂宮がわざわざわたしの後を追いかけてNTRに来たってこと? 何考えてんの? こっちは中君とやらずに我慢したのに?」


 だからその「我慢してあげた」という認識をやめろ。


「でもいいや。浮舟は大層な女でもないし譲ってもいいけど、現状維持で。……とか言ってたら匂宮は図々しくお持ち帰りしちゃうんだろうな。共有はいいけどタダで丸ごと持ってかれるのは腹立つしどうしようかなー」


 イラッときただけで妙に冷静。なぜ一瞬でも「現状維持」という選択肢が出たのか、そこに全ての答えがある。


「一応本人に手紙で釘刺しとこ。バレてますよ、わたしを世間の笑いものにしないでください、と」


浮舟「こ、この手紙、多分宛先が違いますよ」


「……うまく言い逃れた。とっぽい田舎娘がなかなかやるようになったな。セキュリティだけ強化しておくか」


 感心してる場合か。

 いよいよ後がない浮舟に忠告する右近。


右近「うちの姉は二股かけてたら片方の男が殺されまして、殺した犯人の方も流刑にされて姉も邸から放り出されて。最悪なことになる前にサクッと選びましょうよ。わたしはどちらを選んでも姫さまについて行きます(※出ていく気満々な時点で匂宮一択)


 励まし方が雑。


 言うて恋愛フリーライダーの匂宮について行ったら、浮舟と一緒に薫の新邸に移住する予定の宇治邸の使用人は全員クビになるが? 平安貴族の邸に何人の使用人が住んでいると思って?


 もはや浮舟の決断は地方の雇用・創成・インバウンド需要にまで影響する規模だった。何せ今日実際に宇治源氏物語ミュージアムあるからな。


 ……逆に言うと薫側には浮舟の親戚事情と地方の雇用・創成の社会問題等しか表示されてないのだが? 感情はないんですか?


 浮舟が悩むのは具体的な幸せのビジョンを1ミリも提示できない匂宮の甲斐性のなさが悪いのでは?


 甲斐性も何も、匂宮は「人の嫁さん奪って侍女その1にしてやる」とかほざくクソ男だった。何がBSSだ。この行為、実現したら妻の妹を弄んだのが即座にバレて中君の好感度は爆sageだが?


 選べる男がこの2人しかいないとか。三角関係ってこんなに楽しくないものなのか?


浮舟「……どうにかして死にたい」


 宇治川の荒い流れに思いを馳せるようになった浮舟! 次回、宇治十帖クライマックス!

汀こるもの(みぎわ・こるもの)

 1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。

『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。

Twitter:@korumono

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