あやかし長屋 ボイスドラマ&エッセイ①
文字数 2,167文字
「あやかし長屋 嫁は猫又」ボイスドラマ①
神楽坂淳/脚本
朱ひゐろ/イラスト
酒林堂/制作
神楽坂淳氏が、新シリーズ『あやかし長屋 嫁は猫又』スタートを記念して、ボイスドラマ用にオリジナル脚本を書下ろしました!
生配信の録音のままお送りしていますので、
噛んだりとちったり、言い直したりというのもありますが、そのまま生配信の雰囲気をお楽しみください!
そして、よろしければ生配信を見に来てください。
https://youtube.com/channel/UC4qq0Ot9n058y8HSlVFX01A
『あやかし長屋 嫁は猫又』 こぼれ話「しんこんしょや」
神楽坂 淳・著
しんこんしょや
部屋の中は行燈の光で満ちていた。たまの部屋の行燈は灯心ではなくて蝋燭だから.普通の行灯よりもずっと明るい。
猫又のたまからすると灯心でも充分明るいのだが.行燈の油の匂いがあまり好きではないので蝋燭にしている。
といってもちゃんとした蝋燭は高いから.燃え残った蝋燭を集めて蝋燭のように固めたものを使っている。
これなら油の匂いも気にならない。
その前の布団で平次がすやすやと眠っていた。まったく起きる気配もない。それも当然ででたまの妖力で眠っているのだ。
今日からたまと平次は夫婦である。新婚だから同じ布団で眠るのは当然なのだが.いざとなると恥ずかしくて妖力で眠らせてしまったのだった。
たまは昔から平次が好きだった。
だから嬉しいのだが.起きている平次が相手だとはずかしい。まずは慣れないといけないというところだった。
平次の眠っている布団に戻りこむと.平次の匂いがした。
起こしてみるか。一瞬考える。が.やはり恥ずかしくて無理だ。
布団から出ると.家の外に出た。少し夜回りをして気持ちを落ち着けよう。長屋を出ると両国広小路に向かう。
もう夜中だから人通りはほとんどない。ぽつぽつと夜鷹蕎麦がいるくらいだ。そろそろ夜回りのはじまる時間といったところか。
大きく息を吸って空気の匂いをたしかめる。悪意の匂いはほぼない。平和そのものという匂いがした。
たまは猫又だから.空気の中にさまざまな匂いを感じることができる。悪意や善意。それから恋の匂いなどだ。
一番重要なのは妖怪の匂いである。
たまは町奉行の榊原忠之と.江戸の町を荒らす妖怪を退治すると約束した。そのかわりに岡っ引きの平次と結婚させてもらったのである。
だから町奉行には恩がある。
人間は
どうなってもいいのだが.約束を破ることは妖怪にはできない。何百年たっても町奉行との約束は残るのである。
空気の中にかすかに妖怪の匂いがした。悪いことを考えている匂いではないが.妖怪に悪意がなくても人間に害があることはあるからだ。
夜鷹蕎麦の屋台から妖怪の匂いがする。
歩いていくと.夜鷹蕎麦に客が一人いた。蕎麦を食べているようだ。たまも隣で食べることにした。
「もり。葱ぬきで」
言いながら座って隣の男を見た。なんのへんてつもない男である。特徴がなさすぎるといってもいい。もくもくと蕎麦を食べていた。
腰に拍子木を下げている。
ああ。とたまは納得した。「送り拍子木」という妖怪である。拍子木が変化したもので.普段は音だけの妖怪だ。
火の用心を言って回るだけなので害はない。というか人間の味方である。
「拍子木なの?」
一応声をかける。
男は黙って頷いた。
これはなんの害もない。たまは安心するとやってきた蕎麦を食べることにした。
「わさびも辛子もいらない」
そういうと蕎麦に手をつける。
割り箸の先に少しだけつゆをつけると蕎麦を食べる。人間の味はたまには少々濃すぎる。からだ。
するすると食べてしまうと席を立つ。
「がんばって」
拍子木に声をかけた。
「あいよ」
言いながら.拍子木は蕎麦をおかわりしていた。
今夜は平和だ。
そう思いながらたまは平次のことを考える。起こして布団にもぐりこむべきか。しかしやはり照れくさいので.今夜は寝ている平次の隣で寝ることにしよう。
本当の新婚はもう少し先でもいいだろう。
心を決めると.たまは軽い足取りで平次のもとに戻ったのだった。
神楽坂 淳(かぐらざか・あつし)
1966年広島県生まれ。作家であり漫画原作者。多くの文献に当たって時代考証を重ね、豊富な情報を盛り込んだ作風を持ち味にしている。小説には夫婦同心の捕り物で人気を博した『うちの旦那が甘ちゃんで』ほか『大正野球娘。』『三国志1~5』『金四郎の妻ですが』『捕り物に姉が口を出してきます』 などがある。
たまは猫又。尻尾の先が二つに分かれたネコの妖怪である。岡っ引きの平次のところに押しかけ、妖怪に取りつかれて廃屋となった両国橋近くの長屋にいっしょに住んでいる。だから近所づきあいは、雪女のお雪などの妖怪とばかり。平次は人間にはモテないが妖怪ウケはいいので、それで満足している。そんな折、町奉行の榊原が平次のもとを訪ねてくる。最近江戸で、人間の盗賊と妖怪が手を組んでいるので、平次も妖怪といっしょに賊を取り締まってほしいという要請だった。見返りは長屋を正式に貸し与えることと、役所として二人を夫婦と認めることだった。破格の条件にたまは飛びつき、平次は押し倒される形で賊退治へ……。